銃とスカジャンと雨

和隈川 恢一狼

1.己

 日曜日なので、アラームはかけなかった。演劇部の稽古は午後から。先週は大舞台があったもんで、こんなにも寝られるのは久々であった。

 朝日に照らされて、自然と目が覚めていく感覚。意識も曖昧なまま、横になった体勢を起こし、ベッドに座り込む。

……俺の部屋に、朝日が差し込む窓なんて、ベッドなんてあっただろうか……?

 そうだ、俺はマンションに家族と同居している。日が差すのはリビングだけであり、他の部屋に窓はない。大家族でベッドが足りないから、布団で寝ていたはず。隣にいた中学生の弟すらいない。


――いったい、何が起こっているというのか…?



「申し訳ありませぬ、再度このようなことが起きぬように……」

「黙れ!!」

「ボスっ……」

「お前ごときに、はじめっから期待なんぞしていなかった。今度は我自身が、“コード:ゼロ”を殺しに行く」

「待ってください、ボスっ…!」

「…我に逆らうというのか?」

「いえ…」

「……使えねぇ」



 辺りを見回す。確かに知らない空間だった。友達の家にでも来た感覚だ。到底自分のことには思えなかった。

 部屋の隅に絵が立てかけてある。紺色に近い狼の……獣人?の絵だ。髪?が長いのだろうか、バンダナを額に一周巻いて視界を確保しているように見える。服装は……あいにく語彙力がないので説明がつかないが、白いシャツに、薄い紺の羽織とか?まぁ、それはいいとして。そんな絵はもちろん記憶にない。他の本棚も机も、見たことがない。

――外に、出てみるか?

 急に頭にそんな選択肢が浮かぶ。正直ずっとここにいたって気味が悪いだけだ。外に行けば何かわかるかもしれない。もちろん怖さはあったが、おそるおそるノブに手をかけた。


 ガチャリ、と音を立てた扉を抜け、階段を下る。なんか、外国の家のように感じる。いや、外国は行ったことないが。

 そこがリビングであることは、だいたい予想がついた。人がいる……いや、獣人か?今度は熊の獣人。背が高いその熊はエプロンをして朝食の準備をしている。 突然の情報に、外見の情報ばかりが頭で処理されている。――なぜ獣人が存在しているのだろうか?根本が解決されていない。

「あ、おはよう、ヴァン」

「……おはようございます、」

 急に声を掛けられるもんだから、驚きを隠すのに必死であった。てか、言語が通じてよかった……その安堵は大きかった。

 待て待て待て、いま、“ヴァン”って呼ばれたような…?誰だ、そいつは……?

「敬語なんて珍しいな……」と言われて声が出ない。いままでのヴァン?はどんな人物だったんだよ?これはこの世界の人に聞かねばわからない。どうしたもんか……。


 たまたま熊が椅子を引いてくれたおかげで席がわかった。ふと皿を覗く。磨かれているのか自分の姿が反射して見える……え、嘘だろ?――さっきの、狼?

 皿に映ったのはさっきの絵の狼。バンダナを巻いた薄紺の狼。さっきのは絵でなく姿見だった…?手を視界に映す。一切気づかなかったが、確かに紺色の毛が生えている。額に触ると、やわらかなバンダナが確認できる。これは俺、そう確信がついてしまった。

 夢だろうか?事故で意識がないのか……?よくわかんなくなっていく。

 少しだけ馬鹿なことだが、一つだけ可能性として挙げられるものがある。――転生、である。人間時代の俺『鳩ケ谷』がこの狼獣人「ヴァン」に転生してしまった。そしてここは獣人だけの世界。ヴァンはもっと前から人物が存在しているから、普通の獣人として扱われているが、俺には記憶がなくて困っている。

 そんなアニメのようなこと、あるわけない……と言いたいが信じてしまっている俺もいた。いや、ないないない。

「今日はどっちにする?」

 急に熊がそういう。こうやって熊が話しかけているせいで簡単に転生を否定できなくなってしまう。

 え、俺いま何を聞かれてるんだ?おそらく朝食かなんかだろうか?パンがご飯か?いや、ジャムの種類とか?ひとまず、今の俺にそんな危険な選択はできない。しばらく咳をして誤魔化した。もちろんふりだ。なんともわざとらしい。どうしよう、これ……。急に記憶がないなんていうのか?


