第3話 セーフ! 攻略対象じゃない!
「いや、リリアーヌの言葉と表情が合っていないけど……。一体何があったわけ?」
困り顔のイケメンが、不安そうに顔を近づけて来た!
ちょっと、待って! その距離感がバグってるから!
イケメンとリアルな接触をしたことがない私には、刺激が強すぎる。
これまでの人生においてイケメンとの絡みは、仕事上の業務連絡か、おしゃれなカフェの店員と客の関係くらいだ。
どこをとっても定型文のやり取りで済むやつ。
それなのに彼の吐息が、頬に当たって温かかったせいで、動揺しまくりである。
心臓が激しく脈打ち、不整脈を起こして、心臓が止まるじゃない!
いくらなんでも、そんな死に方はダサいから。
内心絶叫していた私だが、ふと冷静になった。
待てよ。彼氏いない歴が年齢という、残念過ぎる記録を毎年更新し続けていたアラサー腐女子の私にとって、目の前の彼は救世主なのかもしれない。
そもそも恋愛初心者の私にとっては、男性と色気のある会話をするなんて、できる気もせず、相当ピンチな状況である。
初対面のお相手に、失敗は許されない状況で恋の駆け引きを求められているわけで。
男心というものを知らない私が、まさかの令息相手に恋愛という難易度最上級のミッションに挑まなくてはいけないのだ。
現状、攻略キャラの誰かと恋愛しないと死ぬ絶体絶命の事態に陥っている。
だけど、なんとしてもまだ死にたくない!
どうにかしてこの窮地を乗り越えて、キャラを攻略していきたい!
幸いなことに、今、目の前にいる見目麗しい好青年は、攻略キャラではないわけだから、多少会話を失敗したところで痛くもかゆくもない。
これまでの挙動不審な言動も、セーフ! そうセーフだ!
いわゆるモブとの会話であり、彼との関係で失敗しても、命の危険はない。
そうなれば、男友達として、私の恋愛能力を向上させるために、協力してもらいたいくらいだ。
実戦に勝る成長はないはず。うん。間違いない。
男友達万歳と割り切って、この世界の男性の心情を聞き出すために、交流を深めておくべきだ。
さすが元経理。いやらしいくらいに打算が働く。
彼と友達になろうと、俄然、やる気を出した私は気合を入れた。
「は、は、はいっ!? だ、大丈夫ですっ!! わ、私ってばどうしてここに!?」
やばい。
気合が空回りして声が裏返ってしまった。めちゃくちゃ恥ずかしい。
もう一回言い直そうか迷っている私をよそに、眩し過ぎるイケメンが、眉根を下げて困ったように笑った。
「この状況だと、リリアーヌ嬢が転んで頭を打ったようにしか見えないけど」
その言葉でやっと、この身体に残る記憶が蘇ってきた。
おそらく、脳に記憶されているものは、意識的に引き出そうと思えば、思い出せるようだ。
「はぁっ……」
それは私にとって数少ない朗報であり、小さく安堵の息を漏らした。
そうしてゆっくりと、この身体の持ち主のリリアーヌが、妹のミラベルにされたことも思い出してきた。
「もしかして、覚えてないの?」
「あ、あぁ……思い出してきた。転んだみたいで……心配かけてごめんなさい」
「躓いて転んだのか?」
イケメンが首を傾げながら尋ねてきた。
真実を告げれば、ミラベルとの会話の内容を説明する必要が出てくるだろうし、下手なことを言って、明日以降、大事になるのも面倒である。
それに、自分が体験したことではないため、言葉に信ぴょう性もないだろう。
どうせ嘘っぽく聞こえてしまうくらいなら、誤解されたくない。
ミラベルをどうこうするより、私の最優先事項は、攻略対象の好感度アップだし。
ここはイケメンの話に乗って、軽く受け流す方が得策な気がしたため、声を出して笑い、同意した。
「あははっ、そうなんです! えっと──」
そのまま彼の名前を呼ぼうとしたのだが、思わず口ごもってしまった。
おそらく彼は、リリアーヌの隣の席のアルフォンス・コルディエだ。
隣の席だというのに、一度も会話した覚えもなければ、名前を呼んだ記憶もない。信じられないが、どんだけ内気なのよ。
まだ入学して1週間とはいえ、教室で誰とも会話をしてこなかったリリアーヌの印象は、薄いか、悪いはず。
どちらにしろ、かなり根暗な性格だと思われているに違いない。
元々のリリアーヌは内気な性格かもしれないが、私は恋愛に疎かっただけで、大人しいわけではない。
特段人見知りなんてしない性格だが、一番の問題は、この国のルールがよくわかっていないことだ。
確か貴族の間では、名前を呼ぶことにも許可が必要という、まどろっこしいルールがあったはず。
情報ソースはファンタジー世界の漫画という、曖昧な知識で、裏付けはない。
でも、しょっちゅう漫画の中で描かれていたことだ。
だから、軽々しくアルフォンス様と呼んではいけない気がする。
となれば、家名であるコルディエで呼ぶのが正解な気がするんだけど、彼の爵位が思い出せない。
爵位がないのか? それともリリアーヌが知らないだけなのか……?
