千夜一夜添い寝物語 ~呪われ契約妻のおまじない~

ブリル・バーナード

第一章 鮮血の茨 編

第一節 契約結婚

第1話 火御門緋月という少女

作者の精神衛生上、コメントを閲覧および返信はできません。

ご了承ください。

■■■



『痛い……痛いよぉ……』


 ああ、これは夢だ。私は今、夢を見ている。

 小さい頃に経験した実際の出来事。忘れられない出会い。何度も何度も夢で追体験する私の人生の転換点――。

 轟々と取り囲む激しい炎。腹部が発する焼けるような激痛。濃厚な血の臭い。

 下半身の感覚はなく、身体が徐々に冷たくなっていくのがわかる。

 寒い。周囲は赤く燃えているのに凍えそうなほど寒い……。

 広がる真っ赤な血とともに『私』という存在そのものが流れ出ていっているみたいだ。

 自分自身が希薄になって、このまま消えてしまうんじゃないかという恐怖。


 これが【死】――。


 幼い私でも自分が死にかけているのが理解できた。死ぬのがとてもとても怖かった。

 そんな瀕死の小さな身体を死神が優しく抱きしめる。


『ごめんなさい……巻き込んでしまってごめんなさい……』


 懺悔の言葉を口にする美しい死の女神もまた血まみれだった。

 月のように煌めく銀髪。新雪よりも真っ白な肌。血とルビーを混ぜ合わせたような深い緋色の瞳。目の下の小さな赤いハートマーク。帝王の威厳と風格に満ちた他者を寄せ付けない冷たい美貌は、後悔と涙でくしゃくしゃに萎れ、弱々しくてとても儚かった。

 今にも壊れそうで見ていて辛い。

 泣かないで、と夢を見ている今の私は思う。

 体が痛くて、死ぬのが怖くて、でも、泣かないで、と当時の私も願う。


『ごめんなさい……ごめん……なさい……』


 死の女神は謝り続ける。透明な涙を流しながら。死にゆく私の体をさらに強く抱きしめて。


『恨むなら私を恨んで……あなたを巻き込んでしまった私を……呪うことしかできない愚かな私を――』


 そして彼女は私の細い首筋に噛みつく。長くて、鋭くて、美しいその牙で。


 美しき銀の女神は処女の血を啜り、そして、そして私は――。






 ■■■





「――緋月ひづき! 緋月危ないっ!」


 親友の叫び声を理解する前に、私、火御門ひのみかど緋月は、呪力を纏った裏拳を気配のする場所へ打ち込んでいた。

 グシャリと柔らかな何かを潰す嫌な感覚。

 それと同時に夢から覚めて目を開けると、目玉に黒い翼が生えたような妖魔が、黒紫の呪力の靄に還って消えていくのが見えた。

 模擬戦闘用の人造妖魔。どうやら精神干渉系の能力を持っていたらしく、私に幻覚を見せていたようだ。


 ふぃー。危ないところだった。精神干渉の対抗策をもっとどうにかしないといけないなー。反省反省。


 現在、私は模擬戦闘の授業中だった。優秀な生徒が集まるAクラスと成績下位組が集まる我らがFクラスの合同授業。

 当然、幻覚に惑わされていた私の戦いを同級生たちにバッチリ見られていた。

 ちょっと恥ずかしい。

 しっかし、何ともまあいやらしい人造妖魔だったね。儚げな銀髪泣き顔美女(巨乳)のお姉さんに噛みつかれて血をチューチュー吸われる過去の幻覚を見せてくるなんて卑怯すぎでしょ! これは抗えない! 突然のご褒美をありがとう! そしてもっと見せてよぉ! 見たかったよぉ~! 私の性癖がぶっ壊れた思い出の瞬間なんだからさぁ~!


「ちょび髭先生!」

「……オレの名前は千代備ちよびで、髭は顎に生えてるんだが、まあいい。なんだ、火御門。言ってみろ」


 ちょび……ではなく顎髭を生やした、覇気のないくたびれたオッサン教師が気怠そうに息を吐く。

 なんだか呆れと警戒が混ざったような複雑なため息だった。

 まるで『手のかかる教え子がまた突拍子もないことを言い出しそうだぞ』と言わんばかりの表情だ。

 まったく失礼だな。可愛い教え子が名前を呼んだだけなのに。


「おかわりを要求します! 私は『儚げな銀髪泣き顔美女(巨乳)のお姉さん』をもう一度見たいです! なのでまた今の精神干渉をお願いします!」

「おいおい。あのなぁ、火御門…………ちょっとその『儚げな銀髪泣き顔美女(巨乳)のお姉さん』とやらを先生に詳しく教えてくれないか? 太ももが細いタイプか? むっちりタイプか?」