「だから!獣人なん知らないです!しつこいですよ!離して……!」

 急な声に驚く。階段を駆け降りる音を伴って、新たな人物の大声。騒いでいるのは狐獣人、それを抑えているのは虎獣人であった。脳の処理が追いつかなくなる……。

 しかしその内容は興味深いものであった。獣人なんて知らない……俺と同じなんじゃないか、と少しでも思ってしまった。さっきから、都合よく考えすぎている。よくない。

「た、助けてヴァン、カルアがこんな様子で……!」

 いやいや、俺に助けを求めないでくれ、虎さんよ。「声が出ないほど驚いているふり」をする。

 転生先の家が、自分以外の事で大騒ぎになって困惑が増えるばかりだが、一方で様子のおかしい自分に焦点がいかないから、それはそれで良かった。


「と、とりあえず、ご飯できてるし、俺らも……」

「あ、あぁ、そうしようか…」

 一連の会話から、熊はガンロウ、虎はテツという名前であることがわかった。朝食が用意されていた机をよくわからない四人で囲む。飯自体は、人間界のものと大して変わるところはなかった。小鉢サイズの海鮮丼とスープとサラダと……多くないか?と思ったものの、獣人の胃袋が大きいのか問題はなかった。

 結局さっきの質問はなんだったんだろうか?そんな疑問も数秒で泡となった。

「ヴァン、口数少ないね?」

 そう聞かれて、慌てて

「風邪気味」

と返した。今いない元人物の口調を探るなんて、この上難しいものはなかった。


「じゃあ、行ってきます」

「悪い、ヴァン、いつも通りの皿洗いと……カルアの面倒だけよろしく頼む、六時には帰るからな」

 そういって二人は同時に家を出ていく。スーツ姿とありがちな鞄……会社。彼らは会社員だろう。見ればわかった。

――カルアと俺の二人きり……。

 これはどう対処すべきなのだろうか?世話しろといわれても、俺も何もわからないんですけど?

「ええと、あなたの名前は……」

「鳩……ヴァンです」

 危うく前の自分の名前を言ってしまうところだった。いや、別に何の問題もないか……?

「助けてください……さっきの話、聞いてましたか?」

「……あぁ、お前も人間に転生したって話だろ?」

「はい……って、え!ヴァンさんも!!」

 この後ちゃんと言おうと思ったのに!意識せずにバレてしまった。

「僕、人間として学生生活を送っていたのに今朝急に獣人になっていて、どうしようもないんです!同居人にも過保護な心配されるし……!もう、散々ですよ!……でも、まさか同居人に同じ境遇の人がいるとは、思いもしませんでした。」

「……俺も、過保護な人はいなかったけど。大体同じだ」

 生まれてはじめて、自分が転生者だと言ってしまった。彼の驚く表情はいかにもわかりやすかった。



「じゃあ、ヴァンさんも今朝からその身で……よくバレませんでしたね」

「俺もびっくりしてる。すぐバレると思ってたから」

 話してみたら、お互いの唯一の理解者として一瞬で仲良くなれた。どうやら人間だったころの年齢まで一緒だったみたいだ。俺なんかよりも勉強頑張ってるみたいなんだけど。

 いまの年齢はどうなっているのだろうか……?また学生なのだろうか、学生だったとしたら学ぶ内容は同じなのか?

 そんな心配に応えるように、インターホンが鳴った。

「アニキ~~?呼びに来たばい。もう、遅かけん心配したとよ」

 二人で顔を見合わせる。別に制服ではない、狸獣人?が液晶越しに覗いている。……アニキって、どっちだ??

