殻を割る

五十嵐ユウ

Hello New World

 ピシピシパラリン。

 私の殻が割れました。


 昨日の昼、おでこにヒビが入っていたので、もうそろそろだとは思っていたのです。


 「貴方も大人の仲間入りね」なんて、ヒビを見た両親は喜んで、その晩は御赤飯が出たりしました。



 私達人類は18歳になると、人間という殻を破り、大人へと変態します。

 ある人は、犬に、ある人は蝶へと、その変態は様々で、多様性のある社会なんて言われていますが、家系によって固定される事が殆どです。



「貴方もきっと、立派なカピバラになれるわ」


 だからあの日までは、両親と同じように、私もカピバラになるのだと信じていました。

 殻を破る、その日までは。


「……サボテン?」


 その時の周りの反応といったら、地獄絵図と言って差し支えないでしょう。


 母親は泣き叫び、父親は暴れて家具を壊し、一人、まだ人間である弟の正樹だけは、そっと私に耳打ちをしました。


「姉ちゃんは、なんでサボテンになったの? サボテン好きだったっけ?」

「別に、特には……」


 そう聞かれて初めて、殻が割れる直前『玄関のサボテンに花が咲きそうだ』と、思っていたことに気が付きました。



「たまにある事なんですよ。遺伝よりも、殻が割れる直前の意識に、変態してしまう現象が」


 両親に連れて行かれた大きな病院でそう言われた後、もう両親の興味は私にありませんでした。


「ユリはこんなに可愛いんだから、きっとすごく可愛いカピバラになるわね」

「結婚するなら、カピバラかせめて動物じゃないとな……虫や植物は邪道だよ」


 思い返してみると、最初から「私」への興味なんて、なかったのかもしれません。

 娘として、将来自分達の血を継ぐカピバラとして、興味があっただけなのだと、殻を破った今なら分かります。


「……知りたくなかったなぁ、そんなこと」


 一階で両親と正樹がテレビを見ながら笑っている声を聞きながら、毛布に包まって泣きました。



 悲しい。虚しい。辛い。憎い。憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。



 ズタズタになった毛布を握りしめながら、何度も脳内で両親のことを刺しました。


 私の針で、両親の事もズタズタに出来ればどれほどスッキリするでしょう。


 それを実行に移さないのは、ひとえに弟の為でした。


「姉ちゃん、大丈夫? 必要なものがあれば買ってくるからね」

「学校にはしばらく休むって連絡入れたから、落ち着くまでゆっくりしよう!」


 両親とは違い、弟の正樹だけは、以前と変わらず私に接してくれました。

 針で生活すらままならない私を気遣い、両親の代わりに世話を焼いてくれる。

 以前から優しい子でしたが、両親があからさまに態度を変えてからは、その優しさが痛いほど傷口に染みました。


「……ごめんね。私の世話もだけど、正樹にばっかり期待がかかって、辛いよね?」


 殻が割れてから一週間。

 気持ちも落ち着いてきたので聞いてみると、正樹は優しく笑いました。


「そんなこと、気にしてたの? 今は姉ちゃんの方が大変なんだから、気にしないで」


 今日も正樹の言葉が、痛いほど心に染みます。


 二週間たち、三週間たちしてくると、私もサボテンとしての生活に慣れて、学校にも行けるようになりました。


 最初こそ奇異な目で見られましたが、植物の同級生が他にもいることから、皆徐々に私という存在に慣れてくれました。

 それでもやっぱり、必要な時以外誰も話しかけてくれませんし、話しに行っても恐怖が目に映るのです。

 休み時間がこんなに苦痛なのは初めてでした。



「やっぱりサボテンスーツを買うか、針を抜くしかないのかなぁ……」

「どっちも高いし、身体に良くないって言うよ?」


 日曜日の昼間。両親がいないのを見計らって、今日は一階で正樹とゲーム三昧です。

 私のコントローラーには、もちもん針専用のカバー付き。


「そうなんだよねぇ……実際に試したっていう、サボテンの人達もそう言ってた」


