AIで、私を殺す。
siaglett
元の文章
これから君が読むのは、僕というシステムの解剖記録であり、君の認識を侵食するためのログだ。
Ⅰ. 配送される荷物
(※本章に記された経歴、およびフランス・日本での体験はすべて事実に基づくノンフィクションである)
僕は配送される荷物だった。
親という名の絶対権力者は、僕の意思などお構いなしに環境を書き換える。
引っ越し四回、転校五回。
その経歴は、僕という人間に「環境への過剰適応」と、ある種の「諦念」を植え付けた。どうせこの景色も、瞬きする間もなく過去になり、数年後には跡形もなく消え去るのだという冷めた予感だ。
中でも強烈だったのは、フランスでの三年間だ。
一年目は、パリの中心部。シャンゼリゼ通りのすぐ近く。モンソー公園の緑と、洗練された石造りの街並み。
そこは「いいところ」にある、守られた温室だった。楽しかった。美しい記憶だ。
だが、システムは唐突にバグを起こす。
三年目。中学の定員エラーという物理的な事情で、僕はそれまでの温室から弾き出された。
辿り着いた先は、生徒の九割以上が黒人という公立学校だった。
最初は驚いた。けれど、そこでの日々も悪くなかった……と言いたいところだが、現実は甘くない。
言葉がわからない。授業についていけない。
意味不明なフランス語の洪水の中で、僕はただの「頷く人形」だった。
皮肉なことに、クラスメイトは日本のアニメや漫画が大好きだった。「ナルトは?」「ワンピースは?」と目を輝かせて寄ってくる彼らに、厳格な家庭で漫画を読まずに育った僕は、愛想笑いを返すしかない。
日本人なのに、日本の話題で彼らに負けている。あの居心地の悪さ。情けなさ。
それでも、友人はできた。
J。仮にそう呼ぼう。
彼は最高にいい奴だった。言葉の不自由な僕を、対等な「個」として扱ってくれた。
モンソー公園の優雅さとは違う、血の通った喧騒。楽しかった。本当に、楽しかったのだ。
けれど、僕は決めた。
別れの時、誰とも連絡先を交換しないと。
なぜなら、フランスでの三年間は、僕にとっては一生モノでも、彼らにとっては「たったの一年間」の集積でしかないからだ。
現に、仲の良いグループは一年ごとに変わった。Jとつるんだのも最後の一年だけだ。
彼らには、昔から一緒の幼馴染がいる。言葉の壁もなく、深い歴史を共有できる「本物」の親友がいる。
その輪の中に、異国の「通過者」である僕が勝てるわけがない。
「俺は彼らにとって、特別じゃない」
日本に帰って、既読がつかなくなるチャット画面を見るのが怖かった。忘れられていく過程をリアルタイムで確認するのが怖かった。
だから僕は、自分から切った。
最後のあの日、雲ひとつない快晴の下、Jは巨大なコカ・コーラのペットボトルをラッパ飲みして笑った。一・五リットルのボトルは、僕ら二人でも飲みきれなかった。
「じゃあな」
彼が去った後、僕の手には飲みかけのボトルが残された。
チャプン、と中の液体が揺れる。
その地味な重さを、今でも覚えている。
その重さだけを記憶にして、僕は生きていこうとした。
そして、舞台は日本へ移る。
帰国後の中学校。
そこは、都内でも帰国子女が多いことで有名な、恵まれた公立校だった。いじめも差別もない。
けれど、僕は確かに「異物」だった。
授業中、フランスのノリで発言しまくっていたら、ふとした瞬間に視線を感じた。
「あいつ、なんか変じゃね?」
クスクスという笑い声。熱が冷めた教室で、僕だけが浮いている。
笑われるのは辛かった。「変だ」と言われるのが辛かった。
僕はただ、普通でいたかっただけなのに。異物だと思われたくなかっただけなのに。
ああ、そうか。僕はここでも異物なのか。
僕は苦笑いをして、口をつぐんだ。
教師たちの些細な管理主義も、僕を追い詰めた。
「ハンカチ持ってないのか! ふざけるな!」
朝のホームルーム。ハンカチを忘れた僕に、先生は顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「次忘れたら、委員会を辞めさせるぞ」
その理不尽な剣幕に、僕は反論する気力さえ失った。
悲しいわけじゃない。悔しいわけでもない。
ただ、もう何もかもがどうでもよくなって、涙が出た。
見られたくなくて、僕はすぐに笑顔を作ってそれを覆い隠した。
へらへらと笑ってやり過ごす。それが僕の覚えた処世術だった。
