西日が傾く芝生の上で

きたの しょう

西日が傾く芝生の上で

「先生?」


 開催競馬場ではない、場外馬券場としての競馬場はソコソコ人はいたが日曜日としてはどことなく長閑な雰囲気の中で、俺は目の前のターフビジョン上で繰り広げられたレース結果にただ茫然としていた。肝心の本命馬は掲示板こそ確保したが馬券に絡めずに、先頭の馬がゴールした瞬間、手に持っていた有価証券はただの紙以外の何物でもない物体と化していた。


 俺だけではない。周囲の連中もその馬から勝負したらしく、短い直線での攻防に余り絡めなかった光景を見て悲鳴が上がり、ゴールの瞬間はまるで操る糸が切れたかのようにだらりと両手を重力に任せて俺と同様に呆然としていた。


「先生、大丈夫?生活費突っ込んでまで勝負しとらんら?」


 隣から聞こえる現役女子高生の声を聴いて俺はようやく魂が現世に戻ってきたように意識が明確になってきた。


「はっ、井原……俺どんだけ呆然としとった?」

「ほんの数秒じゃんね」

「……何か5分くらい魂が体から抜けとったように感じた……」

「まあ、当事者はそう感じるかもしれんじゃん」


 年下どころか学校では俺が彼女に教えているほどの年の差なのに、そう俺を慰めている彼女はさながら母親のように、一瞬でも思えてきてしまった。


 俺はもう一度手にしていた馬券を見るが、どう考えても当たり馬券に化ける数字は印刷されてなかった。


「井原、お前が勧めた馬が突っ込んできたなぁ」

「予想は悪くはなかったんだけども……さすがに2着の馬までは予想外だに」

「って井原お前、また馬券買っとったとか」

「買っとらんに。先生に言われた通りアドバイスしとっただけじゃんね。まあ予想はしても違反じゃあらしんでそれはしたんだけど……」


「井原の予想は?」

「勝った馬を中心に5、6頭馬連で流す予想だったじゃんね。だけどもメインの相手は3着に来た馬だったで馬連としては外れだに。ワイド予想だったら当たっとったら……」


 彼女の顔には予想を詰め切れなかった悔しさが眼鏡のレンズ越しにちらりと見えた。


「途中から逃げた馬は?」

「あれも一応引っ掛けとったんですけど、二走目の成績が良くないでとりあえず、って感じだら……まあ、途中逃げてる時のペース見てたらこれはないなぁ、と思ったじゃんね」


 幾ら名手が乗ってるとはいえ、あのペースでこの距離は持たないだろう。多分レース後にインタビューでは『(理由が)判らない』と言うだろうが、オーバーペースが原因だろうと俺でも思う。


「しかし井原、何で勝った馬を軸に予想したん?」

「えー……ちょっと私っぽくないんだけんど。このレース、今年の世相反映したネタが結果に出るって言うじゃんね。だもんで最初この前まで放送してた馬のドラマかなぁ、と思ったんだが、それはあまりにもベタ過ぎる気が」

「ああ、あれな。俺は見とらんなんだが」


 何でも放送した翌週のメインレースにはそれに関連した馬番が馬券に絡むと言われてドラマ見てない俺でも気にはなっていた。だとしたら何を根拠に彼女は……?


「で、ふと思ったんだが、今年ある映画が人気を博しましたよね……それかなぁ、と思って」


「あれ?今回の出走馬に関わり合ったっけ?」

「その映画のタイトルのモノを普通見ようとしたらそういう公共施設行くじゃんね……それから思いついたに」


 言われてみればそうかもしれない、よく思いつくなぁ……俺は競馬新聞を広げて自分の予想を語っている担任のクラスの生徒を横目で見ながら、10以上も年の離れているその子に感心せざるを得なかった。


