ゆきやこんこ

あるまん

ふかく、ふかく

 大喧嘩だった。彼女のあそこ迄怒った顔は見た事が無かった。切っ掛けは些細な事だったのだが……多分に其れだけが問題じゃないのだろう。付き合い始めてから、いや其の前、先輩後輩の間柄だった時から沸々と煮え滾っていたマグマが一気に噴火した感じだ。


 一番の原因は……僕がずっと同棲の侭はぐらかしてきた事だろう。


 今の侭じゃ、いけなかったのかな……無論浮気などしてこなかったし、仕事も頑張っていたし、デートも祝い事も成る丈してきたつもりだ……でも彼女にとっては、しっかりとした「愛の確約」が欲しかったのかもしれない。

 年末なのに出て行ったアイツ……おせち料理等食材の買い物もする前だった。


 もう、終わりかもな……今更反省しても遅過ぎるが。


 そうは言っても冷蔵庫も空な状態では年を越す事が出来ない。コートを着て手袋を履き、学生時代から変わらぬ山岳用バックパックを買い物袋代わりに背負って近所のスーパーへと出かけた。


 ……


 年末というのに数えて10組も客が居なかった。本来なら車で隣町の大型スーパーに出かけるのだが其処で彼女に出くわしたら気まず過ぎる。取り敢えず数日間過ごせるだけの食糧があればいい、とうに新年など祝う気も無くなっている。カップラーメンでも総菜パンでもいいや、と自暴自棄になりかけてると……


 ……目の前に、何時の日か見た、赤い天使が居た。


 ……衝撃でぼうと立ち尽くす。天使は僕の眼の前でくるりとUターンして、親であるだろう人の元へと戻っていく……。


「もぅっ、店の中で走ったら駄目だって言ったじゃな……」


 ……勿論地元はここであるし、親戚等も居る筈である。年末に帰省していてもおかしくない。

 だが5年10年と会わないと、もう一生会わないとでも思ってしまうのか?


「……〇〇君?」


 勿論中学二年生当時より大人になっている。当時の様なポニーテイルな訳でもない、服装も赤じゃなく落ち着いたものだ。でも……


「お、おぅ……久し振りだな、美玖」


 ……赤いフリースを着た天使を抱き上げた彼女は、当時とはまるで違った……でも、解かる……解ってしまった。

「……久し振りね」

 そう一言だけ言い、彼女は俯く……十年振りの出会いというのに、どうにも……機嫌が悪い様だ。

「嗚呼……元気だったか?」

「……」

「まま、このひとだあれ?」

 ……先程の赤い天使は、彼女……美玖の娘の様だ。まだ2,3才だろうか? 昔の彼女と瓜二つだ。


「……何か、私に言わなきゃいけない事、あるよね?」

「?????」

 ……何の、事だ? 何せ10年振りの再会だ。特に喧嘩もしていた訳ではないし……あの時……あ、あの時の……

「……すっ、すまん、あの時は突然の事で吃驚して、直ぐ口を拭っちゃったな……お前にとって折角の初めてだったのに……」

 ……彼女はぽかん、としたが、直ぐにかぁ~~~っつ赤くなって


「そ、そっちじゃないわよおおおおお馬鹿ああああああああああ!!」


 スーパーの店内である。僕と同い年なんだから彼女も24歳の筈だ。そんな娘に大声で子供の喧嘩の様にポカポカやられてしまった……。

 因みに後で聞いた所、ファーストキスの口を拭いちゃった事じゃなく……折角メールアドレスを渡したというのに返信のへの字もしなかった事らしい。一応数年後にスマホを手に入れてから返したぞと言ったが、其の頃には別のアドレスになっていた様だ。


「少し……話をしない?」


 そう彼女に誘われる。嗚呼、と言うと彼女は帰省していた祖父母の家に天使を預けに行った。そして二人で、近所の喫茶店へ行く。


「元気だったか?」

「御蔭様で」

 そんなたわいもない挨拶で始まった、10年間を埋める作業。引っ越した後中々新しい土地に馴染めなかった事、其れでも新しい学校の部活で存在感を示し、友達や先輩後輩も出来た事、部活が忙しくバイトも出来ず、両親も同じ様に忙しくて大学生になる迄中々帰省出来なかった事……


「娘さん、そっくりだな」

「ありがとう……やんちゃで大変よ。一体誰に似たのかしらね?」

「どう見ても美玖だろ?」

 彼女はあの日の様な屈託のない笑顔で笑う。


「旦那さんとは仲がいいのか? 僕みたいなのと会ってて何か言われないか?」

「……」

 言い淀む彼女……地雷を踏んでしまった様だ……。

「……す、すまん、別に答えなくても」

「いいえ、別に隠してないし……3年前、娘がまだお腹の中にいる時、事故でね……所謂授かり婚するつもりだったのだけど、籍も入れれなかったのよ。私が大学卒業する迄とゆっくりしてたのがいけなかったかしらね? 人生何があるか解からないのに」

 ドキっとする……思えば彼女も、卒業したらすぐ籍を入れてくれると思っていたのかもしれない……。

「……どうしたの?」

「……いや、何でも」

「久々に会ったんだし、貴方も話しちゃいなさいよ……私ばかり話しちゃってずるいわ!」

「……そうだな」


 この後飲みに行こうと誘われた。僕は娘さんの事もあり固辞したが、美玖の両親・祖父母からも偶にしっかり休んで来いと言われたらしい。

「私の初めてを奪ったんだし、貴方に断わる権利はないわよ♪」

「う、奪ったとか人聞き悪いぞ! あれは美玖の方から……」

そぅわちゃわちゃしながらも居酒屋をはしごしていく……酔いが回る度合いに比例するが如く、二人はあの頃の様に、純粋な気持ちの子供に戻っていく……。



「ねぇ、メールが来なかった時、私がどんな気持ちだったか、解かる?……凄く、寂しかったんだから……無理矢理、しちゃったし、嫌われたかと思って……」



「そんな事……無いよ。むしろ嬉しかったんだ……高校迄親にスマホ持たせて貰えなかったし、早く連絡を取りたかった……」



「……」



「……」



「わたし、あなたのこと、さいしょから、すきだったのよ……じゃないと、はじめて、あげないでしょ?」



「ぼくも、みくのこと、きになってたんだ……ぼくの、ぼくだけの、てんしになってほしかった……」



……



……




 朝になると、外は一面の銀世界だった。何時もならばウンザリする筈の大雪……。

 でも、今だけは、二人の間に邪魔が入らない様、静かに、護っていて欲しい……。



……



……



 僕の前を、赤い天使が走っていく。


 天使は大雪が降ったあの時の公園で手を広げ、仰向けに倒れ込み、手足をわしゃわしゃと動かして、雪に天使の様な跡を作った。

「私は教えていないのに、同じ様な事をやるもんなのね」

「久し振りに美玖もやってみろよ」

「やぁよ、もぅそんな年じゃないわ」

「ままも、いっしょにやろう!!」

「ほら、倫もやろうって言ってるじゃないか、やれよ。僕は目を逸らしてるから」

「自分だけ第三者になるんじゃないわよ、貴方もやるの!!」



 ……かくして、目の前には、大中小3つのサイズの天使が降臨した……

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