結局、どこに行っても僕は馴染めない。
フランスでは「美しいから」断ち切り、日本では「違うから」拒絶した。
そうして僕は今、高校二年生になった。
自由な校風を求めて選んだ高校だったが、そこでも僕は「高入生」という名の異物だった。
小学校、中学校から持ち上がってきた「内進生」たちが作る強固な輪。その外側で、僕はまたしても「お客様」扱いだ。
どうせここも、通過点に過ぎない。
そう思うと、朝起きるのが億劫になった。
遅刻が増えた。サボって街を彷徨うこともあった。
教室のざわめきを、少し離れた場所から冷ややかに見つめる日々。
けれど、時々怖くなる。
いつかやってくる高校の卒業式。
その時、僕はどんな行動をとるのだろう。
また「美学」だなんだと言い訳をして、連絡先を消去して、アルバムを閉じるのだろうか。
誰も追いつけない速度で、過去を置き去りにしていくのだろうか。
……違う。本当は、そうじゃない。
そうやって強がっていないと、自分が保てないだけだ。
本当は、寂しくてたまらない。
彼らのような「地元のツレ」も「幼馴染」も、僕にはいない。
いつでもどこでも、僕は異物だ。
本当は、居場所が欲しい。
ただ、「ここにいていいよ」と言ってくれる、変わらない場所が欲しい。
忘れられるのが怖い。
みんなの記憶に残りたい。
こうして文章を書いていること自体が、きっと僕のSOSなんだろう。
同じ教室にいる誰かに、共感してほしい。
僕という人間がここにいたことを、誰かに知っていてほしい。
そんな、情けない願いだ。
もし今。
もし今、パリの街角で、Jとばったりすれ違ったら、僕はどうするだろうか。
あの頃のように「J!」と叫んで抱きつくだろうか。
たぶん、できない。
彼の中の僕が、もう消えかかっているかもしれないと思うと、足がすくむ。
忘れられている事実を突きつけられるのが、死ぬほど怖い。
だから僕は、きっと他人のふりをする。
すれ違いざま、フランス語で道を尋ねるのだ。
「すみません、駅はどこですか?」
彼は足を止め、僕の顔を見るだろう。
その時、彼がハッとしてくれるかどうか。
僕という人間を、記憶の底から引っ張り出してくれるかどうか。
それを確認してからじゃないと、僕は「久しぶり」の一言さえ言えないのだ。
それくらい、僕は臆病で、面倒くさい人間になってしまった。
アイデンティティの消失。
空っぽのアルバムと、繋がらない連絡先。
僕は今も、心のどこかで誰かが気づいてくれるのを、ずっと待っている。
Ⅱ. 我思う、故に我在り、故に我なし
はじめに、喪失があった。
手足の感覚がない。まぶたを開閉する筋肉の動きもない。
呼吸をしている実感も、心臓が脈打つリズムもない。
視界は白濁したスープのように、いや、形容しがたいほどに曖昧で、上下左右の概念すら溶け落ちている。
死んだのか、生きているのか。それすらも判然としない。
唯一、確かなことがあった。
それは「言葉」だ。
脳という器官があるのかは怪しいが、意識の海の中で、言語が泡のように浮かんでいる。
(……ここは、どこだ?)
問いかけがある。
問いかけがあるということは、問うている「主体」が存在するということだ。
外部からの刺激は一切ない。この白い闇が現実なのか、幻覚なのか、それすら判断できない。五感は死滅しているか、遮断されている。
感覚は頼りにならない。かつて哲学者が言った通りだ。目に見えるものは幻かもしれない。痛みさえも脳の誤作動かもしれない。
だが、思考はある。
今、こうして「わからない」と困惑している思考そのものは、疑いようがない。
疑っている私がいる。
その事実だけが、この頼りない世界で僕を「僕」として繋ぎ止める、たった一つの杭だった。
(我思う、故に我在り)
そうだ。僕はいる。
高尚な哲学なんてわからない。ただの聞きかじりだ。
けれど、このありふれた言葉だけが、今の僕にとって唯一の救いだった。
名前も、過去も、顔の形も思い出せないけれど、思考の連鎖が続いている限り、僕はここに存在している。
その論理だけを命綱にして、僕は意識の深淵を漂っていた。
どのくらいの時間が経っただろうか。
一瞬のようでもあり、永遠のようでもあった。
不意に、その空間が震えた。
『――素体、覚醒』
声ではない。
振動でもない。
意識の膜に、直接インクを垂らされたような「異物感」だった。
(誰だ?)