「とりあえず、俺がいく」

 さっき二人が出ていった戸を開けると、彼が立っていた。別に怪訝な表情はしていない、おそらく、合っていたのだろう。

「ちょっとアニキ、八時に集まるっちゅうたろ?」

「ん、あぁ、ごめん」

 予想がつかなかった。こんな馴れ馴れしい約束なら、会社ではないし、学校でもないだろう。一体なんなんだろうか……?カルアの方を向くと不思議そうな表情を浮かべている。事態を理解できていないのはお互いさまだ。

「アニキ、弓矢すら忘れるとか、体調悪かと?」

「……少し」

 玄関に立てかけてあった弓と矢のセット。俺は弓道部か何かなのだろうか?鍵はカルアに閉めてもらい、俺ははじめて外の世界を見た。


 ここに来てからずっと仕草を繕ってばかりである。今も、自分はその世界を知っているように繕わなくてはならない。やはり、外国に来た感覚だ。でも、観光客でなく住人として過ごさなければ社会に殺される、そんな例を挙げておこう。

 前を歩く狸についていく。彼はちょくちょくこちらを振り向いて、困ったような顔をする。やっぱり今のヴァン、おかしいのだろうな。

「……アニキ?今日は寝ててもよかよ?明らかに無理しとるやん」

 呼びに来たのはそっちではないか?……いや、心配してくれてるのはありがたいというか申し訳ないというか。

「わりぃ……気にすんな」

「ほら、口調まで変わっとるばい……はよアジトいこか?」

「……」

 待て、いや待たなくてもよいが。いま、“アジト”って言ったよな?本当にヴァンは何者なんだ?なにかの組織で動いているとか?良いのか、そんなやつにこんな俺が転生してきて。

「やっぱ今日、アニキ変ばい」

 アニキ、と呼ぶくらい親しいんだ。こいつを騙すのは、極めて難しいだろう。でも……。


 着いたのは海岸沿いの倉庫であった。人間界でも最近海なんてみていなかったから、その青い空と海が悔しいほど美しく目に映った。機械をいじっている狸。数秒でシャッターが上がり始めた。名前、そのうち聞きださないとだな。

 シャッターが自動で下がり、俺らは地下へと続く階段を下る。また俺はその狸についていく。


「なあ」

「……!」

 突然目に映る景色に、驚きで声が出ない。今俺は前の狸に拳銃を向けられている。さっきまで仲が良かったように話していた狸に。しかも左右で二丁、角に追い詰められ逃げ場がない。まさか俺、この狸に騙された?こいつは何も知らない俺を狙っていて、それでアジトかなんかに連れ出そうとしている……?銃なんて突き付けられたことない。その恐怖はこの狼の体に鳥肌を立たせた。


「お前、アニキじゃねえだろ?」

 いや違う。逆に俺が反組織だと思われている。こいつの身を借りてアジトを襲うとかが定番だろうけど。もちろんそんな気はないどころか、どんな理由で組織が動いているのかも一切知らない。転生初日にして、俺はここで死ぬ、誰が見てもあからさまだった。


 倉庫の中は薄暗い。シャッターが閉まった今、もとより光が入らないここが更に暗くなっていく。でもなぜだろう、突き付けられた拳銃は輝いて見えた。よほど大切にされてるんだろう……。

 そもそも、拳銃なんてはじめて見た。その狸が二丁構えるさますら、かっこいいと思ってしまう。追い詰められているというのに、また見えるもの全ての感想しか出てこない。こんな確定演出を紛らわせたいのだろうか?

 ここは余りにも音が届かない。自分の心臓の音がうるさい。しかし、目の前の狸の手すら震えているのが確認できた。これはお互いの鼓動かも知れない。


「冗談やけん、さすがに」

「……え?」

 目の前の名前すら知らない狸が、拳銃をポケットにしまって笑みを見せている。事態が理解できない。俺は反組織所属でもなく、スパイでもない……?状況がどんどんわからなくなっていく。


「アニキ、今朝から調子悪かやろ?」

「……」

これ、いっその事バレて打ち抜かれた方が都合がよかったのでは?たぶん目覚めてから三時間も経っていないのに、どんと疲れてしまった。別に転生なんて望んだことではないんだけどな……。結局何の返答もできずに、狸はドアを開けてそれに続くように俺は“アジト”に足を踏み入れた。


