シュレディンガーの卵

蝌蚪蛙

本編

智子ともこ、ストップ!」

 午前の授業が終わったお昼休み。

 早速お弁当にありつこうとしたところに突然の制止命令。

 言葉の勢いに思わず私は動きを止める。

 中途半端に手を掲げたなんとも滑稽な格好で。

「どうしたの、らん?」

 口だけ動かして声の主であるクラスメイトの蘭へ問いかける。

 蘭の出で立ちは長い金髪にやや派手目の化粧。スカートも明らかに短い。黒髪ショートに眼鏡の地味な私とは大違いだ。

 普通の学校なら複数の校則違反になるがうちではそうはならない。進学校なのでそもそもこんな生徒がいる想定の校則ではないからだ。実際、彼女の成績はかなりいい。私には敵わないけど。

「手に持ってるの、よく見せてよ」

 こちらに手を差し出す蘭。寄越せということらしい。

 まるで警官の取り調べだ。

「別にいいけど……」

 意図はわからないが断る理由もない。彼女の奇行はよくあることだ。実際、それが楽しいからつるんでいる。

 掲げた手を下ろしながら握っていたものを渡す。

「ふ~、ギリギリ間に合った。あと少しでも遅かったら割られてたね」

 安堵する蘭。

 その手の中には卵、正確にはゆで卵が一つ。

「ただのゆで卵だよ。私のお昼のおかず」

 卵は栄養価の高い食品として知られている。育ち盛りの高校生である私の健康を気遣ってか、母親が毎日お弁当に卵料理を入れてくれるのだ。でも、時間がない時は殻があるのをいいことにこんなふうにゆで卵がカバンに放り込まれる。

「返してよー。私、お腹減ってるんだけど」

「ちょっと待ってね。天然かどうか当てるから」

「なんだ、そんなことで止めてきたの」

「自分の隠された才能を確かめたいの」

「そんな大袈裟な……。どうせ二分の一の確率で当たるじゃん」

 この時代、食品としての卵は二種類ある。

 一つは古来より行われてきた養鶏により得られる〝鶏卵〟。俗に言う

 もう一つは驚異のテクノロジーにより生み出された〝亜卵あらん〟。俗に言う

 鶏はトウモロコシを食べて卵を産む。特に何の不思議もない真実。

 私が生まれるずっと前、一人の科学者がこれに対して突拍子もない考えを思いついた。

『卵はトウモロコシでできているといっても過言ではない。すなわち、トウモロコシを品種改良すれば卵を実らせることもできるのでは?』

 あまりにも飛躍した発想。

 とはいえ、当時は生物の遺伝子を自由にデザインできるゲノム編集技術が隆盛を極めていた時代。世間は机上の空論と一蹴したが、その科学者は黙々と研究を進めた。その努力に本人の天才的な頭脳が合わさったことで開発は順調に進みーー。

 こうして、鶏卵のような実をつけるトウモロコシ、タマコーン(英語表記:maizegg、漢字表記:玉子蜀黍)が誕生した。紛らわしいので英語圏ではナスの名称(英名:eggplant)の変更を余儀なくされたらしい。

 亜卵と呼ばれるタマコーンの実はしっかりと殻に包まれており、見た目も味も鶏卵と瓜二つ。さすがに栄養価は鶏卵に劣るが、生産コストははるかに安く大量に栽培できた。

 最初は珍しかったらしいが、今や鶏卵の廉価版としてどこのスーパーでも取り扱っている。私たちにとってはメジャーな食品だ。

 ――目の前の友人に意識を戻す。

「うーん。決め手に欠けるなー」

「見ただけで分かるわけないでしょ。そもそも割らずに見分ける方法なんて……」

「あるよ」

「あるの!」

 思わず大声を出してしまった。

「ライフセーバーのいとこから聞いたんだ。水に沈むのが鶏卵で浮かぶのが亜卵」

「へー。何でそんな事知ってるの?」

「詳しくは知らないんだー。なんでもそのせいで救えなかった卵があるんだって」

 どうやら最近のライフセーバーは人以外も救うらしい。彼女のいとこに何があったか気になるところだが今は後回し。

「じゃあ、私のゆで卵でも試すの?」

「いやいや大丈夫。そもそもゆで卵にすると亜卵も沈んじゃうみたいだし」

「そうなんだ。じゃあもう中身を見るしかないね」

 鶏卵と亜卵は構造的に違いがいくつかある。

 一つは殻と卵白の間にある卵殻膜。亜卵は植物の果実が殻を纏ったような構造になっている。そのため、鶏卵における卵殻膜に相当するものは一般的な果実の果皮にあたる。繊維質なため方向性があり、卵殻膜より裂けやすい。

