戦犯と少女の、国境でいちばん静かな戦争

弥生 倫

序章 国境へ送られる男

第1話 北境安定化戦役略史~帝国の記録文書より~

 この物語が始まる少し前、聖イルミナ暦一〇三一から一〇三三年ころ、大国・アルディア帝国と、北に隣接する小さな農業国・ベレシア王国のあいだには、一つの戦争があった。


 公文書の上では、それは「北境安定化戦役」と呼ばれている。


 発端として記録に残っているのは、北境地帯の情勢報告だ。

 帝国系住民がベレシア政権の下で不当な扱いを受けていることなどの事例をまとめた報告書が、帝都に次々と送られた。


 帝国政府とルーメニス教会が掲げた目的は、おおむね三つである。


 一つ、北境に暮らす「同胞」の保護。

 一つ、かつての宗主権にもとづく「歴史的領土」の秩序回復。

 一つ、教会の権威と大陸秩序を守るための「信仰と治安の防衛」。


 こうして軍事行動は「保護介入」と位置づけられ、教会の説教では「北境安定化聖務(ホルティア作戦)」という名が用いられた。


 聖イルミナ暦一〇三一年。

 帝国軍の前線部隊が北境の鉄道沿いに展開し、砲兵と歩兵を主力とする作戦が始まる。


 古くから橋と河川交通で栄えた国だったベレシア王国は、カルナ川流域の石橋と要塞化された街道を活かし、防衛線を築く。

 対する帝国側は鉄道輸送と野砲、機関銃を軸に前進した。


 戦いは短期決戦では終わらず、雪と泥に支配された消耗戦へと姿を変えていく。


 転機として多くの戦史が挙げるのが、聖イルミナ暦一〇三三年、七の月の「カルナ橋の戦い」である。


 ベレシアの首都カルナの手前に架かる大橋は、交易と軍事の要衝だった。

 激しい攻防のさなか、このカルナ橋は大規模な爆発によって崩落する。


 帝国側の記録はこれを「敵軍による破壊工作」と記し、ベレシア側の資料には「防衛上やむを得ない自爆措置」や「指揮系統の混乱」など、いくつか異なる説明が並んでいる。


 どの命令が、誰の判断で実行されたのか──その詳細は軍事機密として伏せられ、現在も断片的な証言が残るのみだ。


 ただひとつ確かなのは、カルナ橋の崩落を境に戦局が大きく傾いたという事実である。


 補給路を失ったベレシア側は防衛線の再構築を迫られ、首都周辺の兵力運用にも制約が生じた。

 帝国軍はカルナの外郭を一気に包囲する形で圧力を強め、王国の軍事力と経済力は急速に削られていった。


 そして、同じく聖イルミナ暦一〇三三年、十の月の目前。


 長期化した戦争と国内事情を踏まえ、ベレシア王家は帝国との降伏文書に署名する。


 ベレシア王国は「ベレシア自治州」として帝国に編入され、名目上の王家と議会は存続しながらも、北境の統治と治安維持は、帝国が派遣する統治機構と教会の代表によって担われることになった。


 その統治には第四皇女エルナと教会代表を頂点とする新たな統治機構が関与することになる。

 帝都の記録では、この降伏文書に記された日付をもって「北境安定化戦役は完了した」とされている。


 それが、この世界における「直近の戦争」の、もっとも単純な概要である。


 だがカルナ橋の記録だけは、戦後も曖昧なまま封じられた。

 その空白が、のちに一人の「戦犯」と、一人の少女を国境へ導く。

 その線上で、彼らは出会う。いちばん静かな戦争の、はじまりとして。

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