竜の友

かなぶん

竜の友

「あなたがサクナ司祭様ですか?」

 玄関扉を開けるなりそう尋ねられたサクナは、黒い瞳を瞬かせた。

「確かに私はサクナですが……まだ司祭ではなく、見習いです。貴方は……?」

 サクナが暮らしている村は、王都へ続く街道沿いにあるため、発展こそしているが人口はそこまで多くない。

 だからこそ、平凡な容姿ながら村人ではないと分かる、見慣れない少女に対して疑問符を投げれば、目を潤ませた少女は叫ぶ。

「お願いします! 司祭様! 私と彼の架け橋になってくださいぃ!!」

「うわっ!? だから私は、まだ見習いで!」

 急に握られた両手と近づく泣き顔に、サクナは再びの訂正を試みる。



 サクナが見習いとして働く司祭は、この世界において重要な役割を担っていた。

 それは、竜と呼ばれる強大な力を持つ存在と、サクナ属する人との交流を取り持つ仲介役である。

 いつの頃からか交流を持つようになった竜と人。とはいえ、あまりに生態が違い過ぎる両者が、互いに理解を深め合い認識を擦り合わせるには、司祭の協力が必要不可欠になる。

 特にそれが、種を越えた愛が絡むモノであればなおさら。

(……でも、私は見習いの立場なんですけど)

 歩きつつ、サクナは後ろをちらりと見る。

 何度見ても平凡の一言しか感想の出てこない少女は、ある日、人の姿をした竜に恋をしてしまったらしい。

 正直、それ自体は特に不思議なことではない。

 鱗肌を持つ巨大な竜は、人型になる際、往々にして人にとっては美男美女に映る魅力的な容姿を持つことが多い。おそらくは、人と交流を持つにあたって、人が好意的に思う姿を取るためだろう。竜が人と交流を持つということは、そもそもが人に友好的であることに繋がるのだから。

 だから、人が竜に恋することはままあること――なのだが。

 問題は、その仲介を何故見習い司祭に頼むのか。

 いや、答えはすでに聞いてはいた。

 実はもう、別の司祭には声を掛けていて、断られたから見習いを頼った、と。

(司祭がダメなら、その時点で引き下がると思うんですけど)

 同じ言葉はもちろん伝えているが、それでも納得してくれない少女は、ならばせめて、司祭の庭園で花を一輪摘ませて欲しいと言う。

 司祭の庭園は文字通り、司祭しか入ることの許されない庭園であり、そこには竜が好む植物が栽培されている。

 少女曰く、彼が好む花を選んで、それが好みに合わなかったら諦める、ということらしいのだが。それとて本来は見習いではない司祭の許可が必要であり、この少女のためにサクナが出来ることはほとんどない。

 にも関わらず、こうして案内しているかのように後ろをつけられているのは、恋する乙女の何とやら、というところか。あるいは――……。

(どうしようか)

 サクナの思考が打開策を見つけられずにいれば、黙ってついてくるばかりだった背後から声が掛けられた。

「あの、司祭様」

「だから私は見習いですって」

 三度目の訂正。

 しかし今回も聞き入れた様子のない少女は、振り向いたサクナに向かって指を差した。正確には、足元に向かって。

「コレは何ですか?」

「…………」

 少女が指差す先には、白い物体があった。

 つるりとした卵型の物体。

 ただし、その大きさは中型の成犬ほどもあり、何の生き物か、一目で判別できる者はそういないだろう。

 しかもこの物体、目も鼻も口も耳も、外界を感じ取れる器官は何一つ見当たらないにも関わらず、サクナの後ろを正確について来るのである。

 それも、跳ねながら。

 サクナが止まると同時に止まった物体は、しばらくはじっとしていたものの、二人の視線に耐えかねてか、あるいは留まることに飽きたのか、サクナの周囲をグルグル回り始めた。

「あのぉ、コレって? 司祭様の後をついてきているようですが、竜に関係するモノですか? 卵、にしてはコレ自体が生き物のような……」

「…………」

 何と問われれば答えはあるが、答えるかは別の話だ。

 再びの司祭呼びを訂正しなかったサクナは、グルグル回る物体を見つめた。

 卵型の物体、その正体は正真正銘卵だった。

 ――竜の卵。

 コレを託した相手はサクナにそう教えてくれたが、真偽の程は定かではない。

 何せ、見ての通り、自由自在に動くばかりか飛び跳ねるのだ。

 それでいて割れないのは、卵の殻が異様に固いためであり、地に着いているように見えて、その実浮いているためでもある。

 竜の生態は人にはまだ未知の部分が多いとはいえ、司祭見習いとして見る機会のあった他の竜の卵とこの卵では、何もかもが違い過ぎた。

 少なくとも他の竜の卵は、こんなでたらめに動くことはない。

「司祭様?」

 サクナに向けられた困惑。

 ため息をついて、首を振る。

「私は司祭ではありません。そしてコレは……気にしないでください。村人は誰も気にしていないでしょう? だから、そういうモノだとでも思っておいてください」

「はあ……確かに、そう、ですね」

 サクナの答えには納得していないものの、周囲を見渡した少女は、どちらかと言えば、物体よりも自分の方が見慣れない顔として、注目を集めていることに気づいたようだ。

 居心地が悪そうに下を向いた姿に、サクナはもしかしたらこれで諦めてくれるかも、と淡い期待を抱くが、

「ところで司祭様、庭園まではあとどのくらいで着きそうですか?」

 諦めを知らない少女の問いかけに、大きなため息をつく。



 少女から最初に聞いた、断った別の司祭。その後にサクナを尋ねてきたことから推測すると、少女の訴えを断った司祭は、サクナの知る村の司祭に違いない。

 となれば、助けを求めて向かったとしても、途中でサクナがどこに向かっているか、少女には気づかれてしまうだろう。そうなればきっと、その時点で逃げ出すかも知れないが、後でまた来ては延々愚痴を聞かされるのは想像に難くない

