1-3

 その夜、昼に仕事が終わったヒヤマは珍しく自宅に帰った。落ち着かず、ものの少ない部屋をぐるぐると歩き回る。

 興奮している自覚があった。

 こういった高揚はずいぶんと久しぶりだ。飲まれてはいけないと思いつつ、身を任せたい自分もいる。そうすることで良い発想が生まれることもあるからだ。

 パソコンをつけ、さっそく彼の睡眠データを開く。美しい理想的な曲線。それを他の今までのさまざまな被験者のデータと比べた。そして考えるべきこと――これから彼に協力してもらう検査のことを考える。

 気がつけば夕飯も食べることがなく日が変わっていた。もちろん眠気が来る気配はない。

 ヒヤマは眠ることができない。彼はいわゆる『完全不眠者』――睡眠薬の助けがあっても継続した睡眠を得ることのできない人間だった。

 とはいえ、少しも眠らないわけにもいかない。十一時ごろ、彼は薬を飲んでわずかながらの眠気がやってくるのを待った。

 薬が効き始めるまでのタイムラグ。その持て余す時間が彼は嫌いだった。否応なく、自分が薬を飲んだことを知らされる時間だからだ。そしてそうにも関わらず、彼には薬はさほど効いてくれない。

 不意に、コウダのことが思い起こされた。

 薬さえ飲まず、あっさりと入眠した男。

 この世界が陥った不眠恐慌と無縁の男。

 彼は知らないのだろう。夜が長いことも、優しくないことも、どうしようもなく苦しいことも。

 それでもヒヤマは彼を妬まなかった。

 そんなことは、本当は知る必要のないことなのだから。

 知らない方が良いに決まっている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る