地球牧場仮説
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地球牧場仮説
「よう、ケイン。ひょっとして、お前も休憩か?」
「ん? あぁ……。まぁ、携わってる仕事も一段落したんでな。そっちもか?」
ケインは離れた位置からした声に反応すると、顔を上げて前を向く。
「うーん……。そう、だな。もうほとんどは終わってるか。後は、時が来るのを待つだけって所だな」
こちらにやって来ていたのは、ケインと同じように研究者風の白衣を纏った男だった。
「? 何だ、そりゃ。何を言っているのか、よく分からんが……」
「まぁ、気にするな。それより、何を見てるんだ?」
すぐ側までやって来た男はやがて立ち止まると、テーブル越しにケインの正面に腰を下ろす。
今二人がいるのは休憩スペースらしき場所で、丸いテーブルや白い椅子などが何組か設置されていた。
飲料や菓子などの自販機も何台か設置され、それらが放つ機械的な光を受け止めるように壁際には観葉植物も並んでいる。
「あぁ。例の地層探査のニュースだよ。前に見た時から時間が経ってるから、何か進展がないかと思ってな……」
「うぅん? そう言えば、そんなのもあったか。最近は仕事にかかりっきりで、外の情報に触れる事もほぼなくなってたからなぁ」
やがて男は遠い目をしながらサングラスを持ち上げ、ふと立ち上がっていった。
「大丈夫か? あまり仕事中毒になってるとリチャードみたいに心を病んで、どこかに連れてかれちまうぞ」
対するケインは応じつつも、なおも手元にあるノートパソコンに視線を落としている。
「あぁ。あいつ、最近見かけないと思ってたらそんな事になってたのか……」
「何せ、ここの仕事は極秘中の極秘だからな。エリア51みたいな身代わり、肩代わりの場所とは訳が違う。わざわざこんな辺鄙な地域の、さらに地下にあるのは伊達じゃない」
「言われなくても、そんな事は充分過ぎる程に分かっているさ。俺もここに来てから一体、どれだけの日を拝めた事か。ここを出られるのは幹部職員と物資の担当者。後は精々、死人くらいなもんだろう。病気や怪我程度なんかじゃ、とても出してもらえない」
男は近場に予め用意されていた電気ポットから、熱そうなコーヒーを紙コップに注ぐとまた席に戻ってきた。
「まぁ確かにとてつもなく面倒だが、それだけ重要な研究が行われてるんだ。ある程度の不自由は仕方がないさ」
「はぁぁ……。俺もそんな風に割り切れればいいんだがな。未だに外への未練を捨て切れんよ」
そして二人は互いにノートパソコンやコーヒーに向けていた意識を、ふと周囲へと向けていく。
辺りの壁は白一色で小さな小窓すらなく、天井から降り注ぐ白色の光ばかりがやけに目立つように感じられる。
さらにそこでは空調の音すら本当に微かで、人気がないのも相まって不気味なくらい静まり返っていた。
「それは、俺だってそうさ。そしてだからこそこういう情報くらいでも、とにかく外から入ってくるものなら大歓迎なんだ。例えこちらから一切アクションを起こせなくとも、ただ受け取るだけだとしても。こんな息の詰まる場所においては、唯一の癒しって訳さ」
「ふむ、成程な。で、大分話がずれたが……。そもそもその地層探査のニュースって、結局どういうものなんだ?」
男は時折コーヒーを口に含みつつ、湯気を顔に浴びながら何度も頷いている。
「あぁ。最初はある国が行った地層の調査だった。そもそも人類はこれまでの歴史の中で地球の大部分を征服したように思われてきたが、それは大いに違う」
ケインがそれからノートパソコンを操作していくと、画面上には地球全体の地図や様々な風景の画像が次々に表示されていった。
「まぁ地上ですら人類未踏の地は残されているし、深海や地下のような場所は言わずもがなか。それでもそこに何があるかとか、大体の事は分かるんじゃないか?」
「あくまで、机上の計算ではな。だけど実際に行って、きちんと調べてみなけりゃ本当の事は分からん。それこそ、シュレディンガーの猫みたいにな」
「ふむ……。それで本格的な探査に乗り出したのか。それにしたって具体的には、どれくらいの深さまで調べるつもりなんだ?」