まったくもう。
リリアーヌってば、もっと他人に興味を持ちなさいよねと、内心、小さな愚痴をこぼしていた。
どうすれば失礼に当たらない呼び方なのかを必死に考えていると、彼が何かに気づいたのかもしれない。ふと、彼の方から自己紹介された。
「隣の席なのに、もしかしてリリアーヌ嬢は俺の名前を覚えてないのかな? 俺はアルフォンス・コルディエだ」
「さすがに名前くらいは知っていますよ、コルディエ様……」
もうこうなったら、家名に様をつけてみようと思ったのだが、やれやれとため息をついた彼に訂正された。
「この学園では、名前で呼び合うのがルールだろう。一応、気を遣ってリリアーヌ嬢って呼んだけど、学園規則では、嬢も様もいらないからね」
そう言われてハッとした。
その言葉をヒントにして思い出そうとすれば、リリアーヌの記憶の片隅に、そんな情報があることに気づいたのである。
生徒同士なのに家名で呼ぶと、家柄による上下関係ができてしまうため。というのが理由らしい。
成績至上主義の学園では、実家の力を取り払うために、お互いを名前呼びする決まりになっている。
遅すぎる記憶の想起に、苦笑いが漏れた。
だがここは、笑って誤魔化すのが得策だろう。
ばっちりと家名で呼んでしまった失敗を誤魔化そうと、頭に手をやり、照れたように笑った。
「そうでした。頭をぶつけてどうも記憶が飛んでいるみたいで、情けないですアルフォンス」
そう言って彼を見つめた。
これでよし!
いい感じに誤魔化したと、内心決め顔を作った。
リリアーヌの記憶があるとはいえ、意図しないと引き出せないというのが難点のようだ。
今の自分について、1つ1つ確認して理解を深めていたのだが、アルフォンスから悲し過ぎる返答が返って来た。
「へぇ~、驚いた。リリアーヌも笑ったりできるんだ。いつも無表情だったから、感情なんて、ないのかなって思っていたんだけどね」
彼が、ふっと優しい笑みを見せた。
その言葉に思わず顎を外しそうだった。
感情がないとまで言わしめるリリアーヌは、今までどんな風に過ごしていたのだろう。
幸い、アルフォンスは攻略キャラではないから、深く気にすることはない。
だけどクラスメイト全員から、こんな評価をされていると思えば、先が思いやられる……。
だって、この状況から攻略キャラたちの好感度を上げていけという話なんだから、前途多難だ。
ゲームのヒロインだっていうのに、不利な条件ばっかじゃない。なんなのよ!
いら立ちと、焦燥感が募り、マイナス思考になりかけたが、これではいけない。
真剣な目を向けアルフォンスと視線を重ねた。
無謀な挑戦にも思えるけど、死亡フラグが立っている以上、やるっきゃないし!
まあアルフォンスの場合は友達にすぎない。
そう考えていれば特段緊張もしないし、固くなることもなく、自然と言葉が溢れてきた。
「酷いですね。私だって、笑いますし、はしゃいだりもしますよ」
「いや、今までのリリアーヌは、自分から何も話さないし、張り付けた表情をしていたから、なんか変わったな」
「あの~、つかぬことを伺いますが、私の今の態度は、令嬢として失礼だったりしますか?」
「そんなことはないよ。これまでのリリアーヌは何を考えているのかわからなくて気味が悪かったから、今くらいの方が断然いいさ」
その言葉を笑顔で受け止めておいたが、この評価は喜ばしいと思えず、今すぐにでも泣きそうだ。
気味が悪いって、普通に生活していた16歳の少女が言われる言葉じゃないし……。
がっくしと肩を落とした私ではあるが、心の底から感じる言葉を口にせずにはいられなかった。
「私を見つけてくれたのが、アルフォンスで良かった。これからよろしくお願いします」
正直な言葉と共に、笑みがこぼれた。
こんな情けない姿を、これから恋愛しなければならない攻略キャラたちに見つからなくて本当に助かった。
それに、この世界のスタートが、アルフォンスとの会話で良かったと、純粋にそう思ったのだ。
すると、やはりアルフォンスは私の変化が不思議なようで、訝しげな表情を向けて言った。
「意外な言葉が返ってきて驚いたな。だけど、なんか今のリリアーヌに興味が湧いてきたかも」
そう言ったアルフォンスは、サファイアブルーの瞳を細め、ふっと微笑んだ。
彼の言葉の意味を、少しおしゃべりになった私の態度がもの珍しいのだろうと捉えていた。
まさか、違う意味を含んでいるとは、自分の置かれた状況を理解するのに必死な私は、当然ながら気づくはずもなかった。
クリアしないと死ぬゲームに転生した落ちこぼれ令嬢ですが、いつの間にか裏ルートで溺愛されてました 瑞貴@『手違いの妻2』発売中! @hauoli_muzu
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