#2 墜落区画
東京都にUFOが飛来して、六年が経っていた。
倒壊した建物の群れの中に、突き刺さった巨大な円盤があった。ピザにピザカッターを食い込ませたような見た目のそれを、〝来訪者〟達は箱舟と呼んでいた。
墜落現場を取り囲むように、半径数キロメートルにかけて分厚いコンクリートの壁が建設されたのは、墜落から一ヶ月も経たないうちのことだ。
黒い覆面パトカーが深夜の街道を走って、高さ十メートルに及ぶ壁の中に埋め込まれた、墜落区画の中と外を結ぶ唯一のゲートへ向かっている。
「オレはまだ三ヶ月目の新人だが、あんただってこの間ようやく一年経ったってだけだろ? 九ヶ月くらいしか変わらないワケだ、オレ達は」
窓枠に頬杖をついて、流れゆく街頭の明かりを眺めながら、溜口新一は不服そうだった。事あるごとに桐崎から、「新人は言うことを聞け」と言われて、ついに不貞腐れているところだった。たいして歳も変わらないし、そこまで歴の差があるわけでもない。だから互いにフランクにやっていこうというのが常々、溜口新一の言い分だった。
窓の外から見える墜落区画周辺の街並みには、先日も行われていた大規模デモの残骸が取り残されていた。街路樹に括り付けられている看板には《来訪者を区外に出すな》と、来訪者の区外進出を拒むようなメッセージがあった。車両の速度に巻き込まれて舞うチラシも、どうせ似たようなものだ。
「そもそも、来訪者管理課が設置されたのは一年前」桐崎美涼はハンドルを握りながら、ぶっきらぼうに言った。「私はオープニングメンバー。最初からいる警察官。しかも警部。一方で、あなたはこの間入ったガキ。しかも巡査」
巨大なダム防壁を思わせるような灰色の壁に向かって、無表情でアクセルペダルを一層深く踏み込む桐崎に、溜口新一は噛み付いた。
「ガキ? へえ。ガキか。でもどうだろうな。オレはあんたより結構、社会に溶け込めてる方だと思うけど」
「そう」
「あんたはいつもそうやって、ふーん、そう、とか言ってるだけだ。相手が警察のお偉いさんでも、カニとハエを合体させた見た目のキモい奴でもな。一貫性があるのは認める。だが、社会はそうじゃない。オレは先輩には愛想良く笑うし、キモいエイリアンにはキモいぜお前って伝える。相手を見て、愛嬌を変えるワケだ」
「先輩に愛想良く?」
「そうだ。オレはガキじゃなく、大人だからだ」
「私は、あなたの先輩だと思うけど」
「愛想が悪いって?」溜口は鼻で笑って、わざとらしく桐崎の真似をして、声を裏返した。「ワタシハ、アナタノセンパイダトオモウケド! どうにかならないのか? AIと喋ってるんじゃないんだっての。もっとユーモラスな話題とかないワケか? あんたの脳内プログラムにはさ」
ゲートの手前には、小銃を抱えた自衛隊員が立っていた。
桐崎美涼は車の速度を落として、運転席の窓を開ける。自衛隊員が小走りで、片方の手のひらをこちらへ向け、制止するようなジェスチャーで近づいてくる。
「何かあったの?」
桐崎が質問すると、その自衛官は「来訪者同士の喧嘩です」とだけ。「入っても?」と訊ねると、「ああ、いや、誰も通すなとのことでして」と、自衛官は申し訳なさそうな様子だった。
「なるほど。わかった」
桐崎がギアを変えて車をバックさせようとすると、慌てて溜口が止めに入った。
「おいおいおいおい。今ので終わりか? ナルホドワカッタ。マジかあんた」溜口は桐崎の向こう側に立つ自衛官に向かって、内ポケットから取り出した警察手帳を見せながら、流暢に喋り始める。「オレは来訪者管理課の警察官だ。隣のコイツは助手。オレ達は勤務を終えて、墜落区画ゲートの施設内にあるパソコンで、書類仕事をしなきゃならない。しかも、そっから警視庁に戻って、そんでようやく退勤だ。わかる? つまりマジで通してくれって言ってるんだ」
自衛官はどう言ったものか悩んでいる様子だった。彼らを通すかどうかではなく、恐らくはクレーマーを刺激しないよう対応するスタッフのような、爆弾処理班のような、丁重な断り方を探しているような沈黙だった。
「今、オレのこと面倒なヤツだと思ってるか?」
「いえ、そんなことは」
「言っておくが、オレはかなりお偉いさんだ。なんてったって、助手がついてるワケだからな。しかも、今さっきエイリアンの大規模密輸事件を解決してきたところだし、それをとっとと書類にまとめたいところだ」溜口新一は、普段通りの大袈裟な身振り手振りで振る舞っていた。「オレ達を中に入れないと、仕事が片付かないし、帰って寝るのも遅くなる。寝るのが遅くなったら? どうなる?」
「疲れが取れない……とか、ですか」
「そうだ。その通り! 疲れが取れないし、仕事にミスが出る確率が上がる。あんた達自衛隊もゲートを見張って大変なのはよーくわかる。互いに命懸けだからな。だからこそ、ちゃんと寝て、ちゃんと働く! わかる? アンダースタン?」