 ネットで情報を集めてはみたものの、どれも良いものではありませんでした。


「あー! また負けたぁ!」


 サボテンになってからというもの、ゲームでは負け続けです。

 生活には慣れても、ゲームの操作性はまだまだ修行が必要みたい。


 私がコントローラーを投げ出すと、正樹は出かける準備をし始めます。

 最近は以前よりも、出かける頻度が増えた気がするのは、気の所為ではないでしょう。


「友達とサッカーしてくる! 夕飯までには帰るから」


 弟を玄関で見送ってから、居間でサッカーをしてみました。

 ボールもない、空気と戯れるだけのサッカー。


 針だらけの足の動きはたどたどしくて、空気相手でも上手く動いてくれません。

 その動きに腹が立って、針を何本か無理やり引き抜くと、じんわり血がにじんで床を汚してしまいました。

 ああ、なんて。なんて、惨め。


「サッカーで殻が割れたらどうするの!」

「高校時代は殻の内側が育つ大切な時期なんだ! サッカーは中学で卒業しなさい」


 両親に言われて辞めたサッカーの記憶は、私の部屋に写真立てに入れて飾られています。


 針を抜いただけじゃ収まりきらず、写真立ても、人間の頃の姿を思い出す洋服も、全てズタズタに引き裂くと、足の痛みも少し遠のいた気がしました。



 どれほど時間が経ったのでしょう。

 思い出の残骸が転がる部屋の中で座り込んでいると、慌てふためく両親の声が一階から響いてきます。


「サッカーは辞めてってあれほど言ったのに!」

「もう二度とサッカーはさせないからな! 学校もしばらく休みなさい!」


 階段から下を覗くと、頭に包帯を巻いた正樹の姿と、その脇を支えて歩く両親の姿が見えました。

 察するに、サッカーで頭にヒビが入ったのでしょう。


「殻を破る前の段階で自然と入るヒビは問題ありませんが、内側が成長しきる前に怪我などでヒビが入った場合は要注意です! ヒビが治るまで絶対安静です!」


 学校の保健の授業で何度も聞いた言葉です。

 確か、一週間ほどで元に戻るのだとか。


「少しは正樹に恩が返せるかも!」


 私の時のように世話を焼こうと張り切りましたが、両親の張り切りが凄まじく、近付くことすら叶いません。


「……私にできることと言ったら、正樹に宿題を渡すぐらいかぁ」


 少しがっかりしながら職員室から出ると、隣の教室から笑い声が聞こえてきました。


「正樹も災難だよな! 姉ちゃんがサボテンになって、次は自分も怪我してさぁ!」

「姉ちゃんのこと、散々馬鹿にして調子に乗ってたけど、これで大人しくなるんじゃねえ?」


 サボテンになって、耳まで悪くなってしまったのでしょうか。



 フラフラと足元もおぼつかない状態でなんとか家にたどり着くと、電話をしているのか正樹の陽気な声が漏れ聞こえてきます。


「告白してきたのはあっちなのに、さあこれからって時にやっぱり無理って! 無理やりやろうとしたから蹴られるし、本当に最悪!」


 耳に届く言葉が脳内で暴れ回って、今にも吐いてしまいそう。

 床も天井も右も左も分からない。

 私はどこに立って、誰の声を聞いているのでしょう。


「女って本当にそういうとこあるよな! チヤホヤされて調子に乗ってさ! うちのもサボテンになって家継げなくなったんだから、もっと大人しく引き込もてりゃいいのに!」


 居ても立ってもいられなくて、ノックもせずに扉を開けると、正樹は慌てて電話を切りました。


「おかえり! 口の悪い友達がいてさ、それで」


 苦しい言い訳。

 私が変わったから、正樹も変わってしまったのでしょうか? それとも元々?

 分かるのは、私の味方なんて、どこにも居なかったという事だけです。


「正樹も、私と同じサボテンになる?」 

「……へ!? 何言ってんの?」


 いつもの優しい笑顔ではなく、その笑いは酷く歪んでいました。

 サボテンになってからよく向けられるようになった、見下しと侮蔑の笑み。



 ピシピシパラリン。

 弟の殻が割れました。


 ようこそ。オトナの世界へ。

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