 しかしその予想法は──


「でもそれってサイン馬券じゃ……」

「データから読み取る私にしては邪道だったに」


 とある夏の日、電車の中で俺に見つかっておびえていた同じ女の子とは思えないように、にこやかに彼女は微笑み返してきた。彼女は再び手元の競馬新聞に目を落とす。


「データからしたら先生の本命馬と同じじゃんね。開催競馬場との相性もええだに。そこから予想しとったら、先生と同じように負けてたかもしれん」

「でも単勝は買ってたら当たっとっただら?」

「この配当じゃトリガミが精一杯じゃないかや?」

「でも負けるよりはマシだら?」

「だら」


 せめてそのくらいは予想だけとはいえ取り戻さないと、と言いたげに彼女の口元に笑みが浮かぶ。


 何を思ったか、新聞を閉じて彼女は自分のスマホを触り始める。競馬関係のHPを色々と見始めた彼女は、しばらくして何かを見たのか、小さくえっ、と声を上げた。


「どうした?」

「2着に入ってきた馬の名前の意味、世界遺産の場所って書いてあった……あーもう、慣れんことするんじゃない」


 学校ではクールで品行方正な生徒と思われがちな彼女が悔しさのあまり取り乱している。それはさながら欲しいおもちゃを買ってもらえずに駄々こねてる幼児のようで、俺は思わず口元が緩んだ。どれ見せてみ?と俺が彼女との距離を縮めると、彼女は俺に見せようと手にしたスマホの画面を近づけ、目の前にかざした。競馬を開催しているHPは最近出走馬の馬名の由来を載せるようになっていた。その馬のデータを表示しているページには確かに"世界遺産"と書かれている。全く映画のタイトルそのものではないが、こじつければそれ関連と言えないこともない。『サイン馬券と軟膏は何にでも付く』というのは昔から言われてることだが……。


「まあ、サイン馬券って終わってから気づくもんだ」


 俺はなだめるように彼女に言った。まあ、これもよく言われることだ。俺自身も何度そういう思いをしたことか。


「だからサイン馬券って嫌いじゃんね」


 頬をぷっくりと膨らませてすねている井原。そういう顔してるのを見るとまだまだ高校生だなぁと、とっくに成人してそれなりの時間がたった俺は彼女をほほえましく眺めた。


「で、井原、最終はどうする?」


 落ち着き始めた彼女に俺は最終レースをどうしようか、と訊いた。メインが負けたとはいえまだ遊ぶには余裕がある。彼女が予想してきたなら名誉挽回のためにそれに乗ろうかと、俺は思った。


 そういわれた彼女は、雲一つない快晴の空を見回した。西日が周囲や馬が走ってない芝生を茜色に染め、全ての目に映るものに対して美しさをふんだんに分け与えているかのようだった。冬の冷涼な空気が、なお一層空の透明度を増し、天頂から東にかけてその蒼さを加算してゆくように、まるで空から夜の帳を引き出すかのように。


「……帰らまいか」


 彼女は俺に振り向きながらそう答えた。正直俺も最終まではやらない予定で、今財布にあるお金を使ってしまうと年越しの様々なものが買えるかどうか怪しい。


「そうすっか」




 駅へと向かう帰り道は緩やかな下り坂になっており、まっすぐと延びる道もあって開催時になると人のカタマリが無言で蠢いているように見える。ましてやメインレースが大荒れ決着になると、

「まるで敗残兵だに」

 と言いたくなるような光景に俺には見えた。


 さすがにまだ最終レースが残っている段階ではそこそこ人は多いものの、まばらな感じがしてまだ歩きやすそうに見える。ぼちぼち日の入り時刻になる西日は住宅地に陰に隠れるようになり、日に当たる所より陰になっている場所が多くなる。財布が寂しいと、吹き付ける冬の風もまた身に染みるように感じてしまう。


「井原、金杯はどうする?」

「さすがにそろそろ宿題やらないと……私は多分行けんもんで何なら先生、予想、送っとく?」

「ん~……」


 そう言われて俺は迷った。馬券を買う時くらいにしばし迷い、見上げればさっきより空の青さが増したように見える。


「ありがと。でも──たまには、自力でやってみるわ」

「そうですか」


 俺の答えに、彼女は笑みで応えた。

 日が落ちる直前の茜色が、彼女の表情に最大限の彩を与えていた。




【終】

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