飛べない白クジャクはその恋を許さない ~ライバルは国宝級イケメンアイドル~
はなたろう
第1話
オレは、クジャクだ。
そこらの派手な青クジャクとは違う。なぜならオレは、真っ白な羽の、神聖なる白クジャクだから。
この植物園の「アイドル」だ。
オレが羽をバサァっと広げりゃ、どんな客もスマホを構えて群がってくる。
「幸運が訪れる」「神の使い」「映える!」などと言って、人間どもは口々に騒ぎ立てる。
まあ当然の扱いだ。
園内の人気者――そう。それがオレの日常だった。
とはいえ、平日は客も少なくて困る。
広々とした園内を悠々と歩き回り、恐れ多くもオレの餌を狙うカラスと牽制し合い、平和ボケした顔のカモを追い回す。
つまり、オレはヒマを持て余していた。
羽ばたきたいのに飛べない。空を知らない鳥。
この大きな白い羽は鑑賞用、ただ地面を歩く日々。自由という言葉は、オレの辞書にはない。
――けれど、ある日。
オレの白い羽と同じくらい、色のなかった毎日。その世界が、一瞬にしてカラフルに彩られたような、不思議な感覚だった。
季節は6月。
梅雨の合間の晴れ間。空には入道雲が浮かび、太陽がぎらぎらと照りつける。
池の周りには、青や紫、ピンクといった色とりどりの紫陽花が、びっしりと咲き誇っていた。今週末は『紫陽花祭り』が行われるらしく、園内には提灯が飾られ、いつもより賑やかな雰囲気に包まれている。
昼寝から目覚め、ふわりと羽を揺らしながら、いつもの散歩コースを進んでいた時だ。
紫陽花の茂みを抜けると、突然、視界の隅に見慣れない人影が飛び込んできた。
「あ、いたいた」
小柄な女が、オレの前にしゃがみ込んできた。
その瞬間、世界から雑音が消えた。
スタッフ用の紺色のポロシャツにチノパン。髪は一つに結ばれている。
人間なんてのは、みんな同じ顔に見えるものだ。そう、今までは。
しかし、彼女の目はまっすぐで、妙に印象に残った。吸い込まれるような、深い色をしている。
「本当に真っ白ね。この植物園のアイドルなんだよね」
オレを見て、にっこりと笑った。
その瞬間――何かが、体の奥で“ふわっ”と広がった。
言っておくが、それは羽毛じゃない。
たぶん、感情ってやつだ。
胸のあたりが、今まで感じたことのない温かさに包まれる。
「私、今日からこの植物園に配属されたの。佐倉美咲。よろしくね」
クジャクであるオレに、自己紹介だと?
まるで、オレも人間であるかのような錯覚を起こさせる、自然で穏やかな接し方だった。
こんな風に接してきた人間は、今まで一人もいなかった。
名乗られたその名前だけは、風の音に乗って、はっきりと耳に残った。
サクラ。
そう言ったな。
なのに、咲いているのは桜じゃなくて紫陽花。花の名前と季節がちぐはぐで、逆に強く印象に残った。
サクラは、オレにそっと手を伸ばし――すぐに引っ込めた。
「うーん。まだ早いね。失礼しました」
なんと、察しのいいヤツだ。
時々いるんだ。オレが許してもいないのに、羽や頭を触ろうとする無礼な人間が。
自分だったらどうだ?知らないやつに、いきなり頭だの尻だの触られていいのか?それ、ハラスメントって言うだろう。
オレは知ってるぜ?すごいだろ。
クジャク界にも、距離感というものがあるからな。
……いいだろう。気に入った。
あいさつ代わりに、特別に見せてやろうじゃないか!
バサァァッ!
オレは全身の白い羽を、めいっぱい広げた。純白のレースのような羽が、紫陽花の深い青や鮮やかな紫と強いコントラストを描き、風に乗ってふわりと揺れる。
周囲の空気が、一瞬で変わった。
これぞ、神の降臨だ!
「わぁ……、きれい」
サクラが、ぽつりとつぶやく。
その瞳は、オレの純白を映して、宝石のようにキラキラと輝いていた。
「まるで、おとぎ話に出てくる王子様みたい。じゃあ、キミのあだ名は『王子』ね。よろしく、王子」
オ、オウジだと……?
人間ごときがオレを名付けるなど不遜千万――と言いたいところだが、このオレにふさわしい、実に品格のある呼び名じゃないか。
悪くない。
むしろ、その響きが心地よく、胸の奥に溶けていく。
そうだな。これも運命の出会いかもしれん。オレが王子なら、おまえはお姫様にしてやろう。
なんなら、番にしてやろうか?……いや、まだ決めるのは早いか。
「あ、待って」
サクラが、再び遠慮がちに手を伸ばした。
オレの頭の上を、そっと、なでるように指先が触れる。
彼女の指先から伝わる温かさは心地よく、オレの心をさらに満たしていく。
「ほら、紫陽花の花びら。風に乗ってきたね」
にっこりと笑うと、手のひらに乗せた小さな青い花びらを見せた。
その花びらは、彼女の白い指先の上で、宝石のように輝いて見える。
藍色、薄紫、ピンク、そして白。
色とりどりの紫陽花よりも、サクラの笑顔のほうが、ずっと眩しく、美しく見えた。
――そして、思った。
サクラとは、長い付き合いになりそうだ。
この予感は、きっと間違いない。そう、オレの白い羽が、そう告げていた。
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