それでも、朝は来る 〜短編集&技術向上のための練習場〜
いふる〜と
第1話 あなたが隣にいることで
「三谷先生。2巻発売、厳しいと思います。」
「そう、ですか…」
電話越しに聞こえる、平坦な声。それに応えるのは、心底残念そうにする声。
男は通話を切り、スマホの電源を落とす。椅子の背もたれに寄りかかって、机の上の『本』を眺める。
(なにが、駄目なんだ…どうして、売れない…?)
男は―――三谷充希は35歳、書籍化はしたが、2巻を出せずに10年も続けてきた作家だ。
部屋の電気はついていない。机の上の間接照明だけが、煌々と光り、手元の本を照らしている。
「僕の信念は、まちがってるのか…?」
書いた。
書いて、書いて、書き上げた。
でも、売れない。
己の信念を、考えを、生きてきた全てを乗せた。
でも、本は売れない。
言葉は、届かない。
その事実に、ただ絶望する。
ゆらりと立ち上がり、冷蔵庫に手をかける。
「あっ…」
酒は、もうなかった。
頼り切ってはいけないことをわかっているのに、やめられない。
売れない作家は、酒を求めて夜のコンビニに繰り出した。
◆◇◆◇◆◇
「すいません、この話はナシということで…」
「…わかりました。」
電話越しに聞こえる、謝る気持ちを感じない声。それに応える、諦めの声。
女―――二宮明里は、ヘッドホンをつけて音楽を流す。
『あなたが隣にいることで』
私が最初に作って、何よりも想いを込めて、一番好きな曲。
序盤は重く、遅く、暗い歌詞と不安な音程に緊張感。
しかし、サビに入って一気に変わる。
ポップなメロディー、温かい歌詞。聴いている誰かに、そっと寄り添うために書いた曲。
そんな曲が、アニメのオープニングに使われるかも、という話だった。
「私、才能ないのかな…」
そんなことはない。
いつも、そう叫んでいた。
でも、今日はできなかった。
一番好きで、想いを込めて、自信のあった曲。
それを、否定されたような気分になった。
視界に、ギターが映る。
無性に、弾きたくなった。
無性に、聞かせたくなった。
売れないシンガーソングライター、二宮明里は、夜の街へ繰り出した。
◆◇◆◇◆◇
冷え込む夜、季節は冬。
12月24日、クリスマスイブ。
恋人と、友人と、家族と。
色んな人が、色んな人と過ごして、幸せを確かめている時間。
とある作家は、周りを見渡して、ゆっくりと歩く。
(…美智子は、どうしているのかな…)
18歳から、20歳まで付き合った、人生で唯一の恋人。
自分が作家になるという夢のためだけに突き放し、悲しませた最愛の女性。
こんな日にだけ思い出す自分が、嫌になる。
もうすぐ、コンビニに着く。東京の駅前の、小さなコンビニだ。人だかりは多く、イルミネーションの光がウザったらしい。
………あぁ、しんどいな。
ふと、そう思った。
書くのが、好きだったのに。
記すのが、楽しかったのに。
いつの間にか、しんどさを覚えてしまっていた。
―――作家、辞めようかな。
頭をよぎる。
きっと、美智子はもう別の人と結婚しているだろう。
でも、まだ遅くないんじゃないのか。美智子じゃなかても、新しく何かを始めることは、できるんじゃないか。
それが頭に浮かび、コンビニの自動ドアが開く。
………音色が、響いた。
「これは…っ」
何度も、何度も聞いた。
暗くて、辛くて、哀しい。
それでも、その先の幸せを想像させてくれる。
『あなたが隣にいることで』
そのサビが、大音量で、生で聞こえてきた。
思わず、振り向いてしまう。
「明けない夜も、止まない雨も、きっとある。
――――それでも、私はここにいるよ」
僕の心を、何度だって救ってくれた歌詞。
僕の夢を、何度だって応援してくれた歌声。
それを聖夜の夜に、たった一人で響かせる、ロングヘアーの女性。
(………僕は、馬鹿だ。)
拳が震え、瞳が潤う。
下手くそな、決して強くない笑顔が張り付く。
きっと、これからも辛いことがたくさんある。逃げ出したくなるようなことだって、ある。
だけど、これを聞けるなら、僕は頑張れる。
何度挫けたって、立ち上がれる。
そう、思わせてくれた。
「…続き、書くか。」
足は反転し、自宅へ。
来る途中、ウザったらしかった光が、温かく感じた。
◆◇◆◇◆◇
歌い終わり、弾き終わる。
無許可の路上演奏、一曲だけの時間が、警察に止められる。
(私は、誰かの心に、届けられてるのかな…?)
ギターを背負って、家へと帰る。イルミネーションの光が、私を含めたすべてを照らす。
ふと、書店が目についた。
なんてことはない、古風で小さな書店だ。
その店頭、最前列。
「っ…これ、は…」
手と手が繋ぎ合う表紙。
作者名、三谷充希。
題名――――『握手』。
高校の時の、同級生だ。
昔から冴えなくて、パットしなかった。
だけど、彼はいつも本を読んで、書いていた。
何を言われても笑って誤魔化すのに、執筆を笑われた時だけは、本気で怒った。
彼は、まだ書いている。
彼は、まだ諦めていない。
(………私は、馬鹿だ。)
ギターを背負う背中が、ビクビクと震える。
涙で濡れた視界が、大きく歪む。
きっと、これからも、私の音楽は否定される。誰にも見られないことだってある。
だけど、それでもいい。
絶対に、諦めない。
だって、諦めなかった彼の本も、私が見つけたんだから。
「…曲、作ろ。」
いつか必ず、誰かが私の音楽を見つけてくれる。
確証はないし、根拠もない。
だけど、決めたんだ。
私の音楽で、見つけてくれた誰かを救っていたいと。
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