同棲 Rewrite版

あざみ忍

第1話 或る一日のはじまり

とおるさん、起きてください」


 優しい声音が耳に届き、僕は瞼を開ける。


「おはようございます」


 横には深月みつきさんが立っていた。彼女の腰まで伸ばされた長い髪が、の光に照らされ輝いている。


「深月さん、おはようございます。今日もすみません……」


 まだ若干眠気があったのだが、このまま寝ているわけにもいかず、ゆっくりと体を起こす。

 職業柄、夜型人間の為、朝は滅法弱いのだが、彼女のお陰で最近は規則正しい生活を送ることが出来ていた。


「気にしないでください。起きたばかりの透さんのお顔を見ることが出来るので、全然苦じゃありません」

「そう、ですか……」


 寝起きの顔なんて恥ずかしい。僕は気まずさを覚えながら、目覚まし時計に目をやる。現在朝の7時だった。


「朝食を作り終えたので、一緒に食べませんか?」

「分かりました、ありがとうございます。すぐに着替えますので」

「慌てないでくださいね」


 そう言うと、深月さんが僕の部屋をあとにした。


 ♢♢♢                   


「それではいただきます」

「はい、召し上がれ」


 今日の朝食は卵焼きに納豆、漬物に味噌汁。これぞ日本人の朝食という献立だった。

 箸を進め、卵焼きを一口頬張る。少し甘みを感じた。


「しょっぱいより甘い方が好きと聞いていたので。あの、大丈夫でしょうか?」


 彼女の不安げな瞳が僕を捉える。


「はい、とても美味しいですよ」


 卵焼き一つではあるが、それでも好みに合わせて味を変えてくれたことが嬉しかった。


「それは良かったです。あっ、ちなみにこの胡瓜きゅうりのお漬物、遠山とおやまのお婆ちゃんから頂いた物なんですよ」

「なるほど、そうだったのですね」


 遠山さんは僕たちが同棲するにあたって、何かと世話を焼いてくれた方である。


「何かお返しを考えた方が良いでしょうか?」


 確か彼女は大の甘党だったはず、ちょうど良かった。


「僕、美味しい羊羹を売っているお店を知っています。今度買ってきますよ」

「分かりました、お願いします。……そういえば透さん、今日のご予定は?」


 今日の予定か。正直まったく考えていなかった。


「お仕事は夕方から、ですよね?」

「はい」

「それなら午前中はお散歩に行きませんか? もちろん嫌でなければ、ですけど……」

「そうですね。せっかく天気が良いのに、部屋に籠ってばかりでは勿体ない」


 そう答えれば、彼女の顔が嬉しそうに綻ぶ。


「直ぐにお洗濯物を干してしまいますので、透さんはゆっくり待っていてください」

「いえ、そういうことなら僕が干しますよ」


 ご飯の準備から洗濯まですべて彼女に任せるのはさすがに忍びない。僕だって一人暮らしは長く経験している。そのくらいなら問題なく手伝えると思っていたのだが、「いえ、私がやります」と、きっぱり断られてしまった。


「お気持ちは嬉しいのですが、えっと……。私のもありますから」


 彼女の陶器のような白い頬が真っ赤に染まる。


「あぁ、そういうことでしたか」


 これはうっかりしていた。いずれは慣れてもらうしかないのだが、それでも今はまだ恥ずかしいようだ。


「なら、僕は食器を洗いましょう」

「お任せしてもよろしいのですか?」

「勿論ですよ。早く終われば、それだけ早く散歩に行けますから」


 彼女と一緒に時間を過ごせるのなら、このくらいの家事は当然の務めである。


「ところで深月さん、このような生活になったこと、後悔はありませんか?」


 僕が不安を口にするが、彼女は首を横に振る。


「後悔なんてありません。私、今とても幸せです」


 そう言うと、ふんわりと優しく微笑んでくれた。


「僕も同じです」


 特段何か起きるわけでもない、普通の日常。だけど彼女となら、きっと彩り豊かな日々を送ることが出来るに違いない。


「透さん、今日もよろしくお願いしますね」

「こちらこそ、よろしくお願いします」


 こうして今日も、穏やかな一日が始まる――。

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同棲 Rewrite版 あざみ忍 @azami_shinobu

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