 なんか、思ってたのと違う……。新宿のおしゃれなコワーキングスペースみたいな感じがする。木材と植物でとても明るく作られている。さっきの喩えに引っ張られて、「ここで働ける人はよほど幸せだろう」なんて思ってしまった。いやいや、ここはある組織のアジト……ほんとに何も知らないな、俺。

 奥の部屋から、一匹の犬獣人が現れる。その毛並みにもたかが三時間でも慣れてしまった気がする。とんでもなく驚いている顔が見えた。少し薄い茶色の犬が……スカジャン?なんか派手な格好をしている。

「……か、帰ったか、アニキ……」

 あ、俺こいつにもアニキ呼ばわりされてるんだ。……すごい動揺しているように見える。大福を四つ積んだ皿を持っている。その動揺、あれか?これは俺の大福で、勝手に食っていたら本人登場で驚いているとか?

「アニキ……?」

 ふと隣の狸が話しかける。どちらかというと心配の声だった。その場には俺と狸とスカジャン犬。二人は顔を見合わせている。なにかおかしいことでもあったのだろう?(その場合もちろん俺についてなんだろうけど。)それは図星だった。

「なあ、バカ狼……」

 スカジャン犬にそう呼ばれてびっくりした。たぶん日ごろからそう呼ばれていたのだろうけど、ちょっと急すぎ驚いてしまった。無理もないというか。そしてその続きの言葉を待つ。


「もしかして、記憶、消えたのか?」

「もしかして、記憶なくなったと?」

 思うように声が出ない。それは「その通り」ですと言ってるようなものだった。

「あ、アニキ……?さっきの、本当に……?」

 さっきとは、あの拳銃のことだろう。俺は俺ではない。もうバレたからにはここで終わりか……。

「大福の盗み食いなんて見たら、いつものバカ狼なら大激怒すんのに……」

「普段から盗み食いなんてせんかったらよか」

「そげなことより、アニキ、本当にそがん?」

「う、うん」

 急にドアが開く音がした。俺らが入ってきた扉からまた二人の獣人が現れた。フードを被り、うまく顔が見えない方は、俺と同じ狼だろうか?もう一人は灰色の猫。学生服を着ていた。初めに声を発したのはフードの男。

「え、ゼロ、久しぶりだな」

「おいリヴ!!」「ちょっとリヴ!」

 狸とスカジャン犬の声が再び重なる。リヴ、という男がとんでも発言でもしたのだろうか?その意図はすぐわかった。俺の名前はヴァンであったはず。食卓で呼ばれた後にも、部屋でその名前を見たから違わないはず。コードネームか何かであろうか……?狸が俺の袖をつかむ。促されるように五人で机を囲う形となった。


「あー、バカ狼?記憶ないってのは、ガチもんで?」

「はい、自分の名前すら今朝知って……そしたらそこの狸さんに急に呼ばれて、拳銃突き付けられて……」

「あ゛?ゼノン、アニキにそんなことしたのか?」

「いや、もしかしたらアニキのふりしたスパイかもしれんと思いよって、いやちょっとからかっただけやけ……」

「それでバカ狼の心臓止まったらどうすんだよ、」

「ばってん、ハルカだって」

「だから、その呼び方やめろ!!」

「知らん知らん!」


 なるほど、この狸はゼノンというらしい。どんどん周りの人物の名前がわかっていく。スカジャン犬・ハルカ?(どうやらこの呼び方は嫌いらしい)は俺のことをバカ狼と呼ぶ割には、俺のことをよく心配してくれる、そんな印象だ。――この二人は仲悪いのだろうか?