男は話を聞きながら紙コップの中を覗き込むと、そこに残るコーヒーをゆらゆらと揺らしている。
「あー、ちょっと待て。えーとだな。計画は何段階かに分かれているらしい。まず地殻を越え、それからマントルを掘り進め……。やがて最終的な目標としては、外核や内核辺りを目指すって事になっているようだ」
対するケインは眉間に皺を寄せると、目や手を忙しなく動かしていった。
それと同時に辺りにはキーボードを盛んに打つ音が響き渡り、にわかに活気を帯びていく。
「んん……? それは、本当にやるつもりがあるのか?」
「さぁな。あくまで発表された計画上はそうなっているだけで、技術や資金的に可能なのかは分からん。それでもとにかく下へ、下へとがむしゃらにでも目指すつもりだったらしいぞ」
今もケインが見つめる画面にはインターネット上の多様なページが映り、種別を問わずに膨大な情報が表示されていった。
「そんな大事業だったのか……。それにしては、そこまで話題になってなかった気がするが……」
「確かに情報操作でもしているのかってくらい、ほとんど関心が持たれていなかったな。それでも計画自体は順調で、固い岩盤や地層をどう掘り進めたのかは知らないが……。やがて地殻を抜け、丁度マントルとの境目辺りで急にそれが見つかったそうだ」
「それ? 一体、何の事だ」
やがて男が不思議そうに相手の方を見返していると、それまで動いていたケインの手がぴたりと止まっていく。
「空洞だよ。しかも信じられない程、巨大な。計算上ではそんなものが存在するなんて有り得ないはずなのに、それは前触れもなしに突如として現れたらしい」
そしてゆっくりと顔を上げていったケインは、そのやけに真剣な目付きを正面へと向けていった。
「嘘、だろ……? い、いや。いくらなんでも、それは誇張しているだろう? 地下にそんな大きな空洞があったとして、今まで地上に何の影響もなく。しかも未発見でいられるなんて……。そうだ。その空洞とやらの、面積とかはもう分かっているのか?」
「うーん……。いや。まだ深さというか高さはもちろん、端がどのくらいまであるのかも不明だそうだ。何しろ内部はとてつもなく広く、光も一切差さない永劫に続くような暗闇ばかりがあるらしいからな」
「そんな……。ひ、非常識な……。だ、だが。もしも、そんなものが現実にあるのなら……。それは、それで……。もしかすれば……」
対する男はわずかに取り乱した様子で、紙コップを音が立つ程にテーブルに置いていく。
じっと考え込むように俯いた顔にある表情は、なおも険しさを増し続けていた。
「おい、どうしたんだよ?」
「あぁ、いや。ちょっと、考え事をな……。なぁ、唐突で悪いんだが……。一つ、変な質問をしてもいいか?」
やがて男は怪訝そうな声に対し、まだ顔を上げぬまま口だけを動かす。
「ん、何だ」
「地球牧場仮説って、知っているか?」
直後に呟かれた声は、何故かやけに鮮明に辺りに響き渡っていった。
「……何だ、それ? 知らんな」
「そうか。まぁ発表したのは無名の学者だし、今に至るまで単なる与太話くらいの評価しか受けていないからな。それも当然か」
「でも、その内容は少し気になるものがあるな。それって、どういう説なんだ?」
するとケインも興味が湧いてきたのか、ノートパソコンを端へと除けていく。
「まぁ適当に掻い摘んで話せば、要は生物の進化に対する疑問って所か。それも一番メジャーな哺乳類に対してではなく、爬虫類……。特に恐竜に関して」
「ますます分からないな……。もう少し、詳しく話してみてくれないか」
「じゃあまず、お前は疑問を持った事はないか? あれだけ長い期間、あれだけ多くの種類で世界中に繁栄していた一つの種……。それが持つ可能性が、あの程度だった事に」
男はそれからゆっくりと顔を上げながら、真剣な目付きや声を前へと向けていった。
「あの程度と言われてもな……。恐竜は人を除けば生物としては、かなり進化や発達をしていたと思うが……」
一方でケインは正反対と言っていいくらい、疑問の表情を浮かべている。