自衛官は口を開けて、喉奥から声が出るか出ないか、その寸前で立ち往生していた。日々ゲートの前で巻き起こる小中規模のデモを相手にしている自衛官でさえ、溜口の捲し立てるだけの中身のない論調に面食らっているのだ。
そして当然、溜口新一はそのような隙を見逃さない。パトカーに付属する無線機の近く、飛び出たスイッチに手を伸ばすと、サイレンが耳うるさく鳴り響きだした。
「じゃ、行っていいか? 緊急車両だ」
自衛官の返事も待たずして、桐崎美涼に合図を送った。「行け! 行け!」と小声で何度か急かすと、彼女もついに折れて、車はゲートへと走り出した。
━
にこやかに、機嫌良くサイレンを消した溜口だったが、ゲート施設に近づくにつれて、彼の表情は徐々に、グラデーションを帯びたように険しく、怪訝になっていった。
コンクリートの無機質な外側に、防弾ガラス製の自動ドアが、音を消して赤色灯だけを回した覆面パトカーを迎えている。
そして。
照明が、点いていなかったのだ。
薄暗い、廃墟のような建物だった。車両のライトが、自動ドアの左右に立つ自衛隊員二名の姿を照らし出した。眩しそうに顔を顰めながら、それでいてやってきた車を警戒して睨みつけているようでもあった。
本来、墜落区画の中と外を繋ぐ唯一の出入り口であるゲート施設は、空港の手荷物検査とほぼ同じようなシステムが使われて、人間も来訪者も等しく検査される。施設内は二階建てで、それなりの大きさがあった。
一階はセキュリティチェック、二階にはビザ発行窓口が設置されていて、全ての来訪者は脚が二本だろうが八本だろうが、建物のほぼ全てを歩かされることになる。
職員は九割が自衛隊員で、例外には溜口と桐崎のような警察官や、稀に外交官などの政府関係者も利用する。
そして、ここに配属される自衛隊員はシフト制で、この建物は二十四時間、休まず稼働しているはずだった。
それが、止まっているのだ。川の水が干からびた水車のように、存在意義を失った抜け殻が、暗闇に鎮座していた。
だから、車両を停めて、すぐには降りなかった。
「どう思う?」溜口は訊ねた。「ヤバい事が起きてると思うか?」
「ただの停電かも」
「オレが行ってくる。あんたが行ったらロボットだと思われて撃ち殺されるからな」
溜口新一は車から降りると、警察手帳を高らかに掲げながら、停止して自動では開かなくなった自動ドアのそばに立つ自衛官二人に近づいていった。「いやあ、どうも!」と溌溂に挨拶した溜口だったが、自衛官達は全くの無反応だった。
「エイリアンどもの喧嘩だって?」
「立ち入りは禁止されているはずです」
「急ぎの用があるんだ。二階で大使館ごっこをしてるビザ発行窓口まで行きたい」
「今はダメです」
「なぜだ?」
「処理部隊が到着し、処理が完了するまでお待ちください」
「なあ、こんなこと初めてだ。先月、エイリアン同士が殺し合ってたよな? しかもこのゲート施設内で。な? だが、その時も別に、閉鎖まではしてなかった。それどころか、処理班が来るまで、緑色の血溜まりとエイリアンの死体をそのまま放っといて、いつも通りだった。ここまでするのは、よっぽどだ」
「来訪者同士の喧嘩です」
「いーや、いやいやいや、嘘だな。しかもかなりの嘘。大嘘だ。オレは陰謀論者じゃないけどな、それでも、かなりヤバい匂いを感じてる。どうだ?」
「立ち入りは厳禁です。立ち去ってください」
溜口新一は両手を上げた。「オーケー」「なるほど」「わかった」と言いながら、一歩、二歩、後退りして、車の方へ戻る。
助手席のドアを開けて、感情任せに乗り込んだ。そして、シートを後ろに倒して、アイマスクとイヤホンまで済ませていた桐崎美涼に対して、自論を展開した。
「来訪者同士の喧嘩だって言い張って、他はシャットアウト。かなり怪しい。エイリアンが関わる事件はオレ達の管轄なのに、中に入れないなんてことあるか?」
「さあ」桐崎は鼻と口だけが出たままの格好で、興味なさげな様子だった。「あなたも寝て、おとなしく待てばいい」
「自衛官の襟に、血痕が付いてた」
溜口の言葉に、桐崎美涼はアイマスクの片方だけを捲り上げて、彼の顔を見た。
彼女の興味を引くことに手応えのあった溜口は、続けざまに、演技がかった口調で煽りだした。
「エイリアンの血は緑だ。だろ? でも、自衛官の迷彩服に付いていた血は赤色の、人間の血痕だった。少なくとも、中に怪我をしてる人間がいる。なぜか電気を全て消した建物の、中にな」溜口新一は、桐崎の耳からイヤホンをひったくって、言った。「オレ達の仕事はなんだ?」
桐崎美涼は、倒していたシートを起こして、片目だけズレたアイマスク越しに溜口を見た。
彼女は深く息を吸って、それから、深く、長く息を吐いてから、言った。
「下水道なら、区画内と繋がってる」
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