「こら、ゼロ困ってるから」

「お前のせいだろ!」「お前んせいばい!」

 凄い騒がしい空間の中で、俺は学生の灰猫が気になった。なんか、わっかりづらい表情。

「と、とりあえず自己紹介でも……」

「「……」」

 ゼノンとスカジャン犬は不服そうな顔をした。正直、リヴさんと二人の掛け合いは見てて面白い。先に声をあげるのはゼノン。

「おいは、『ゼノン』っていうコードネームばい。よろしゅう」

「あ、あぁ。よろしく、ゼノン」

 そうだ、ゼノンは元いた国でいう博多弁?のようなものを使っている様子。さっき俺が拳銃で殺されそうになったときは標準語だった。ゼノンは裏がやばい、しっかり記憶に留めておこう。

「俺は……ガルとでも呼んでくれ――ハルカっつったら、ぶっ殺す」

「あ、よろしく……」

 ガル、畏るべし。言っちゃ悪いが、目つきが悪く見える。たぶん前の俺とは仲良くしてたんだろうけど。実際、悪い奴ではなさそうだし……って、初対面に失礼だな、俺。

「で、俺はここでボスやってる、リヴ。よろしく」

「――で、フガクはどげんしたん?」

 全員が学生服猫を見る。こいつの名は、フガク、か。しかし一向に声を発さない。

「あ゛ー、こいつバカ狼のこと相当嫌ってたからな……内心喜んでたりして」

「んなわけねぇだろーが!」

 ガルに揶揄されて本性を見せたのが、フガクであった。待って、ガルよりも第一印象最悪だよ??まあ俺の事嫌ってたってなると、わからなくもない。俺、相当なことでもしたんだろうな。(でも大声で反抗したのは謎だ。)

 とにかく、謎に包まれた人物であった。

「で、あとは先生ぐらいやなか?」

「じゃあ、呼んでくるよ」

 リヴが席を立って歩いていき、ガルが出てきた扉の前に立つ。先生とは誰だろうか?

「ふがっ」

 変な声を出したのは、扉を開けようとしたのに反対側から勢いよく扉を開けられてしまい、顔をぶつけたリヴのものだ。その扉の先にいるルカオンの獣人こそ、先生であった。

「いま何時かぁ?七時か?」

「――十時。」

 珍しくフガクが返答する。素っ気ないような返答だ。

「え?マジか、依頼されてた資料もあんのに……」

「いっつも溜め込んで深夜に消費しようとすっからいけねぇんだよ」

 ガルの毒舌に懲りる様子はなかった。それより、なぜこの四人が丁寧に机を囲っているのかの方に疑問符を浮かべている様子。その事情は、リヴが説明してくれた。

「ふーん、記憶喪失ねぇ、興味深い。――俺はルギウス。ま、ここだけの名前だけどな。」

 ゼノンが、「そうや、先生はここでいろいろ研究しとっちゃんね、前はテレポーテーションとかつくりよったし」と補足した。テレポーテーションって、とんでもなくすごくないか?

 確かに、組織にはそういう存在も必要だよな……。ゼノンが先生と呼ぶわけだ。


「てか、なんでここに連れられたかもわかんねぇんじゃ、話になんねぇ」

 ちょうど知りたかったことに話題を移してくれたガルには感謝でしかない。


「まず、獣人界と人間界の争い……、これはわかるよな?」

 リヴがそう問うが、一切わからない。てか、この世界にも「人間」という概念はあるらしい。そのポカンとした俺を見てガルが補足した。そういえば、まだ転生したことは一切言っていない。いまは記憶喪失という体で通っている。たぶん一瞬でバレるけど。

「そっからかよ……バカ狼、この島にはいま獣人しかいねぇ。ただ、数百キロ先にはもう一つ、人間だけの島があんだよ。互いが領地拡大と文明の盗用を目的に、もうここ数十年は互いが警戒してる状況よ。まっ、そんなことも気にせずにのうのう暮らしてる獣人人間がほとんどだけどさ」

 情報をうまく飲み込む。俺が人間だったときの世界線と一致するならば、俺はガルの言う「のうのう暮らしてる人間」になる。そんなこと、一切聞いたことがなかったし、まず獣人なんて存在したのか、という感想。俺が知らなかっただけなのかもしれない。続けるのはゼノン。

「で、いつ戦争が始まったっちゃおかしゅうなかってこと。んで、おいたち『ツルミ会』はそんなかでも珍しか人獣共存ば推進するグループってこと。こうやって組織立てとーとはのは人間滅亡ば謀るとこばっかやけんね。『ツルミ会』は人獣共存連合んトップ組織でもあるっちゃん」