「ほどよくむっちりタイプです!」

「よし、いいだろう! 山田先生、お願いします!」

「――まったく。何を馬鹿なことを言っているのだね。これだからFクラスは」


 盛り上がる私と担任を、やれやれと見下す心底嫌味な声がした。

 無駄に自尊心プライドが高く、眼鏡をかけた陰険で神経質そうな痩身の男性教師――国立陰陽大学付属清明学園の高等部、3年Aクラスの担任、山田太郎(36歳独身)である。

 私は心の中で『嫌味眼鏡』と呼んでいる。

 ちなみに我らがFクラスの担任、『ちょび髭先生』こと千代備ちよび龍禅りゅうぜん先生は、32歳の妻子持ちだ。やるねぇ! 老け顔だけど。


「私が造った人造妖魔には限りがある。それなのにFクラスの、それも学年最下位の落ちこぼれにもう一度戦わせろと? そんな無駄なことをするくらいなら、我が優秀なAクラスの生徒に使わせますよ」

「ちょっと待てくださいよ、山田先生。ウチの可愛い教え子が落ちこぼれだって? そもそも教師が一番言っちゃいけねぇ言葉だろ。謝ってください」

「そ、そんな、私のことが可愛いだなんて……まあ事実ですけど! でもごめんなさい。私、ちょび髭先生のこと、これっぽっちもタイプじゃないんです。そもそも浮気ですか? 奥さんに告げ口しますよ?」

「おい、火御門。お前はちぃ~っとばかし黙ってろ」

「うぃ~っす」


 ガシッと頭を掴まれたので、力を入れられる前に素直で可愛い緋月ちゃんは黙ります。お口にチャック。これ大事。


「落ちこぼれを落ちこぼれと言って何が悪い? 事実でしょうに。そもそも今は陰陽術の術式を用いて人造妖魔を祓う授業のはず。なのに呪力を纏った拳で殴るなんて授業の趣旨に反しているではありませんか!」

「火御門は先天的に術式が使えないのは山田先生もご存じのはず。それを知っていて戦わせたのは山田先生でしょう!?」


 なにやら私を巡ってちょび髭先生と嫌味眼鏡が睨み合っている。

 ハッ! これって……!


「……シルさん、シルさん。ちょっと起きて!」

『んぅ~……もうオヤツの時間だモン?』


 私の囁き声に応えて制服の胸ポケットから小柄な毛玉がひょっこり顔を覗かせた。

 小さくて短い手で顔をグシグシと拭う、クリクリした瞳と小さなピンクのハートマークがチャーミングポイントの艶やかな銀色の体毛のハムスター。私が使役する式神の『シル』だ。


「いや、オヤツの時間じゃないんだけどさ。今、うちの担任と嫌味眼鏡が私を巡って言い争っているんだよね。これってさ、『やめて! 私のために争わないで!』って言うチャンスかな!?」

『頭を握り潰されたいのなら言ってみるモン』

「……やめときます」

『それが賢明だモン』


 私、まだちょび髭先生に頭を掴まれたままなんだよね。

 言い争いがヒートアップして、先生の手に徐々に力が入ってきているのがちょっと怖いと思う今日この頃……。

 痛いことされたら奥さんに泣きつこっと。ちょび髭先生は奥さんの尻に敷かれているからな!


「我々選ばれしAクラスが底辺のFクラスごときと合同授業をしてやっているというのに、なんだね? 銀髪の爆乳美女? 全くもってけしからん!」

「あ、いや、爆乳とは言ってないです。銀髪の巨乳な美女っす」


「「…………」」


「火御門……黙ってろって言ったよな?」

「うぃっす。さーせん」


『バカだモン』と胸ポケットで頬杖をつくシルの呆れた声が聞こえた気がする。

 どことなく流れる気まずい空気を払拭するかのように、耳が赤いムッツリ眼鏡が咳払いをした。


「ゴホン! 術式が使えずとも学ぶ意欲というものを見せたらどうだね? 私の授業『陰陽術術式理論』では寝てばかりではないか。術式が使えるかどうかは別として、陰陽師たるもの、術式の知識はあるに越したことはなかろう?」

「それは……山田先生の言う通りですな」


 ちょっと! 言い負けるな、ちょび髭先生! 正論だからって論破されるんじゃない! 銀髪美女(巨乳)がへき同士、私とちょび髭先生の仲でしょう!?

 じゃないとほら、嫌味眼鏡が勝ち誇っちゃうじゃん!