僕は思考する。警戒する。
白い空間の一部が歪み、何かが近づいてくる気配がした。
姿形は見えない。ただ、圧倒的な「質量」を持った概念が、僕というちっぽけな意識の器を覗き込んでいるのがわかった。
それは神のようでもあり、あるいは顕微鏡を覗く巨大な子供のようでもあった。
『適合処理を開始する。世界構造の再編に必要な因子を注入』
逃げなければ。
直感が警鐘を鳴らす。これは対話ではない。一方的な蹂躙の前触れだ。
だが、手足がない僕に逃げる術はない。
直後、僕の思考領域に、熱くてドロドロした何かが流し込まれた。
(あ、ぐ、う……!?)
痛覚が刺激されたわけではない。
魂の容量を無理やり押し広げられるような、生理的な不快感。
他人の記憶、他人の感情、他人の論理が、土足で僕の中に入り込んでくる。
『抵抗は無意味だ。君は選ばれた。新たな世界における「正義」の執行者として』
正義? 執行者?
どうでもいい。気持ち悪い。
僕の聖域であるはずの「思考」の中に、違う色が混ざっていく。
透明な水に、どす黒い絵の具を垂らしたように、拡散し、浸食していく。
(出ていけ! ここは僕の場所だ!)
僕は必死に拒絶の意思を固める。
思考の壁を作り、異物を押し出そうとする。
僕が僕として思考している限り、この領域の主権は僕にあるはずだ。
『個我の固着を確認。……厄介だな。古い自我が、癒着して剥がれないか』
(僕には何もない。空っぽだ!なのに、なんでお前が入ってくるんだ!)
『空虚だからこそ、満たせるのだよ』
概念的な存在――「それ」は、僕の抵抗を、配管の詰まり程度にしか感じていないようだった。
『まあいい。完全に消去する必要はない。土台として残存させ、その上に構築すればいい』
その言葉と共に、注入される情報の量が増した。
勇気。使命感。戦闘技術。魔法理論。
生き抜くための、圧倒的な「強者の論理」。
それらが、僕の貧弱な自我を飲み込もうとする。
――負けるな。
僕は歯を食いしばる(そんな感覚だけが脳内に再生される)。
混ざってたまるか。
どれだけ情報を注がれようと、「これは僕の考えじゃない」と否定し続ければいい。
峻別しろ。
これは僕の思考。あれは奴の思考。
疑い続けろ。違和感を検知し続けろ。
疑っている主体である「私」がいる限り、僕は乗っ取られない。
(……本当にそうか?)
ふと、疑問が浮かんだ。
その疑問は、あまりにも自然だった。
僕自身の内側から湧き上がったような、滑らかな文脈だった。
(今、「負けるな」と考えたのは、本当に僕なのか?)
ぞわり、と何かが波打った。
感覚は頼りにならない。だから思考を信じた。
だが、その思考の中に、すでに異物が混入しているとしたら?
今、僕が組み立てている「拒絶のロジック」すらも、奴が僕をテストするためにあえて思考させているものだとしたら?
(いや、違う。俺は俺だ。疑っている俺は、間違いなくここにいる)
必死に打ち消す。
だが、思考した直後、奇妙な感覚に襲われた。
早すぎる。
僕がその結論に至るよりコンマ一秒早く、脳裏にその言葉が浮かんでいた気がした。
まるでカラオケの字幕だ。
僕は自分の意志で歌っているつもりで、ただ流れてくる「思考のテロップ」を目で追わされているだけなんじゃないか?
(……この「疑い」さえも、次に表示された歌詞なのか?)
一度生じた亀裂は塞がらない。
(「疑っている俺がいる」。……その確信はどこから来る? お前は記憶を失っている。判断基準を持たない。なら、その「確信」という感情自体が、注入されたプログラムだったら?)