「しかし、いくらなんでも進化に時間がかかり過ぎじゃないか? 人間がここまで文明を発達させてきた期間を思えば、恐竜ならもっと先に行ってもおかしくはなかった」
「それは、まぁ……。疑問に思うかと言われれば、そうだが……」
「では、どうしてそうならなかったのか。それは地球が、ある種の牧場だったからではないのか」
「牧場……?」
「まず、牧場で飼われている生物を想像してみるといい。牛や豚、あるいは鳥など……。それらの種に違いはあれど、共通点がある。分かるか?」
とうとう男は身振り手振りを交えると、演説でもするかのように大仰に話し出していった。
「さっきの話と合わせれば……。停滞、か? 牧場で飼われている生物は、自然に生きるものとは明らかに違う。襲ってくる天敵もいなければ、毎日の食事の確保も必要ない」
「何だったらご丁寧に、繁殖の世話までしてもらえるからな。つまり牧場内では生存するために何の努力もいらず、必然的に進歩や進化といったものとは無縁だった訳だ」
「それが、恐竜にも当て嵌まると?」
「あぁ。例えば、地球以外のどこか……。外宇宙からやって来た生命体がいたとする。彼等はいつからか地球へと辿り着くと、そこで恐竜という生物を繁殖させ……。その時に得られる、肉や卵。そういったものを、目的としていたのかもしれない」
続けて男は不意に腰を上げると、空になっていた紙コップに新たにコーヒーを注いでいく。
「馬鹿な……。そんなの何の証拠もない、ただの想像……。いやたちの悪い、妄想でしかない」
「だが、現に恐竜は知性を獲得できていない。仮に今、人類が滅んでも何かが確実に残るだろうが……。恐竜が残せたのは、地面に埋もれた骨のような体の一部に過ぎない」
そのまま男は壁際に背を預けながらコーヒーを口にし、頭を抱えるようになったケインの方をじっと眺めていった。
「それは……。そうだ。小惑星のせいだろう。あれが衝突したからこそ、太古の地球環境は否応なしに激変し……。恐竜の歴史も、そこで唐突に終わりを迎えてしまった」
「そうだな。恐竜が滅び、牧場として用をなさなくなった地球に価値などなく……。だからこそ彼等も地球を放棄し、その時からこの星の新たな歴史が始まったのかもしれない」
「じゃあその結果、哺乳類が繁栄し……。やがて地球では人類が覇権を握るようになった、とでも言うのか?」
眉間にしわを深く寄せたケインは、今も懸命に頭を働かせながら呟いている。
「何も俺がそう言ってる訳じゃない。あくまでこれは、一つの仮説さ。別に事細かに証明する気もないし、そうした所で意味などない」
「ま、まぁ……。確かに、そうだな。で、ここまで聞いておいて何だが……。その牧場仮説とやらが、どうしたって言うんだ?」
「おぉ、そうだった。実はその仮説の中では、ある可能性について言及されていてな」
対する男は泰然自若とした態度で、コーヒーを飲み干した後の紙コップを手近な所へ置く。
「可能性……。それって、どんな事だ?」
「もしも仮説が正しければ、地球のどこかには牧場の痕跡が残っているはず。牧場以外にも肉や卵を加工する場所や、物資の輸送を担う港湾施設があってもおかしくない。他には恐竜という種そのものを研究、管理するための……。丁度、ここのような場所さえあったかもしれない」
それから男はそっと壁に触れると、それをなぞるようにしながら移動していった。
途中にあるポスターに描かれた海や空、あるいは大きな人工の建物の上に置かれた手はずっと流れるように動き続けている。
「え? いや、でも……。もし、そんなものがあればとっくに発見されて……。待てよ。ここのような場所……?」
「そう、地上にないなら地下。それも人類が未だ到達し得ないような、遥か地底の奥深くに」
「そして、それがあるとするなら……。まず地下には膨大な……。広過ぎる、くらいの空間が……」
ケインも無闇に考え込んでいたのを切り上げると、下へ下へと動くようになった男の手の方へ目線を向けていく。
「ぴったりだと思わないか? 今回見つかった、それと」
男はやがてある程度移動した所で振り返ると、どこか楽しげにも思える声と表情を向けてきた。
「いや……。だが……。そんな、まさか……」