 かといって、少女の望み通り、司祭の庭園に向かうのも得策ではない。

 困り果て、人通りは少なくとも開けた道まで来たが、どこまで行ってもついてくる、諦める様子も疲れる様子もない少女に、サクナの方が根を上げそうになる。

 と、救いは向こうからやって来た。

「おや? サクナではありませんか。今は巡回の時間ではないはずですが」

「げっ、シュクノ司祭」

 ただし、救い主がサクナにとって良い相手とは限らない。

 思わず仰け反り、遠慮なく嫌な顔をするサクナに対し、片眉をピクッと引き攣らせたシュクノは、次いで後ろの少女を見ては鋭い目つきになる。

「なるほど。見習いの分際で遊んでいるのかと思えば……忌み子にしては察しの良いことですね」

「忌み子……?」

 ここに来て少女の足が一歩、サクナから遠ざかれば、シュクノが手を伸ばす。

「友よ。姿を失くした魔性に安息を!」

 言葉尻を待たず、突如として巻き起こった風がサクナと卵を通り過ぎ、少女に襲いかかる。

 姿の見えないソレに少女は顔を青ざめさせるが、

「ちっ!」

 一転、顔を顰めては、サクナたちと距離を取るように後ろへ跳躍する。

 ――卵を抱えた状態で。

「あ、ソレは」

 思わずサクナが声を上げたなら、少女は少女らしからぬ笑みに顔を歪めて言う。

「なんだ。残念。気づかれてたんだ。司祭じゃなくても司祭見習いなら、少しは足しになると思ったのに。アンタたちに忌み子なんて呼ばれてんじゃ、欠陥品ってことじゃない。なら、この卵を貰っていくわ」

 ニタリと笑った口が大きく裂ける。

 併せ、少女の顔が肥大化していく。

 魔性――。

 竜と人とが交流を持つようになった頃より、史実に現れ始めたソレは、竜と人のどちらにも属さない存在であり、本質は悪意に満ちている。この討伐も、司祭の役割の一つだった。

 司祭見習いを尋ねてくる見慣れない相手。

 この時点で少女に疑いを持っていたサクナは、正体を見せると同時に卵を丸呑みしようとする姿を前にして、

「あの、止めた方が」

「サクナ」

 つい制止を口にしてしまい、シュクノに睨まれる。

 だが、最後まで見習いを訂正しなかった少女の耳に、今更サクナの声が届くはずもない。

「ははっ! 泣き叫んでも遅いわ! 司祭よりも竜の卵の方が何倍も力になる!」

 高らかにそう宣言し、卵を呑み込んだ少女――魔性は、おそらく最期まで気づかなかったことだろう。

 卵の姿がサクナの視界から完全に消えた瞬間。

 その場には卵しか残らなかったことにも。

 その身が逆に呑み込まれたことにも。

「……サクナ」

 ピョンピョン跳んで戻ってくる卵を見ていれば、怒気を固めた声が掛けられた。

(うっ)

 内心呻くと、シュクノが低い声で唸るように言う。

「魔性に対して情けを掛けるような真似をしたこと。反省文として提出するように」

「はい……」

「もちろん、提出先は私ではなく、村の司祭にですよ。忌み子の書類など読みたくもありませんからね」

「…………」

 吐き捨てるように言い残したシュクノが背を向ける。

 サクナや村の司祭と違い、一所に留まらない渡り司祭のシュクノ。

 これを見送るつもりもないサクナは、ため息ともつかないため息をついた。



 今でこそ司祭見習いと渡り司祭という立場だが、シュクノはサクナの同期だった。

 当時から冷ややかな印象のある相手だったが、増して酷くなったのは、彼が正式に司祭になって後、サクナの出自を知る立場になってからだ。

 竜から絶大な信頼を得た「竜の友」と、竜を殺し喰らう「竜喰い」の子――。

 サクナの出自を知る者は言う。

 異なる立場の親から生まれた奇跡の子、あるいは、忌み子、と。

 特殊な出自に、輪をかけて特殊性をもたらしたのは、この卵の存在だった。

(情け、のつもりはなかったけど、この卵のことを知っていたら、そう思われても仕方がない、けど……)

 何事もなかったかのように、足元でゆらゆら揺れる卵を見る。

 預かってからこの方、孵化する気配のない卵が、今日のように魔性を「食べた」のは始めてではない。始めてではないが、だからこそ、サクナは密かに恐れている。

 忌み子と呼ばれる自分の元に預けられた、魔性を「食べる」卵。

 魔性の本質は悪意。

 それを好むように、躊躇いもせず「食べる」卵が孵化したなら……。

 竜の卵である以上、竜が出てくるのは前提としても、世に何をもたらすのか。

 未だ見えない予測の未来など反省文に書けるはずもなく、尤もらしい言い訳を考えて、サクナは頭を抱えるのであった。

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竜の友 かなぶん @kana_bunbun

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