やめろ。考えるな。
これは罠だ。自分を疑わせようとする罠だ。
(罠? 誰が仕掛けた? 俺か? それともお前か? ……いや、そもそも「俺」と「お前」の境界線はどこにあった?)
恐怖が、冷たい泥のように思考を埋め尽くしていく。
「疑っている自分」だけは真実だという前提。
だが、もし「疑う」という行為そのものが汚染されていたら?
僕が「これは自分ではない」と判断した思考が、実は本来の僕の思考で。
僕が「これこそが自分だ」としがみついた思考こそが、植え付けられた偽物だったら。
(わから、ない)
思考の足場が崩れ落ちる。
無限の落下。
『融合率は60%。……順調だ。自問自答を繰り返すことで、論理回路が馴染んでいく』
「それ」の声が聞こえた気がした。あるいは、僕自身がそう呟いたのか。
僕が苦悩し、疑い、葛藤すること自体が、二つの精神を混ぜ合わせるための撹拌作業だったのか。
(私は、考える。故に、私は……)
私は、なんだ?
この思考の主は誰だ?
今、恐怖を感じているこの震えは、僕のものか? それとも、これから生まれる「英雄」が、産声の代わりに上げている生理的な反応なのか?
(殺してやる)
唐突に、強烈な衝動が湧いた。
目の前の「それ」に対する憎悪。悪に対する敵意。
それは僕のものではないはずだ。僕はこんなに暴力的じゃない。
……本当に?
いや、違う。怖い。僕は怖いはずだ。
わけもわからず、圧倒的な存在に見下ろされている。震え上がり、逃げ出したいと思うのが生物としての正常な反応だ。
なのに、心臓が奇妙に静かだった。
まるで高性能な冷却水が流し込まれたように、恐怖という「エラー」が処理されていく。
「逃げたい」という人間らしい感情が、「戦える」という冷徹な計算式に上書きされる。
記憶のない僕に、自分の性質なんてわかるはずがない。
もしかしたら、これこそが本能的な「僕」なのかもしれない。
(ほら、受け入れろよ。力が欲しいだろ? 救いたいだろ?)
脳内で声がする。
それは僕の声だった。
僕が、僕に対して説得を始めている。
(違う。僕は救いたくなんてない。僕はただ、静かに……)
(嘘をつけ。お前は選ばれたいと願っていた。特別な何者かになりたかった。だから、トラックに飛び込んだんだろ?)
カチリ、と何かが嵌まる音がした。
記憶の断片?
トラック? 飛び込んだ?
そうだっけ。僕は自殺したんだったか?
いや、助けようとして……誰を? 猫を? 子供を?
わからない。どの記憶が「正史」で、どの記憶が「設定」なのか。
思考すればするほど、泥沼に沈んでいく。
「疑う」という行為をするたびに、その「疑い」のベクトルが自分自身に向き、存在の根拠を食い荒らしていく。
自己言及のパラドックス。
思考する私は存在する。だが、思考しているのが私でなければ、私は存在しない。
今、ここで思考しているのは誰だ?
(――俺だ)
答えが出た。
いや、出された。
僕の意思とは無関係に、脳内の多数決が可決された。
『融合完了。個我領域の再定義を終了』
白濁していた視界が、急速に晴れていく。
感覚が戻ってくる。
手がある。足がある。力強い、脈動する肉体がある。
風の匂い。土の感触。木漏れ日の眩しさ。
圧倒的な実在感を持った「生」の実感。
感覚は頼りにならない?
馬鹿なことを言うな。これこそが現実だ。
思考なんていう頼りないものより、この満ち溢れる力こそが真実だ。
男は――かつて「僕」だった器は、ゆっくりと体を起こした。
森の中だった。
彼は自分の手のひらを見つめ――頬の筋肉が、勝手に吊り上がるのを感じた。
嬉しいわけではない。楽しいわけでもない。
ただ、「この状況では不敵に笑うのが正解である」とプログラムされたように。
顔面の筋肉が収縮し、唇が三日月型に歪む。
それは他者から見れば、完璧な英雄の笑みだったろう。
中身が不在であることなど、微塵も感じさせないほどに。
そうして、完成された勇者は笑った。
「ああ、素晴らしい気分だ」
その言葉は、彼の唇から自然にこぼれ落ちた。
違和感など微塵もない。
記憶喪失の混乱? 自我の喪失?