「ここであれを研究しているお前なら、とっくに気付いているはずさ。本来なら地球にいるはずのない、外来の異種生命体の存在を」
さらに男は視線を一定に保ったまま、少しずつテーブルの方へと距離を詰めてくる。
「それは、そうだが……。あれはあくまで、その可能性もあるというだけで……」
「現在地球上にいるどの種にも分類できないあれに、何の可能性がある? 自らの意思を持たず、機械のように単純な命令をこなすという点では昆虫に近いかもしれないが。繁殖器官を持たず、体躯は異常に発達した筋肉と外殻で覆われ……。数少ない検体もあらゆる薬品を弾いて、体組織の分析すらままならないってのが実情だろう?」
男の表情や態度も極端に変わる事はなかったが、それ故に言い知れぬ不安感のようなものも付き纏っていた。
「何でお前が、そこまで……」
「さっきは虫に近いと言ったが、あれは言うならば働き蟻なんだ。主である女王蟻のために文句も言わずにせっせと働く、奴隷に近い模造生命さ」
それから男はテーブルの横をすんなりと通り過ぎながら、なおも淡々と話し続けている。
「は……?」
「あれの原種は見つけた惑星の環境が特殊で、地下でしか量産できないのが難点なんだが。そのおかげで今もそれに関する設備が生き残っていたなんてな。分からんもんだ」
こちらに背を向けた男の表情などはもう窺えないが、その語気や口調には微細な変化が感じられるようになっていた。
「お前……」
ケインはそんな相手を見つめながら、その表情はどんどん虚ろなものになっていく。
何度も瞬きを繰り返す両目は今にも閉じられそうで、鈍い反応は夢の中にでもいるかのようだった。
「お偉方は少し見ない間に、自分達の土地にはびこっていた猿の群れに興味があったようだが……。あんな下級種すら理解できないようでは、底の浅さが知れる」
「あれ……。お前の、名は……」
やがてケインは完全に瞼を閉じると、その意識は真っ暗な闇の中へと落ちていく。
「体長も恐竜に比べれば、わずかだが……。数だけは無駄に揃っているようだから、多少は価値があるのは確かか……。だが、今から収穫して出荷が間に合うか……」
「何だっけ……」
ガタンと大きな音を立てて机の上に倒れ込んだまま、ケインはそれから一切動かなくなってしまう。
呼吸をしているためにひとまず死んではいないようだが、かといってすぐに意識を取り戻す様子もなかった。
「まぁ、どうでもいいか」
男はその事に興味すらないかのように、ふと装着していたサングラスを取り外す。
その下から現れたのは金色の双眸で、すでにそれは周囲の何物をも映していなかった。
直後に立ち去るように歩き出した男に対し、止める者や注意を向ける者もいない。
男の足音が少しずつ遠ざかっていくと、後はただ音が消え失せたような静寂で満たされていく。
その場で唯一盛んに動いていたのはテーブル上のノートパソコンだけで、今も次々に文字や映像が表示されていった。
画面内のウィンドウの一つでは地下深くまで続く巨大な穴と、その上を広く覆うように建てられた建築物が映っている。
しばらく何もなかったそこの出入り口からは、直後に何かが一斉に溢れ出してきた。
一見するとそれは虫にもよく似た生物だが、体長は人の大きさを優に超える巨体をしている。
全身の各所には大小様々な角や棘が生え、鋭利な刃物のような牙や爪は強い攻撃性を表しているかのようだった。
赤黒く濁った瞳は昆虫の複眼のようになっており、盛んに首を振りながら周囲の全てを事細かに映し出している。
遠目からでも分かる程に頑強な甲殻は、周囲の木々などを薙ぎ倒しても微かな傷すらついていない。
やがて禍々しい形をした口らしき部分が開くと、鳥とも獣ともつかぬ奇怪な叫声が発せられていく。
それらは轟きながら連なり、どこまでも遠くまで響き渡ろうとしていた。
以降も穴から出てくる怪生物の群れの勢いは止まらず、地上を埋め尽くさんばかりに増え続けている。
その凄まじい光景は全く新たな形を得た世界が、生誕と歓喜の産声を上げているかのようだった。
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