 最も顕著な違いは気室の有無だ。採卵から時間が経つと、卵の丸い方の内側に気室と呼ばれる空間が生まれる。内部の水分が蒸発するのが原因だが、元が果実である亜卵は収穫後でも気室が生じない。

「それには及ばないよ」

 自信ありげに答える蘭。

 目をつぶり卵を自身の耳元へ。

 軽く振って耳をすます。

 当然、私には何もわからない。

 一方の蘭は目を開け、ニッコリと笑った。

「これは……鶏卵だね!」

「すごい! 正解!」

「へっへーん!」

「なんで分かったの?」

「勘!」

「なんだ。当てずっぽうか」

「そんなんじゃないもーん。卵の声を聞いたの」

「わけの分からないこと言わないでよ」

 そう言いながら蘭の手からゆで卵を取り返す。

「まあ声が聞こえるのは冗談。でも、なんとなく分かるのは本当だよ。今まで外したことないもん」

「ふーん」

「あー、信じてないでしょ」

「一回当てただけじゃない。十回連続で判別できたら信じてあげてもいいかな」

「よーし。じゃあ十個持ってきて」

「そうなにあっても食べれないわよ」

 他愛のないやりとり。

 ふと、重要なことを思い出す。

「あっ!」

「何? どうしたの?」

「このゆで卵、もしかしたら亜卵かも」

「えっ! どういうこと?」

「うちには鶏卵と亜卵がどっちもあるんだけどさ」

「そりゃどこもそうでしょ。卵かけご飯はやっぱり鶏卵の方がおいしいし」

 亜卵は生だとどうしても隠しきれない青臭さがある。だから生食には鶏卵が最適だ。生食文化のある日本の家庭では両者は厳密に管理されている。一方で熱を加えて調理する場合はどちらでも問題ない。なので基本的には賞味期限の早い方が料理に使われる。

「今朝は亜卵と賞味期限の迫ってた鶏卵を一つずつ茹でて、私と弟のお弁当のおかずとして一個ずつ持たせたんだった」

「てことはつまり……」

「このゆで卵は二分の一の確率で亜卵ってこと」

「何それ。シュレディンガーの卵じゃん」

 うまいこと言うもんだ。中を見れば一発で分かるというところまで同じ。

「ということで、答え合わせをしようか」

「お願い! 私の才能を証明して」

 別に蘭のためではない。空腹が限界なだけだ。とはいえ、気にならないといえば嘘になるが。

 蘭からの期待の眼差しを受けながら卵を掲げ――。

 コンコン。

 机に軽く数回叩きつける。

 ゆで卵の表面に入る無数のひび。

「じゃあ剥くね」

「早く早く!」

 ひびに爪をたてる。

 その時。

「おいおい、嘘だろ!」

「これどうなるんだ?」

 教室の一角で上がる声。

 男子たちが何やら騒いでいる。

「なになに、どーしたの?」

 すかさず蘭が問いただす。

「ニュース見ろ、ニュース」

 一人の男子がぶっきらぼうに返す。

 訝しみながらスマホを取り出す蘭。

 卵の殻剥きで手が塞がっている私。とはいえ騒ぎの原因が気になって作業を続ける気になれない。数分前と同じように滑稽な格好で固まっていた。

「これか! ……マジ!?」

「私にも見せてよ」

「これこれ」

 興奮気味に蘭が画面を見せてきた。

 そこには一つのニュース記事。

 タイトルは――。

『亜卵から鶏のような生物が誕生! これは鶏か、はたまたタマコーンか』

 記事によると、アメリカで収穫した亜卵の一つがし、鶏のような生物が生まれたらしい。遺伝子を調べるとタマコーンの突然変異個体だそうだ。問題は、タマコーン自体がゲノム編集により遺伝的には鶏とトウモロコシのハイブリッドのような存在であること。

 これは結局、鶏なのかタマコーンなのか。

 記事ではこう結論付けられている。

『これはこの鶏のような生物が生んだ卵から何が生まれるか次第だろう』

 手に持ったゆで卵。

 その表面のひびから小さな殻のかけらが落ちた。

 まるで何かが生まれるみたいに。

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