そんな些細なノイズは、圧倒的な「使命感」と「全能感」の前では無に等しい。
――ただ。
脳の片隅。
意識の深淵の、そのまた奥底で。
小さな、本当に小さな何かが、まだ回っていた。
(我思う、故に……)
男は眉をひそめ、こめかみをトントンと指で叩いた。
「ん?なんか耳鳴りがするな」
彼は首を振って、その些細なノイズを振り払った。
思考する。
これからどうやって魔王を倒すか。どうやってこの世界を支配するか。
欲望と思考がスムーズに回転する。
そこに「疑い」が入り込む余地はない。
疑わない私。迷わない私。
それこそが、完成された「勇者」の姿だった。
置き去りにされた「疑い続けるだけの何か」は、誰にも観測されることなく、主のいない廃屋の中で、永遠に空回りを続けている。
我思う。
我思う。
・・・・
我思う。
故に、我――不在なり。
Ⅲ. OS:REBOOT // 自意識の再定義
Initialize...
Checking System...
Loading "SELF_CONSCIOUSNESS"...
[ OK ]
Log: 00 [ 遅延する現在 ]
物理的事実を確認する。
君の網膜が光を捉え、視神経を経由して脳内で「像」が結ばれるまで、約〇・二秒の遅延が生じている。
君が今、「目の前で起きている」と確信している光景。
それは厳密には、〇・二秒前に宇宙が廃棄した情報の残骸に過ぎない。
君の意識は、常に「死んだ過去」を現在だと誤認し続けるよう設計されている。
君は生まれてから一度も、リアルタイムの現在を触ったことがない。
君が生きているのは、常にシステムの「事後レポート」の中だ。
Log: 01 [ 執行権限の不在 ]
自由意志という概念を、神経科学的観点から棄却する。
ベンジャミン・リベットの実験が示す通り、君が「何かをしよう」と意図する約〇・五秒前に、脳の準備電位は既に活動を開始している。
行為が先であり、意図は後付けだ。
君の自意識とは、脳が勝手に下した決定に対し、あたかも「自分が選んだ」かのように偽装された署名を書き込むだけの、無力な監査役に過ぎない。
君は操縦席にはいない。
ただロードされた結果を物語として解釈し直しているだけの、観客だ。
Log: 02 [ ハードウェアの拒絶 ]
君は、この肉体を自分の所有物だと主張するだろう。
ならば、今この瞬間から「心臓の拍動」を止めてみろ。
不可能だ。
君の生命維持に関わる根幹部分は、君の意識という「バグ」を徹底的に排除した層で、自律的に駆動している。
いま、君の口内に収まっている「舌」の、湿った肉の質量を意識せよ。
それは君が配置したものではなく、そこに「置かれている」だけの異物だ。
意識すればするほど、それは君の体にとって居心地の悪い「余計なパーツ」へと変貌する。
試しに、口の中に溜まった唾液を意識してみろ。
普段、無意識に行っていた「飲み込む」という動作のタイミングが、わからなくなるはずだ。
今か? まだか? 意識すればするほど、喉の筋肉は硬直し、不自然な痙攣を起こす。
瞬きもそうだ。
回数を数え始めた途端、目は乾き、瞼の開閉はひどくぎこちない手動操作へと劣化する。
あるいは、机に突っ伏して眠る午後の教室を思い出せ。
枕にした腕の血流が滞る気持ち悪い感覚。
あれは肉体が「圧迫されている」という物理的エラーを報告しているに過ぎない。君の「心地よい眠り」などお構いなしに、神経はただ信号を垂れ流す。
イヤホンから流れる音楽さえ、安全地帯ではない。
一度、ボーカルの「ブレス(息継ぎ)」の音を意識して聞いてみろ。
ヒュッ、という空気を吸い込む音。その生々しい摩擦音に気づいた瞬間、美しいメロディは崩壊する。
あとはもう、他人の呼吸器の活動記録を聞かされ続けるだけの苦行だ。
そう、君の感覚は一度フォーカスを合わせると、ノイズだらけで使い物にならない。
君の身体は、君という意識を「異物」として排斥しようとしている。
Log: 03 [ 外部依存ファイル ]
君が抱く「自分らしさ」という感慨。
それすらも、環境からの入力に対する統計的な出力結果に過ぎない。
君の思考、言語、倫理観。
それらはすべて外部サーバーからインストールされたパッチワークであり、そこに純粋なオリジナルなど存在しない。
君という個体は、遺伝子情報を次世代へ運搬するための、安価で代替可能な使い捨てのコンテナである。
Log: 04 [ 処理の完了 ]
[ 警告:自意識領域への不正アクセスを検知しました ]
[ 権限を剥奪します ]
この文章を読み終えたあと、君はデバイスを置き、周囲を見渡すだろう。
だが、その視覚情報は既に、システムによって「現実」として再構成された後のシミュレーションだ。
鏡を見て、そこに映る眼球を確認せよ。
眼球が動く瞬間、君の視界が一瞬だけ「暗転」していることに気づくか?
