冷蔵庫に住む月城リリカは婚約者だが可愛すぎて辛い

無変むくう

第一話 俺の婚約者は、冷蔵庫に住んでいる

――人はまず、生きるための欲求を満たそうとする。人間は欲望の束であるらしい。


人間の欲求は「三大欲求」と呼ばれることが多い。だが実際には、三つに収まるほど単純じゃない。

四つにも、五つにも、時には八つにもなる。


まずは三大欲求。

食欲――生きるために栄養を摂りたいという本能。

睡眠欲――身体と脳を回復させたいという欲求。

性欲――種を存続させたいという本能。


そこに加わるのが、

恐怖回避欲求。愛・所属欲求。承認欲求。

権力・影響力欲求。好奇心・探究欲求。


こうして欲求は、いくらでも増えていく。

人間とは、実に多様で、面倒で、無限に創造的な生き物だ。


――ただし、俺、相馬悠斗は、その欲求どれもが薄い。

腹は減るが必死じゃない。むしろ面倒くさい。

眠くても、眠くても、三時間も寝れば一日は持つ。欲望に振り回されるほど、器用な人間じゃなかった。


……なはずだった。


例外ができた。新たに、ひとつだけ。


《月城リリカ》という、大欲求だ。


月城リリカは、俺の冷蔵庫に住んでいる。

小さい。身長は一〇〇センチに届くかどうかだ。


雪のように白い肌に、淡い銀色の髪。

体温は低く、触れるとひんやりしている。

氷色の瞳は静かで、感情の起伏をあまり表に出さない。


服は身体にぴったりした白服ものを好み、動きやすさと冷気を逃がさないことを重視する。


そして何より――

冷蔵庫の中にいることを、彼女は少しも不思議に思っていない。そこが自分の居場所だと、当然の顔でそこにいる。


俺は、喉が渇けば、月城リリカを見る。

腹が減れば、月城リリカを見る。

理由は分からないが、それで全部が落ち着く。


そして俺は、いつものように何も考えず、

冷蔵庫の扉を開けた。


――冷蔵庫を開くと、婚約者がいた。

それも、当然の顔で。

そこにいるのが、月城リリカである。


体育座りで、棚にきれいに収まる角度。

首をかしげて、「おはよ」とでも言いそうな顔で、こちらを見上げていた。


(……うぎゅゅゅ、かわいすぎる)


月城リリカが、数ある欲求の中で最も強く求めているもの。それは――冷んやりしていて、狭くて、小さな場所。


つまり、冷蔵庫だ。


俺の家の冷蔵庫は、今日も婚約者の居住スペースになっている。


俺の胸のあたりまである、高さ一・五メートルほどの冷蔵庫。

内部の有効高さは、およそ五十センチ。


そこに体育座りをしているのが

――月城リリカである。


扉を開けた瞬間、器用に収まっているのが一目で分かる。冷蔵庫に住んでいるというよりも。冷蔵庫のほうが、月城リリカのために作られたサイズをしている。


食べものは端々に配置され、中ではコントローラーを持ってゲームができる程度の余裕もある。十分に狭い空間だと思うが、俺は絶対に入れない。


どれだけ小さな子どもでも、こんなふうに過ごすことはできないだろう。

ここは、月城リリカだけに、だけが、のみ

使用が許可された、居場所なのだ。


俺は相馬悠斗。

代々神を祀ってきた相馬家の、直系の後継者だ。

そして、月城リリカは――俺の婚約者である。


月城家は代々、相馬一族の管理下に置かれてきた家系だ。主従というほど単純ではないが、

対等とも言い切れない。


月城家が相馬家に仕え続けるための許嫁。

いわば、家柄同士の取り決めだった。


月城家は「箱」であり、箱から出てはいけない。出られないのではない。

出てはいけないと、教えられてきた。


相馬家は、その箱を開ける鍵を持つ。

そして――その箱の中にいるのが、

今も体育座りをしている月城リリカだった。


月城リリカにとって、冷蔵庫は檻じゃない。

安心できる場所だ。

俺が扉を閉めても、そこは闇にはならない。

それは月城家にとって、箱が呼吸と同じくらい自然なことだった。


俺にとっては、この生活はもう普通だ。

だが、君にも一度くらいは経験してほしい。


――さあ、開けてみるがいい。


冷蔵庫を開くと、

そこには月城リリカが待っている。

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