第三章 崩れゆく秩序の中で

 灰色の空の下、高台の岩肌に二つの影が立っていた。

 足元には、爆発の余波で吹き飛ばされた瓦礫が散乱し、黒く焦げた土がまだ熱を帯びて煙を上げている。

 遠くの地平線では、かつて森だった場所が赤黒い炎に包まれ、ゆっくりと灰になっていくのが見えた。

 それは、ただの破壊ではなかった。

 まるで、何者かが「これから始まる」と告げる、静かな警告のように感じられた。

 少年――彼は今、自分の名を「アレン」と呼ぶことに決めていた――は、傍らに立つリラの横顔を見つめた。

 彼女の表情は沈んでいた。

 銀色の瞳に、深い悲しみと諦めが混じっている。


「この村だけじゃないの。最近、あちこちで……同じような“爆発”が起きている」


 リラの声は低く、抑揚を失っていた。


「大きな支配者が消えたあの日、多くの者が自由を手に入れた。けれど、それは同時に……秩序の終わりでもあったの」


 ノアは静かに頷いた。

 先ほど集落の生き残りたちから聞いた話が、頭の中で反響する。

 かつての絶対的な支配者――その影が消えた途端、

 彼に仕えていた者たちは統制を失い、欲望のままに暴走を始めた。

 略奪、破壊、そして今、残された古い兵器を無差別に使い始めたという。


「なぜ、そんな危険なものを……どこから手に入れたんだ?」


 アレンの声には、怒りよりも深い苛立ちが滲んでいた。

リラはゆっくりと息を吐き、答えた。


「……残っていたのよ。かつての支配者が隠し持っていた兵器庫に。管理していた者たちが離反して、勝手に持ち出したって話」


 アレンは拳を握りしめた。

 掌に爪が食い込み、わずかに血が滲む。

 無力感ではない。

 むしろ、胸の奥から湧き上がるのは、抑えきれない使命感だった。


「このまま放っておくわけにはいかない」


 だが、彼の力はまだ完全には戻っていない。

 かつての全盛期の三割、四割にも満たない。

 それでも、身体の奥底で何かが叫んでいた。


「動かなきゃ。俺が」


 リラが振り返る。

 彼女の瞳の奥に、静かで、けれど鋭い光が宿っていた。

 まるで、長い間待ち望んでいた何かを、ようやく見つけたかのように。


「あなたはやっぱり……“その人”なんだね」


 彼女の言葉は、優しく、けれど確信に満ちていた。


「守る者でもあり、壊す者でもあり……でも、本当は、誰よりも優しい人」


 アレンはうつむいた。

 称賛や期待の言葉よりも、今はただ、事実を知りたかった。


「リラ。この世界の――深淵はどうなってるんだ?」


 リラはゆっくりと頷き、静かに語り始めた。

 深淵の世界は、今、大きく三つの流れに分かれている。

 一つ目は、かつての支配者の残党たち。

 統制を失った彼らは、力と欲望のままに暴れ回り、各地で略奪と破壊を繰り返している。

 彼らの手には、まだ大量の古い兵器――「ラグナロック」と呼ばれる爆発物が残されており、その一つ一つが、今、各地で無差別に使われている。

 二つ目は、長い封印から目覚めようとしている古の影。

 深層の底で、静かに、しかし確実に力を取り戻しつつある存在。

 その復活が近づけば、世界全体が再び飲み込まれるかもしれない。

 そして三つ目――正体も目的もほとんど知られていない「第三の影」。

 彼らは、支配者にも、古の影にも従わず、

何百年、何千年もの間、深淵の闇に潜み続けてきた独立勢力。

 古い伝承では、かつて人間と深淵種が結託した末裔であり、特別な力を抑え込む術を操ると言われている。

 アレンの胸が、微かに疼いた。

 自分の力が制限されている理由。

 胸の奥に宿るはずの光が、沈黙を続けている理由。

 それは、きっと、この第三の影の仕業なのだろう。

――いずれ、対峙することになる。

 それを、身体の奥底が本能的に悟っていた。

 アレンは深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。


「行こう。まずはこの周辺から、何が起きているのかを確かめたい」


 声は落ち着いていた。

 だが、その底に宿る決意は、揺るぎないものだった。

 リラは静かに頷き、そっと、古い剣を差し出した。

 黒く、重々しい鞘。

 柄に刻まれた複雑な紋様。

 それは、かつて彼と共に倒れていた剣――今はただの古い武器ではなく、アレン自身が選んだ道を照らすための、唯一の相棒だった。


「これを……あなたが握るべきものよ」


 アレンは剣を握った。

 その重さが、手のひらを通じて、かつての自分を呼び起こす。

 まだ完全ではない。

 身体は痛み、力は限られている。

 それでも、確かに、何かが動き始めた。

 灰色の空の下、赤黒い荒野に、二つの影が歩き出す。

 崩れゆく秩序の中で、再び立ち上がる者の、最初の一歩だった。

 これは、ひとりの男が自ら選んだ、もう一つの闘いの物語。

 そして、世界が再び変わり始める、静かな序章。

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