第4話

 また夜が来た。琢磨はベッドを見て軽く深呼吸した。枕に毛布、神経が安らぐらしいアロマの瓶、安眠祈願の御札、サプリ、音楽。……これだけあれば。ごくりと唾を呑む。


「いけね」


 慌てて目を閉じ、指の間のツボを押す。占い師は評判通りの人物だった。悩みを見抜き、さりとて踏み込まず、現実的で効果のあるアドバイスを送ってくれた。


(何にせよ、まず眠れるようにならないとね。それだけを考えるの)


 本音を言えば、占いというオカルト的なものがあの夜に触れることを期待していた。でも無い物ねだりをしても仕方がない。まずぐっすり眠れるようになる。それくらいは自分にもできるはずだ。


 電気を消す。静かに目を閉ざし、体の力を抜いていく。それから規則的な呼吸――あの夜がちらつく。僅かな音がまるで、あの蛇の這う音に聞こえる。


 焦るな。琢磨は自分に言い聞かせる。それは呻きとなり、不意に口から溢れ、さらなる不安を掻き立てる……


 ピンポーン……


「ぅ、ん?」


 インターホン。もう夜中だというのに。琢磨は電気をつけた。ドアノブに手を掛け……止まった。


(待て。これって……)


 しゅる、しゅる、しゅる。そんな音が聞こえた気がした。……外に誰がいる? こんな時間にまともなやつが来るか? 三咲の布団に湧き、消えた、あの蛇たちが俺を待ち構えているのではないか?


「……っ!」


 バッとドアから距離を取る。インターホンは2度は鳴らなかった。いたずら。誤動作。なんだってあり得る。なのに俺はどうして、手に汗を滲ませている?


「……冗談じゃない」


 恐れは消えない。だけど恐れ続けたくはない。捨鉢な思いが琢磨を突き動かした。向こうに誰もいない。いたずらだ。そうに決まっている。仮に犯罪者だとしても蛇よりはマシだ! 勢いよくドアを開く!


 バァン!


「うぉぉぉっあっ!?」


 琢磨はその場に尻もちをついた。


「うわっ!?」


 外にいた相手も思わずたじろいだ。


「さ……坂田さん!?」


「や、やあ……しばらく」


 祐一が手を差し伸べる。琢磨はその手と自分の足を交互に見た。そして、立ち上がった。


「何なん……ですか、こんな夜中に」


 鼓動はまだ早かったが、不思議と心は落ち着いていた。


「いやね、その」


 だがその落ち着きも、一言で掻き消える。


「……蛇」


「え」


 反射的に目を見開く。


「蛇を、見たんじゃないか? 天地さんと……蛇を」


「な、え、な、何が……」


 開ききった瞳孔に、祐一は確信した。


「見たんだね」



◇ ◇ ◇



「……あった」


 祐一が拾い上げたそれは、一見ありふれたストラップに見えた。琢磨は顔を寄せる。首から上は溶けたように歪んでいて、下半身がない。


「なに……なんですかこれ?」


巳津多みつた様だよ」


「は?」


「……うちの田舎にね、そういう神様が祀られてる」


 祐一は三咲の部屋を歩き回り、何かを探しながら言った。


「その名の通り蛇の神でね。集落のあちこちに像があるんだけど、1つ、顔の部分が溶けちゃってるのがあってさ。それを面白がった奴がいて……」


「いて?」


「商売道具に仕立てたわけさ」


 祐一は低い声で付け加えた。


「……無断でね」


 彼は何かを拾い上げた。蛇の下半身。琢磨にはそう見えた。


「それがどうしたんですか?」


 要領の得ない話に苛立ちが募る。それでも琢磨は静かに尋ねた。数秒の間。祐一ははっきりと答えた。


「祟るんだ、この神は」


「……は?」


 琢磨はぽかんと口を開けた。


「つまり、それが天地さんの身に起きたことだよ。見てよ、これと、これ。バキッと折れたような痕があるだろ?」


「あ、ありますけど」


「それで祟られたってことだよ」


 琢磨は目がチカチカするのを感じた。神? 祟り? ……まるで、いや、まさに非現実。この人も眠れていないのか、と失礼な感想が浮かぶ。


 だがそれでも、彼が今直面している現実。それを説明できているのは確かだった。祟り神が実在し、誰かが神像を知らずに流通させ、巡り巡って三咲の手に届き、不注意で――


「……一応……続けてください」


 曖昧な要請に、祐一は力強く頷いた。


「巳津多様に祟られると、その存在は消されてしまう。だけど、完全に消えるわけじゃない。そこには影が残る」


「……影?」


「そう、影。君以外の目に映っているものだよ」


「……!」


「俺の目には今も天地さんが映ってる。……そこの布団の中にもね。だけど君には見えないんだろう?」


「は、はい」


「そういうものなんだ。……消える瞬間を目撃したもの以外、それが消されたことを正しく認識できない。当たり前にいるように見えて、徐々に関心が失われていって……最後には誰も気にしなくなる」


「そんな……」


 昼、大学には三咲がいた。友達と歓談していた。……そのはずだ。自分に見えなくなっただけ。そう解釈する余地はあった。だが、それすらも……?


 祐一の語りは理路整然として、諭すようですらあった。琢磨はいつの間にか、疑うことを忘れてしまっていた。


「祟り……そうだ、その祟りを解く方法は!?」


「……」


 祐一は押し黙った。琢磨は問い糾したくなる気持ちを必死に抑え込んだ。何分かの重苦しい沈黙の後、祐一は言った。


「あるかもしれない」


「どうすれば!?」


「俺も分からない。でも……俺より詳しい人たちに聞けば分かるかもしれない。爺様や婆様……」


 祐一はそこで言葉を切ると、ストラップを琢磨に見せた。


「これ、預かっとくよ。それでもう悪夢は見ない。それから……明日、休めるか?」

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