鱗は誘う

餅辺

第1話

 薄手のブランケットが鋼鉄のように重い。就寝中の宮地 琢磨みやじ たくまを襲ったのは、そんな唐突な違和感だった。


(金縛りってやつか?)


 秋だというのに寝室は異様に寒い。明かりを点けようと手を伸ばそうにも、ブランケットの外に出すことすら叶わない。はっきりしているのは意識だけ。


(……ん?)


 ぴと、と左の足首に何かが触れた。琢磨は身を捩らせようとした。何かが足首を掴み、怖気が走るほどの冷たさが脳天まで震わせた。


「な、何だっ、離っ」


「ずるいよ」


 地の底から響くような暗い声。


「……三咲みさき?」


 琢磨は問い返した。声色こそ低くとも、それは同居人の声だった。


「琢磨だけ、ずるい」


「ずる、い?」


 身に覚えのない言葉が彼を困惑させた。足先の感覚は既に消えていた。反対の足にも何かが触れた時、全身に怖気が走った。


「ま、待てっ、俺はっ」


「一緒に来てよ、ねぇ。一緒に。「「一緒に」」」


 脛を掴まれる。腿を掴まれる。腰を、腹を、肩を。途端に感覚は消え失せ、首だけが残された。その首すらも思い通りにならなかった。引きずり込まれている。どこか、遠くに。


「「「一緒に緒に「来」来て「て」よ「よ」」」


「うあ、あ……」


 体が沈んでいく。ブランケットが口元を覆う。ただそれだけで呼吸が奪われる。息が出来ない。声も出ない。このまま、どこかへ。


(あああああーっ!)


 声にならぬ声で琢磨は絶叫した。



◇ ◇ ◇



「ああっ!」


 琢磨は跳ね起きた。滝のような汗が全身に滲み、体が異常に冷えている。荒い呼吸を繰り返す。徐々に状況が見えてくる。大学の講堂。ぽかんとした表情で自身を見つめる他の学生。


「ああ、君、君」


 教授がたしなめるように声を掛けた。


「大学はね、寝に来るとこ、じゃ……」


 その表情が一気に強張った。教室中の視線が徐々に逸れ、顔を見合わせ始めた。琢磨は立ち上がろうとして、一度机に突っ伏した。寒い。ひたすらに寒い。まだ秋なのに、薄手のジャケットがぐっしょりと冷や汗に濡れていた。


(ね、大丈夫?)


 誰かが小声で語りかける。確かいつも隅にいるチャラついたグループの一人。


(肩貸すよ、ほら)


 彼に支えられ、琢磨は足を引きずるようにして教室の外へと向かう。道中、いくつもの席の隣を通った。その度に噂声が聞こえてきた。


「ね、あの人ってさ……」


 昨日も別の教室で。女の子と同居してる。サークルは……耳を塞ごうにも手が動いてくれない。ただただ早く過ぎ去りたいのに、足の動きは亀のように遅々としている。


 広場のベンチに下ろしてもらい、礼を言って別れる。日はまだ高い。午後も別の授業はあるが、そんな気にもなれない。


 琢磨はぼうっと視線を彷徨わせた。その先に三咲の友達がいた。彼女は虚空に向かい、嬉しそうに何かを話していた。だから今、三咲がそこにいるのだと分かった。


 琢磨は項垂れた。心は沈みきっていても、体は勝手に力を取り戻す。そのことすらも嫌だった。……帰るか。帰ってどうなる。あいつのいない、あの家に。

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