侵略的外来種
@KiiroDLta
#1 外来種
桐崎美涼は、開店前の静かなバーの扉を威圧的に殴って、片手に持った書類を確かめながら、「B・イニヨカ・ンニ!」と、店主の名前を叫んだ。
しばらく待って応答がないと見るや否や、すかさず重たい拳を再度、扉に叩きつける。
「警視庁来訪管理課!」桐崎は名乗りと共に、容疑を突きつける。「入国管理局から言われて来てるんだけど!」
どたどたと、慌てて転がる姿が思い浮かぶような音が扉の向こう側から聞こえたかと思うと、また扉を殴りつけようとしていた桐崎をちょうど制止するように、飄々とした〝来訪者〟の声が篭って聞こえてきた。
「今デるって! 今、今今! いツも脅かすんだよな、警察のヒトたちは」
扉が僅かに開いた瞬間に、桐崎はその隙間に靴先を突っ込んだ。すかさず指を滑り込ませて、剥がし取るように、扉を思い切り開け放つ。
目の前には、触覚を慌ただしく揺らす昆虫型の生命体がいた。複眼の巨大な目は黒くうつろで、どこを見ているのかわからない。どこから拾って来たのか、破れかぶれの人間の服を着て、まるでこの日本で市民権を得ているかのようにそこに立っていた。
「ええと? あなた、イソニカ、あー、なんだっけ?」もう一度資料を確認して、貼り付けられた写真と目の前の生命体を見比べる。「B・イニヨカ・ンニ。あってる?」
「いや、ちョっと違う。正確には」
そう言って言い直した彼の発音は、とても人間の持つ文字には書き起こすことのできない、奇妙な音の組み合わせだった。プラスチックの蓋を開閉しているような、弁をぱかぱかと動かしているような、暖かみのない無機質な言語だった。
「あなたの種族の発音はどうでもいい」
桐崎美涼は、一応ヒト型と言える生命体の、硬い胸骨の部分を突っぱねるように押して、バーの中へと入った。バーカウンターのほうへ歩いて、コップに注がれている緑の液体を眺めながら、生命体に質問した。
「あなた、区外への外出許可を貰ったのはいつ?」
「いヤあ、さあ? いつだったかな。先週くらいか」
「嘘」桐崎は生命体へ振り返って、詰め寄る。「一ヶ月半前に発行したビザが、一週間前に切れてる。今すぐ墜落区画内に戻って」
「エえ! 何か間違えてるんじゃないですか? この間貰ッたばっかりなのに!」
桐崎美涼の片方の眉が、ぴくり、と跳ねた。
桐崎はホルスターから拳銃を引き抜いて、生命体の頭部に突きつけた。わざとらしくとぼける生命体のその姿は、せっかちな彼女に拳銃を握らせるには充分な振る舞いだった。
「帰るか、帰らないか」外骨格の硬い皮膚を銃口でこつ、こつと叩いて、生命体を急かす。「今決めて」
「帰リます! 帰る帰る! すぐ! すぐスぐ!」
人型をした昆虫の〝来訪者〟は後退りをすると、大慌てでバーカウンターの奥へと消えていった。「裏口から逃げようとか、思わないように」という桐崎の忠告に、生命体は「あいあイ、もちろんですよ」とへらへら笑って返事をした。
━━
溜口新一は車から降りると、大袈裟なガニ股で歩いた。開け放たれた扉から桐崎美涼が拳銃を引き抜いたのが見えたからだ。雨上がりの水溜りを革靴で踏み散らして、店内に入るなり、薄明かりの照明にいる桐崎に尋ねた。
「撃った?」
「まだ」
確認を終えると、溜口はカウンターの奥へと進んで、厨房を覗き込んだ。
冷蔵庫の食材を、手当たり次第に鞄に押し込んでいる昆虫の背中に、恐喝する。
「おい、虫のあんた」
「エ?」
「やばかっただろ? あいつ」溜口は口をへの字に曲げて、桐崎のいる方向を指差しながら言った。「あれ、オレのボス。マジですぐ撃つ。すぐだぞ? あいつはかなりヤバい。おたくも家族いるだろ? いるよな? 虫に家族とかある? トラとかライオンみたいにさ、哺乳類には家族があるワケよ。家族単位の生活がな。でも考えてみりゃ、虫が家族単位で行動してるの見たことないからさ、な? だから気になったったワケだ」
畳み掛けるような溜口の言葉に唖然とする生命体は、何を考えているのか読み取れない無機質な昆虫顔で、触覚を揺らしていた。