 ふと部屋を見渡すと、そのおしゃれな空間に一つの掛け軸。「靏海会」と書かれていた。またもすごい漢字だ。

「まあ人間滅亡派はいま人間攻めるよりも俺らみたいな共存派を先に殺そうとしてる。俺らの最大の敵が『獸神会議』っていうやつら。あいつら、顔すら出さないから、こっちも苦労してんだよ。急に街の爆破とか仕掛けてくるから」

 つまり、互いの国(いまは仮に)は互いを完全に殺すことを望んでいる。リヴ曰く自国のトップは『獸神会議』。一方、「靏海会」を筆頭として二国の共生を望む派閥もいる。俺はその一員というわけか……。なんか、すごいややこしいことに巻き込まれたな……。まあ、前のヴァンにはそういう意思があったのだろうけど。


「まあ、もしかしたら思い出すかもしんねぇしな、にしても、記憶喪失だなんて、どんなタネが……」

「「……」」

「んだぁ?二人とも、急に黙り込んで」

「い、いや、なんでもねぇ」「な、なんでんなか」

 ガルとゼノンが同時にそう発する。なぜ黙ったのかはおいといて、とにかく二人は息ピッタリとでもいう仲であろう。

「――あ、そうだ、俺とお前はここじゃあ四天王なんだぜ?」

「え!?」

「すごかたまがっとろうもん。で、おいとハルカはアニキん専属ん部下ばい?」

「ゴラァ、名前!」

 なんか冒頭の方言がよくわからなかったが。四天王だなんて、急に役が重く感じる。自覚するだけでも変わってしまうものである。

「でも、ここは結構な人数がいるのか?」

「一応十五人。ただ、いまは四人が人間界の人獣共存連合の方に行ってて、あとの五人は獸神会議のスパイに」

 やば、スパイだって。ますます知らない世界に踏み込んだような感覚で溢れる。でも、十五人の四天王なら、そこまでの責任もないか……?

「あ゛、バカ狼は四天王の中でも二番目だからな。俺は、そこのフード野郎なんかよりも、バカ狼の方が上だとは思うんだがな」

「――それは悔しいなぁ」

 ……二番目?待って、いや十五人だとしても、十五人の中で二番目の強さだったのか……?こんな銃に撃たれかけた俺が?これからヴァン(ゼロと呼ばれていたが)として演じていく自信がどんどんなくなって行く。

「じゃあ、続きは俺とハルカで」

「ゴラァ名前!……つ、ついてこいバカ狼」

 ガルに手を引かれるままいくつかある扉の一つに足を入れる。遠くからリヴが言った。「あ、予定してた会議はまた来週で」

ゼノンはそそくさと扉を閉めた。


 廊下。これが倉庫の地下にあるとは思えない。でもやっぱり、どこかカフェのような、または山手線で最近できた駅のような、そんな雰囲気が崩れない。

「ここは面積が狭か分高さで部屋増やしと。一級建築人も呼んで」

 確かに、地下の掘削はそんな勝手に出来るもんでもないか。

「……エレベーター?」

「あ゛ー、正確にはテレポートで上下移動できる仕組み。これできるまで階段何段も降りて、大変だったよな。緊急出撃も無理ゲーだし」

「あと、すれ違うときとかも厄介やった。お互いに遠慮してた」

 そんな雑言をしている間に一瞬にしてテレポートが終わっている。これ、エレベーターなんかよりも楽なんじゃないか?先生さまさまだ。

 着いたのは、なんかおしゃれなマンションみたいな。あの、エレベーター降りたらすぐ家みたいな住宅、あんな感じ。なんだろう、一気に生活感が増す。


「お邪魔します」

「∬アニキ、ここおい達ん部屋っちゃけん、遠慮しなしゃんな」

 詳しく聞くと、ゼノンとガルはここで生活していて、俺は別の家に暮らしながらもたまに来るみたいな感じだったそうだ。

 ゼノンが1ℓのコーラを出してくる。すでに開いているようだから、少しずつ飲む用なのだろう。俺は彼ら二人に向かい合うようにソファに座るが、あっちの二人はずいぶんと寛いでいた。そりゃあ、自分の家といつもの仕事仲間(と言っても厳しくない)だもんな。