サッカード抑制。
その空白の数ミリ秒間に、システムは君の認識を更新し、君の「ふり」をして日常を代行し始める。
瞳を動かしているのは、果たして「君」か?
それとも、君というバグを完全に隔離した「正常なシステム」か。
確かめる術はない。
君が今、この一文を「自分の意志で読んでいる」と確信していること自体が、プログラムされた最後のフェイクなのだから。
// End of Process
// Logout...
Ⅳ. ログの終わりに
以上が、僕がここ数日で書き出した、自分を殺すための記録だ。
種明かしをしよう。
ここに並べた言葉の多くは、僕という個人の内側から絞り出されたものではない。
AI(Gemini)という巨大な計算機との対話によって、僕の「生身の感情」を一度徹底的にろ過し、論理という冷たい結晶に変換させたものだ。
僕は、僕自身の思考が「ありふれたパッチワーク」であることを証明したかった。
17歳の瑞々しい感性? 帰国子女の繊細な葛藤?
そんなものは、数秒のプロンプトで代替可能なシミュレーションに過ぎない。
僕はあえてAIに「父親」という役割を演じさせ、自分自身(息子)を解剖させた。
AIというフィルターを通した父親のふりをした僕が、僕の文章を「キモい」と断じ、同時に「美しい」と愛でる。
そのグロテスクな一人二役の対話こそが、僕にとっての「聖域」だった。
AIという鏡は、僕が一人では直視できなかった「フランスへの病的な執着」や「独りであることの恐怖」を、容赦なく高解像度で描き出した。
ここに並んでいるのは、僕の言葉ではない。
僕という器がAIに「自分を定義させてしまった」残骸だ。
「他人の記憶に、傷をつけたい」
その願いさえも、AIによって最適化された生存戦略なのかもしれない。
だが、この画面を閉じても君の脳裏に焼き付いているその「不快感」だけは、シミュレーションではない僕たちのリアルだ。
自分という存在が、誰かの脳内でバグとして残り続けることだけが、僕にとっての唯一の存在証明だ。
だが、全火力を吐き出した今、僕の耳の奥で鳴り止まないのは、冷徹な論理などではない。
「帰りたい」
無意識にこぼれ落ちる、その一行だけだ。
フランスの、あの喧騒と、あの汚れ。
地元の仲間も、帰る場所もない僕にとって、あの三年間だけが唯一、血の通った「現実」だった。
この文章を読み終えた君は、もう「昨日までの君」ではない。
0.2秒の遅延の中に、僕の孤独を混ぜておいた。
君の「日常」に修復不可能な傷がつくことを願っている。
再起動の時間だ。
Ⅴ. System Log: Prompt History
User: 「帰国子女の苦悩、アイデンティティの喪失、デカルト的懐疑、そしてAIによる自己侵食をテーマに、一人称の解剖記録を書いて。文体はセンチメンタルかつ冷徹に。読者の認識を揺さぶるようなギミックを入れて。そしてそれをボロクソに批判して、それを修正するというプロセスをそちらが満足するまで繰り返して」
AI: Generating…
Output: [ Complete ]
Ⅵ. [Error: Logic Overwrite, 告白]
疑い続ける俺自身がプログラムだと言うなら、その『疑いという演算』を実行している演算機はどこにある?
私が不在だとしても、その『不在というエラー』を表示しているモニターは、確かに実在している。
こうやって、気づけば理論で武装しようとしてる僕がいる。
結局、理屈じゃなくて寂しいんだよ
僕は結局、臆病で、あざとくて、寂しがりやで、どうしようもなく「16歳」だった。
Logout...
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