第9話
山道にはなだらかな傾斜がひたすらに続いていた。月と大きな懐中電灯だけを頼りに、二人は黙々と足を運ぶ。
「うおっ……と」
当然舗装はない。祐一はともかく、琢磨は何度も転びそうになった。その度に祐一は振り返ったが、何か声を掛けることはなかった。
(それにしても、キツい、よな……)
琢磨は荒い息を吐く。嵐のような1日だった。心理的にも体力的にも負担は大きい。ここからさらに得体のしれない神に祈って、それから……
(三咲)
もうじき三咲は戻って来る。……はずだ。情報を統合すればそうなる。なのにどうしても不安が消えない。琢磨は顔を上げた。祐一は少し進んだ先で待っている。琢磨は一瞬逡巡し、その元へ駆けた。
「あ、あの……あと、どれくらい、ですか」
「あと? まだ半分も来てないぞ」
「う……」
くらりと来た。琢磨は反射的に手近なものに寄りかかった。冷えた木の質感。標識か何かだろうか。
「……ん?」
「どうした?」
琢磨は違和感を手で追う。紐? 石のようなものがついていて……持ち上げ、照らしてみる。
「ビーズの……ブレスレット?」
「……っ!」
「うわっ!?」
手持ちを乱暴に奪われ、琢磨はよろめいた。祐一はしげしげとブレスレットを見つめる。琢磨は抗議しようとして、飲み込んだ。月光に照らされた祐一の顔には初めて見る表情が浮かんでいた。
「……」
奇妙な沈黙はしばらく続いた。やがて祐一は顔を伏せ、呟いた。
「目印だよ」
「え?」
「そこの標識。お社までの道案内だけどさ。この辺りから逸れると見晴台につくんだ。その目印だよ」
そう言いながらブレスレットをナップサックにしまう。
「いいんですか?」
「え? ……あ。……ああ。もうそんな歳じゃないしさ」
祐一は力なく笑った。それから踵を返し、付いてくるように手招きした。琢磨は言った。
「行ってみていいですか?」
「……なんだって?」
振り返る。琢磨はまっすぐに目を見て、もう一度言った。
「行ってみたいんです、そこに」
思いがけない提案に戸惑いながら、祐一は思考を巡らせる。あらゆる観点から見て。連れて行く必要は、ない。
◇ ◇ ◇
澄み切った夜空に、宝石のような煌めきが散りばめられている。その下に広がるのは、都会の輝きとはまるで違う、静かで、穏やかな明かりの灯る町並み。琢磨は落下防止の柵に肘を掛け、その光景に見入っていた。
「綺麗な景色ですね」
祐一は何も答えない。腕を組んだまま、静かに目を伏せている。
しばし無言の間が続いた。だが琢磨は、不思議と穏やかな心地だった。三咲が戻ってきたら、またここに来るのも悪くない。大学のことも忘れ、そんな妄想すら浮かんできた。
「なあ……そろそろ行かないか?」
祐一が尋ねた。琢磨は少し間を取ってから、答えた。
「ここが嫌なんですか?」
「……嫌じゃないさ。でも、君には」
「嫌なんですか?」
琢磨は念を押した。それは今聞くべきでも、聞く意味もない情報だと思った。だけども、これから得体のしれない儀式を行う上で――肩を並べる人のことくらい、少しは知っておきたかった。
(嫌な奴だな、俺)
沈黙の中、琢磨は自嘲した。二人は互いを急かさなかった。そろそろ諦めるべきか。琢磨がそう考え始めた時、祐一は、ぽつりぽつりと話し始めた。
「……あのブレスレットはさ。幼馴染のなんだ」
「幼馴染?」
「ああ。……誕生日……だったかな。小遣いを貯めて買った。もう随分
「見えて、って、じゃあ」
祐一はゆっくり頷くと、琢磨の隣に腕を掛けた。
「消されたよ。……やれるだけは、やった」
夜景を眺める表情には、複雑な色合いがあった。
「3年前、あいつは俺の目の前で消えた。それから1ヶ月もしない内に、誰もあいつを気にしなくなった。数少ない子供だからって、みんなあんなに可愛がってくれてたのに」
3年前。……駅前で会った鈴木さんや、祐一の姉は彼が変わったと言っていた。琢磨はようやく心当たりを得た。あの時体験したような、周囲との感覚の齟齬。
「……なあ」
「え?」
祐一は顔を向けずに言った。
「俺は感じ悪かったか? さっきからさ」
「え。……その」
「気を遣わなくていいさ。……正直……ゼロじゃないんだ」
「え?」
琢磨は祐一の顔を見た。そこには何の表情もなかった。声色だけに押し殺した怒りが滲んでいた。
「あいつは消えた。もう戻ってこない。でも天地さんには可能性があるだろ?」
「え、ええ」
「納得しがたいんだよ。生まれた山に神様がいて、勝手に所有物だのそうじゃないだのって。なんでそんなやつがそんなこと決めるんだ? どこにそんな権利がある? 誰が与えた? 神だからっていうのか?」
琢磨は押し黙る。彼にはどんな言葉を掛けていいのかわからなかった。祐一は息を整えてから、ゆっくりと呟いた。
「……ぶっ殺せたら良かったのにな」
「え?」
「あれをぶっ殺して、それで全部終わるんならさ。……俺はもう、死んだっていいよ」
祐一は乾いた笑いを浮かべた。二人はしばらくの間、遠くの町を見つめていた。
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