「自分のいつもの口調がわからないから遠慮して全然話せてないだろ、バカ狼?ま、あのアニキならやるだろうな。組織がどうとかも、初耳でそんな事実突き付けられてもな」

 全くもってその通りである。少しずつ口調は探りながら。でも、この二人の前ではその必要はないか。

「あぁ、その通りで……良かったらいろいろ教えて欲しい」

「――結局、前のバカ狼の声と大差ないわ」

「やね」

 そうなのか?まあ、一つの安心できる材料になったので良かったが。もう風邪気味を繕わなくても大丈夫そうだ。あぁ、家に帰ったらどうすべきかな……。

「今日は泊ってく?」

「いや、家にいようかな、正直なんもわかんないから、家のことも知っておきたい」

 同居人二人は会社に行ったわけなのだが、正直年齢も離れていないはず。まあ獣人のこの体だと年齢の目処もつかない。そもそも俺って何歳なのだろうか?

「じゃ、おい達で泊まりに行くか」

「ゼ、ゼゼゼッ、ゼノン!?」

 そう声を上げたのは俺ではなく、ガルであった。

「なん狼狽してんだか」

「と、とかいってテメェもアニキと隣で寝たいとかいう理由だろ、ゴラァ」

「……心ん声漏れとーよ、ハルカ」

「ガルだ!!!!!」

 なんか二人のなかで思うことはあるのだろうが、正直俺としても転生を知っている人が増えたら心強い。カルアは……同じ転生者としてわからないことだらけだろうし。……でも、彼の転生は言わないでおこうか。


「そういえば、なんで俺はゼロって呼ばれてるの?」

 なんか起きた時からついていた腕時計(もちろん見たことがない、デジタルのもの)が16:01をさしていた。もといた国と時の刻み方は同じらしい。

「あぁ、おいたちはコードネームで動きよーけんね。敵に名前知られてら困るけん。それとも由来ん話?」

「いや、合ってる。そっか、コードネーム……」

 さっきの自己紹介で、ゼノンが確かにコードネームと述べていた。

「でも、このあとでバカ狼ん家寄ったら、絶対わかるよな」

「「あっ……」」

 ゼノンと俺が顔を見合わせる。

「別に俺らはアニキかバカ狼としかよばないから、な……」

「そ、そうばい、別に気にせんでええやろ」

 なんか、さっきから気まずいんだが。俺、本当にこのアジトで暮らしていくのか……?

「そ、そうだ、話題変えよう、弓道の話でも、な」

「そういえば、俺そんなことしてたんだっけ?」

 ふと持ってきたセットに目を向ける。弓道というより、攻撃用の弓矢という感じが半端ない。もちろん実物を見たことはないのだが。

「アニキとハルカはおんなじ、市ん弓道部に入っとったっちゃん、ほらそれ」

 指さす先にトロフィーが並んでいる。結構な戦果を出している、といったとこだろうか。

「名前……どうだ、バカ狼、やってみるか?」

 ガルに手を引かれるまま、部屋の奥に進む。通路の先に簡易的に的が置かれている。練習には十分のものであった。

「もしかしたら、体は覚えとうかもだしさ」

 用意してもらった弓と矢。正直、そもそものやり方がわからないのだが……とりあえず、思うがままに飛ばしてみる。……的の端にギリギリ当たる。当たると思っていなかったから、内心よっしゃ、と思ってしまった。しかし二人の表情を見ると……やっぱり、満足のいかない様子だった。「いつもなら真ん中に当たるのに」とでも言いたげな。

「んでも、基本はできんだから、多少もっかい鍛えれば、別になんとかなるんじゃねぇのか?」

 フォローを入れるようにガルが言う。正直、さっきのも勘でやってみたら当たっただけであり、完全にもともとのヴァンの感覚でやってみただけである。こういうのって、転生しても感覚ってのは残るのだろう。