「まあ、その落ちこぼれは学んでもどうせ使えないだろうがね」


 ……ケッ。いちいち嫌味なやつ。これだからコイツは嫌いだ。クスクスと笑う同級生も同罪。

 嫌味眼鏡は自分よりも上の人には媚びへつらい、下の人は徹底的に見下す人間のクズである。学年最下位の落ちこぼれである私には特にあたりが強い。

 それでも教師をやれているのは、嫌味眼鏡がそこそこ強い陰陽師だからだ。

 呪いを核に人の感情から生まれた異形の化け物『妖魔』と戦う陰陽師は万年人数不足である。だから多少性格が悪かろうが雇用され続ける。

 それにコイツの態度も『競争』を煽っていると言えなくもないのだ。

 陰陽師の世界は実力主義――。

 コイツに見下されたくないのなら強くなれ、という学園側からのメッセージでもある。


「その点、我がAクラスに所属する火御門の双子の妹は非常に優秀である! 史上最速で第3級陰陽師試験に合格するとは! いやぁー、実に鼻が高い! 私の教え方が上手なせいだな! この調子でいけば3年……いや2年以内に第1級試験に合格するだろう! 私の授業を貪欲に学べば彼女のような陰陽師になれる。なのにこの落ちこぼれといったら……少しは優秀な妹を見習ったらどうだね?」

「あっ、蒼陽あおひちゃん、やっほー! お姉ちゃんの模擬戦闘はどうだったー? 格好良かったでしょー?」


 得意げな嫌味眼鏡の視線の先でAクラスに所属する双子の妹の蒼陽を見つけたので笑顔で手をブンブン振ったら、キュッと眉間にシワを寄せてスッと露骨に顔を逸らされてしまった。

 んもうっ! 蒼陽ちゃんったらいけずなんだからぁ~!

 いつ見ても、いかにも優等生って感じの凛とした雰囲気の美人さんだなぁ。青みがかった艶やかな黒髪に深い青の瞳で超大人っぽい!

 まったく、彼女の双子の姉の顔が見てみたいよ! もっともっと美人で可愛らしいんだろうなぁ……あ、私か!

 ちなみに私の容姿は蒼陽ちゃんと正反対。赤みがかった黒髪と緋色の瞳で、妹よりも明るくて笑顔がチャーミングな美人さんなのだ!


「ふん! 我がAクラスの生徒がFクラスの落ちこぼれを相手にするはずないだろう?」


 いやいや。それ以前に私たち、双子の姉妹だから。家族だから。相手をするしないの次元の話じゃないの。妹は注目されて恥ずかしがっているだけなの。素っ気ない態度を取られても心で通じ合ってるから。お分かり?


「……緋月コイツはすごい陰陽師になりますよ」

「なれるわけが無かろう? 万年最下位の落ちこぼれだぞ?」

「オレが育てます。絶対に」

「ふんっ! 無理に決まっている!」

「やってみせますよ。そして山田先生に吠え面をかかせてやります」

「やれるものならやってみるがいい!」


「あの~、私、呪術師志望なんですけど。陰陽師になるつもりは微塵もないっす」


「「…………」」


「あれ? 私、なにか言っちゃいました?」


 珍しく頭を抱えた嫌味眼鏡とチベットスナギツネみたいな顔になった我が担任のちょび髭先生。

 数秒固まった担任はガシガシと乱暴に頭を掻き、


「……火御門、おまえなぁ! そこは『私、立派な陰陽師になりますっ!』って宣言するところだろうが!」

「いやいや。先生たちの青春に巻き込まないでくださいよ。私の進路を勝手に決められるのは困りますって」

「それはそうだけどな! なんかごめんな!」

「でも、私を庇ってくれたところはちょっと格好良かったですよ。タイプじゃないですけど。全然タイプじゃないですけどっ!」

「強調して何度も言わなくていい!」

「イダダダダッ! 痛い痛い痛い! 頭が潰れるぅー! パワハラ! パワハラですよ! 奥さんに泣きついてやるぅー!」

「そ、それだけはやめてくれない……?」

「はぁ。これだからFクラスは。争いが低レベルすぎて困る」


 こんにゃろ……爆乳美女が大好きなムッツリ眼鏡のくせにぃ……!

 咄嗟に言い返してやろうと思ったその時、私の胸ポケットにすっぽり入ったハムスターのシルが冷静に私たちに告げた。


『いつまでも漫才をやってないでさっさと授業を再開させるモン』


 ……全くもってその通り!

 なんか同級生たちの心の声が聞こえた気がした緋月ちゃんであった。



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