#9 来訪鋏角亜門
発砲音はしなかった。ナギサと名乗った彼女は既に虫型来訪者が群れる野次馬の中に潜り込んでいて、誰も狙い撃つことができなかったからだ。
それがかえって、溜口の焦りを加速させた。桐崎の腕を掴んで彼女と共に立ち上がると、二人はナギサのあとを追って、街へ走り出した。
あの自衛官の怒鳴り声が、背中に降りかかっている。二人を止めようとしているのか、それともただ怒りに任せて叫んでいるのか、わざと耳に入らないようにしていた溜口には、何を言っているのかわからなかった。
ただただ、焦っていた。思考もままならない。桐崎の腕を掴んだままだ。彼女は特に何も言わず、黙ってついて来てくれているようだが、その表情を窺うことも、溜口には怖くてできなかった。
野次馬の中に滑り込み、「通してくれ」と、自分の口から出たのかもあやふやな言葉で進む。今の溜口新一を動かすのは、捜査官としての本能なのか、はたまた背後から圧迫される責任からの逃避なのか、定かではなかった。
虫型の群れをようやく抜け出すことができると、目の前に伸びる大通りの先に、溜口は目を凝らした。
UFOが墜落した日、その直前まで動いていた車達が、斜めに散らかっている。窓ガラスは割れドアは凹んで、車内には草が生えている。
歩道には、虫型来訪者の作った屋台が並んでいた。それは人間相手ではなく、恐らく同族に対しての商売なのだろう。瓶詰めされた茶色い液体や、車から抜き取ったパーツが並んでいたり、吊るされていたりしてあった。
どこを見ても、蜘蛛型来訪者の姿はなかった。溜口新一は、窓からこちらを覗いている虫型に、声を大きく訊ねた。
「あんた! 蜘蛛を見てないか? 大慌てでこっちに来たはずだ」
その虫型はびくっ、と驚いて、中へ隠れてしまった。焦りが増す。もはや次に目に映った虫型なら誰でもいいと、今度は建物に寄りかかってこちらを見ていた緑色の個体に話しかけた。
「あんたは? 見てないか? 蜘蛛のエイリアンだ」
その個体は日本語を理解しているのかいないのか、声を発さず、首を横に振った。
「溜口くん」
「何だよ」
「手、放してくれる?」
「あ?」その時になってようやく溜口は、桐崎美涼の腕を強く鷲掴んでいることに気づいたのだった。「ああ、悪い」
桐崎は溜口の手から離れて自由になると、先程とは別の、赤茶色の個体に話しかけた。
「それ、いくら?」
その虫型はプレハブや木材の瓦礫で作った屋台に立っていて、そこに置いてあるのは濁った液体の入った瓶ばかりだった。オレンジ色の電球の明かりに当てられて、それが泥水なのか、エンジンオイルなのか、それとも糞尿なのか? 果たしてわからない。
「ヒトには売ッてない」
その来訪者は言った。ゲート近くに根付いているだけあって、もはや達者な日本語にも違和感を覚えなくなっていた。
「食べ物しょう?」桐崎は財布の中を確認しながら、千円札を取り出して、彼に差し出した。「売って」
「そンなにくれるなら、いいぞ」
桐崎は瓶詰めされた茶色い液体を掴んで、硬く密閉された丸蓋に手をかけた。
彼女が蓋を開けると、粘度の高い液が糸を引いていた。何を溶かしたのか、中には四角い固形物が浮いている。
桐崎美涼はその中に指を突っ込んで塊をつまむと、ためらいなく口に放り込んだ。
「じゃあ、溜口くん」彼女は歩き出した。「ひとつひとつ状況を整理しながら、あとを追いましょう」
溜口がついて来ない事に気が付いて、桐崎は振り返った。顔じゅうに皺を寄せて、怪訝な表情を浮かべる彼の姿に、桐崎は追い打ちをかける。
「なに?」
「なんだ、その食い物」
「知らない。初めて食べたから」桐崎美涼はあっけらかんとしている。「でも、恐らく何かの芋虫をすり潰して固形化させたものだと思う。豆っぽい味がするから」
桐崎美涼は踵を返して、ついてこいと言わんばかりに再び歩みを進めた。溜口もようやく彼女の隣まで小走りで並んで、その気味悪がっている顔はそのままに、桐崎の話を聞いていた。
「虫型の来訪者の中で、今のところ確認されている種は蜘蛛型、昆虫型の二種類。昆虫型が八割を占めていて、その中でも分類上ゴキブリ目に振り分けられる種、コガネムシ目、数は少ないけどカマキリ目も」
彼女はまたひとつ、瓶の中の塊を口に入れて、自分の指を舐めた。
「例えば、今追っているナギサという蜘蛛型は、
溜口はぼうっと、彼女の作り出すスローペースに暖かくついていくだけだった。
「頭に〝来訪〟とついているけど、地球の種とたいして変わらない。遠い宇宙からやってきたはずの彼らが、どうして地球の生物の特徴をそのまま持っているのかは知らないけれど。ま、とにかく似てるということ」
──軟体型の来訪者と違って、虫型達はより地球の種に近い。コガネムシ目の来訪者は甘い飲み物を好むし、カマキリ目は肉が好物。昼より夜の方が活発だし、この街並みを見て分かる通り、照明は最低限がいい。
クモも例外じゃない。蜘蛛型の来訪者は、死体の解剖から、地球にいる造網性のクモに近似しているってことが判明した。
ちなみに、判明したのはつい先月のこと。
「つまり、どういうことかわかる?」
桐崎は長い説明の最後にそう質問して、それなのに、彼の答えを待たずして続けた。
「造網性のクモは、張った糸の振動で獲物を検知するでしょう? くっつく糸も出せるし、くっつかない糸だって出せるし」
「ああ」
「引っ掛かった獲物の大きさ、体重、そして……動きがわかる」
「だろうな」
「あのナギサという来訪者は、私たちのために、ナビを残してくれていた」
桐崎美涼は、左腕を前に突き出した。
彼女の小指に巻き付いた、細く、透明な糸を光らせている。
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