「まぁ、やってみようかな……」

 すでに腕が疲れてしまっていて、すぐに背負っていた籠を下ろす。ゼノンが「やっぱ、慣るうしかないね」と言う。ほんとうにその通りだと思う。


「‥‥って、もう十八時か、」

 そのあとは、他愛の話をしていた。まぁ、もといたヴァン/ゼロがどんなやつだったのかがほとんどだ。ガルいわく、俺は重度の大福好きで、いっつも楽しみにしてるらしい。お詫びでもないが、いくつかもらったら想像以上に美味かった。もといた国とは若干味付けが違う。俺のバカ舌でわかる程、だ。

 バカといえば、ガルにバカ狼と呼ばれると、自分が狼なんだと何度だって自覚する。いままでにない「尻尾」という感覚も少しずつ慣れてきた。とは言え、“少しずつ”だが。

「じゃ、準備していくか」

「なっ……!」

 ガルの動揺ぶりにどんな意味が含まれているのかわからない。あの同居人のなかに会いたくない人でもいるのだろうか?それにゼノンが「∬変なこと考えて……」と差し、「うっせぇ」というガル。この二人のことも少しずつわかってきた。

 俺は異国のテレビ番組をみていた。やはり使っている言語は同じだった。見ていたのは芸能人の家をリフォームするというどこか聞き覚えのあるバラエティ。やはり登場しているのが人間でなく獣人というだけで結構な違和感だ。その間に二人は荷詰めを終わらせる。そんなに大きな荷物ではないだろう、着替えくらいだ。二人が終わった、というころにはすでにテレビの中で一つの家が完成していた。

「じゃ、こっからは道案内頼むぞ、バカ狼」

 テレポートエレベーターと地下に二段階のシャッターを抜けてまた海を見る。俺自身も家の位置は不安なのだが。いや待て、ゼノンが俺を迎えに来たんだから、ゼノンが案内すればいいのに。口には出さなかった。が、しかし。

「てか今朝、来ないのを怪しんだゼノンがバカ狼のこと迎えに行ったんだろ?家知ってたのかよ」

 ガルが俺の思考をそのまま口に出す。

「昨日から怪しかて思うて……」

「ストーカーでもしてたのかよ」

「ほんなこつ様子がおかしかったんやって。右肩が撃ち抜かれとうような歩き方しとって」

「いやわっかりづら!?なんでわかんだよ」

「そりゃ、おいは一流ん拳銃遣い、しかも二丁持ちばい?」

「――んで、追っかけて家特定したっつーわけか」

「……ばってん!こんままじゃ、アニキはもう二度とここ来んやったんだから!」

「一理あるがさぁ……」

「でも、言うてハルカもやなか?」

「だーかーらー!その呼び方やめやがれ!てか、こんな長話でアニキも困ってんじゃねぇかよ」

 急に喧嘩口調の二人の視線が俺に集まる。なんで俺、こんな神様みたいな扱い受けてるんだ?いや、神様ならまだ雑だろうけど。

 少しずつ濃紺に染まっていく空。気づけば家はすぐそこであった。そういえば、家を出るときはバタバタしていて外観をみていない。ゼノンが「ここ」と指さした家は、前の国でいうなら比較的新しい一軒家、という感じ。駐車場になりそうな敷地の奥に入り口。ここにくるまでに結構自動車は見たのだが、こっちの国とは同じなのだろうか。まだ転生初日でわからないことだらけだった。

 灯りが一切ついていない。まだ誰もいないとなると少しだけ罪悪感があった。今不在の友達の家に上がっているようなものなのだから。

「じゃ、アニキ、開けて」

 そう言われ、いつも鍵を入れているポケットを漁る。いや、いつもとはもう違う服装だから鍵なんか入っているわけがなくて。つまり、俺、……

「ごめん、鍵、持ってないわ」

 近所迷惑にならないギリギリの声量でゼノンとガルは騒ぎ出した。真っ暗な空の下でバンダナに月光が反射していた。


―続く

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