世界に月が咲いた時
音羽影
世界に月が咲いた時
「ねぇ、何しているの?」
次の授業に向かう途中、何故だか自分でもわからないが、その奇妙な少女に声をかけて"しまった"。
その少女は、一言で言うなら、不思議だった。
着ている服も、髪型も何もかもが私達と違う。
校舎裏の木の影になっている所で、ただぼーっと上を見上げていた。
まるで、不自然な程、景色から浮き上がっているように見えて……
「どこも同じ……」
少女は、私が見えてないかのように独り言を呟やいた。
その言葉の方が異常だった。
全てが決められて、その通りに動く世界で、そんな当たり前の事を呟く少女が。
これ以上関わると危ないと、頭ではわかっていたけれど、その肩を掴んでしまった。
「ねぇ、さっきから声をかけているでしょ?」
その少女の顔がこちらを向いた。
綺麗な瞳、しかしその瞳は水色をしていた。
その水色がこちらをただじっと見つめている。
「貴女も同じ?」
何故か疑問形で聞いてきた。
「何の話よ」
「だって皆んな同じ姿をしているから」
「そりゃあ、ここは学校で……て!そもそも、あなた誰よ?どこのクラスよ?ていうか、どうしてここにずっといるの?」
「?」
私が矢継ぎ早に質問をすると、キョトリンとした表情をこちらに向ける。
コテンっと音がしそうなくらい首を傾げている。
早く、次の授業に行かないとなのに。
何で、校舎裏で、こんな変な子と会話しているんだろう?
「何を焦っているの?危険ないよ?」
「いや、だって……」
もし、授業に遅れたら……どうなってしまうのだろう?
私は授業に遅れた事がない。
周りの友達が遅れた所を見た事もない。
あれ?どうなるのかそういえば知らない。
ただ、漠然とそれをしてはいけないと思った。
「あなたは違うの、かも?」
「だから、何の話よ!というかあなた名前は?」
「名前?うーん」
その少女はさっきよりも難しい顔をして腕組みを始めた。
いや、自分の名前で悩むってどういう事なんだろう?
ますます、この少女の事がわからなくなる。
「名前は……無いけど、何でもいいや」
その少女は頷いて、そう答えた。
「は?え?」
今度は、こちらが難しい顔をする番だった。
「いや、名前が無いと困るでしょ?」
「?困らないよ?」
「いやいやいや」
「じゃあ、あなたが決めて?」
「いやいやいやいやいや」
何を言っているのだ、この子は。
こちらの混乱を他所に、その少女が私を真っ直ぐ見つめてくる。
ふと、その口元に笑みが浮かんでいた。
「一緒に、行こ?」
「は?何……え」
その少女は私の手を握ったかと思うと、地面を蹴り上げた。
そう、私ごと宙を浮いたのだ。
何が問題って、それが比喩表現ではなく、ただの事実だという事だ。
校舎は見る見る遠ざかり、空を飛ぶ配達用のドローンや、貨物船ともすれ違う。
私は、悲鳴をあげる暇も与えられず、そのまま落下を始めた。
その、轟音と足元から感じる冷たさに。
やっと、恐怖が追いついて、ギュッと目を瞑った。
ストンと気が抜ける音が小さく聞こえた。
「大丈夫?」
目を恐る恐る開けると、あの少女がこちらを覗き込んでいた。
気がつくと、私は、少女に膝と頭を抱きかかえられていたようだ。
「近い近い!」
そういうと、少女の顔が私から離れる。
けれど、辺りは暗いままだ。
いや、違う。今は夜なのだ。
「え、え、え……」
そう混乱する私の腕をそっと少女が掴む。
「こっちだよ」
そのまま、引きづられるように少女について行く。
こうなってはもうこうするしかない。
この暗闇に1人にならないだけマシだから。
そう言い聞かせる。
土の音だけを聞きながら、しばらく歩いた後、少女が立ち止まる。
私は転ばないよう、下しか見ていなかったから、その勢いで少しつまづきかけた。
「何?」
「ほら、見て」
その少女の指が指す方に目を向ける。
「……」
目の前には、初めての経験が詰まっていた。
目の前には、輝く月。煌めく星々。
それを映し出す揺れる海。
波が奏でる優しい音。
どれも言葉では知っている。
写真で見たことはある。
けれど、初めて見るそれらに言葉を失った。
だって、海の音がこんなに心地いい事も、星々がこんなにも目がチカチカするほど、キラキラに輝いている事も、月がこんなにも、目を細めたくなるくらい眩しいという事も、誰も、教えてはくれなかった!
「キレイ?キレイじゃない?」
そう尋ねる少女の瞳は、月明かりに照らされて少し揺れていた。
「海……」
少女の問いには答えず、そう答えてしまった。
でも仕方ないのだ、目の前のその瞳は、さっき見た海の景色と被っていたから。
少女はキョトリンとした、顔のまま固まっている。
「あ、違くて……えっと、そう!あなたの名前」
「名前?」
「ほらだって!名前何でもいいって言ってたから、ならもう、私がつけちゃおうかなぁって」
見当違いな答えを返した事が恥ずかしくて、口早にそう答えてしまった。
その事に、特に気にする様子もなく、少女は、海は、深く頷いていた。
「あなたの名前は?」
「え?……あ、えっと、藤咲花月です」
何故か、丁寧語で答えてしまった。
海は、満足そうに頷いて空を指差した。
「あれと同じ名前!」
海が嬉しそうに指さす先には、月が明るく輝いていた。
思わず目を細めてしまいたくなるその輝きに、
「キレイ……」
そう、口から溢れる。
私は、今日、自分の名前がこんなにも美しいものだったと初めて知った。
どれだけ経ったのかわからなくなった頃、ふと、裾を引っ張られた。
「どうしたの、海?」
「そろそろ帰る」
「帰る……あ!」
いや!そうだよ!次の、授業に向かう途中だったんだ!
やばいやばいやばい。
海は、にぃと笑いながらこっちを見ている。
人が焦っている姿がそんなにも嬉しいのか。
「大丈夫だよ、花月」
海が、そういうと私はまた宙を飛んだ。
2回目なら、平気か……そんなわけない。
むしろ、もっと怖くて。
でも、今回は少しだけ余裕はあって。
「ぎぃーやぁ〜」
そう、叫んでいた。
学校に戻ってきた。
外から教室の時計をチラッと見ると、時間はあまり経ってはいないようだ。
授業は遅刻だけど。
海は、「バイバイまたね、花月?」と手をぶんぶん振りながら何処かに走り去っていった。
凄い勢いで。
私の「またねー!うみー!」は、果たして届いたのだろうか?
授業に、遅れてやってきた私に、不思議な事に、誰も触れてはこなかった。
もしかしたら、私は、夢を見ていたのかもしれない。
もう、海には会えないのかもしれない。
でも、私はこの事を決して忘れない。
あの海の美しさも、自分の名前の美しさも。
世界に月が咲いた時 音羽影 @otohakage
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