「聞いてるか? ああちょっと! それはダメだ」溜口が指を差して指摘したのは、生命体の手に握られていたタバスコの小瓶だった。「タバスコは区画内には持っていけねーのよ。おたくらみたいな虫は何でも食べるかもしれねーけどさ、タコ型のエイリアンはタバスコ食ったら溶けるんだよ。見たことある? 酢がダメなのかもしれないし、唐辛子がダメなのかも。オレが見たのは、区画内で居酒屋の真似事してる店があってさ、そこでタバスコがかかったタコスを食ったタコがいたんだよ。タバスコタコスタコだ。そいつが口から溶けていったのを見た。わたあめが溶けるみたいな感じでさ、ヤバかった。そっから禁止だ。全面禁止。居酒屋ごっこの店のメニューからタコスが無くなって、オレはタコスの美味い店を一個失った」
生命体は、返事をしたものかどうか迷う素振りを見せながら、小瓶をテーブルの上に置いた。返事をすればさらに口うるさく言われるのを嫌ったのか、黙ってまた、冷蔵庫の中身を物色していく。
「それ何?」
溜口はずかずかと生命体に近寄ると、冷蔵庫の奥に置かれていた大きな瓶を掴んで、引っ張り出した。
「あア、いやそれは」
瓶の中はオレンジ色をした液体に満たされていて、中に何かが沈んでいる。
溜口は瓶を揺らす。粘性のある液体のようで、とろとろと鈍い動きで内容物が回転した。「デカいタピオカみたいだ」と呟きながら、黒い団子のようなものが何なのか、瓶を傾けて、頭上に持ち上げて、中身を窺った。
そして、それを床に叩きつけた。
床に散らばったガラス片とオレンジ色の地面に、丸まったダンゴムシが転がった。日本にいるダンゴムシよりも遥かに大きな、ピンポン玉サイズの巨大な甲殻類だった。
「おいおいおいおいおいおい」溜口は、生命体を煽った。「なんだ? 区外に生き物を持ち出すのは禁止だ。わかってるだろ?」
「そレはデカいやつだよ! 日本の昆虫だ!」
溜口新一が腰のホルスターから拳銃を取り出して、地面に転がるダンゴムシの死骸を撃つまで、一秒も掛からなかった。
銃声。轟音が狭い厨房内を駆け巡って、カウンターを抜けて、外まで溢れ出る。溜口の鼓膜を大きく揺らした金属音の残滓が、耳鳴りを引き起こした。
ダンゴムシがいた場所に、蛍光色の緑色をした破片が、四方に散り散りになっている。
「日本の虫の血が緑か?」溜口は銃口をそのまま、目の前にしゃがんでいる生命体に向けて、続けた。「エイリアン過ぎんだろーがよ。見たか? 緑の血ぶち撒けながら弾け飛んだ。見ただろ? こりゃめちゃくちゃエイリアンだ。エイリアンど真ん中って感じだ」
そうしてようやく、生命体は三本しかない枝のような両手を前にかざして、懇願するように白状した。
「謝る! 謝るかラ撃たないでくれよ! 客に頼まれたんだ! ニギラルニのオレンジジュース漬けが飲みたいって!」
「誰だ? その常連は人間か?」
「人間だ! 人間ど真ん中ッて感じだ」
「そいつの名前は?」
「知らねえよ! 知ってたらすぐ言っテる!」
「すぐ言ってたら、オレが瓶の中身訊いた時に答えてるだろーが」
「いや、あア、まあ、そうだけど、本当に知らない! そいつは一回来たきりで、ニギラルニの汁を飲みたいって言ったから、ちょっと仕入れの時ニ、持って来ちまったんだ」
「知ってるか? おたくらのUFOの中で飼ってるキモい虫とか動物を外に持ち出すのは犯罪だ。特定外来生物に関するどーたらこーたらでな。お前らが日本に墜落する何十年も前からある法律なんだよ」
「でも、そレしか持って来てない! そいつらはもう死んでる! 生態系を壊すとかはしない! 死んでるからな。な?」
溜口新一は、口をすぼめた。
「なるほど? 確かにな」
「わかッてくれたか? さすがだ。あんたは良い警察官だと思ってたよ! おれのような惨めで貧相な、墜落区画内に居場所もなくて、外でこうしてバーをやるような愚かなインセタム人に慈悲をくれる! 良い奴、良い奴だ!」
「両手を頭の後ろに回して、後ろを向け」
「なニ? 捕まえるのか? おれを? 勘弁してくれ! 区内の奴らから嫌われてる! おれはニンゲンと仲良くしたいんだよ!」
「聞こえなかったか? オレはお前がさっき会話してた女警官より引き金が軽い。いや、待った。まあそれは嘘だが、それなりに軽い。つまりすぐ撃つってことだ。わかるか?」
「いいや、いヤいやいや、わからねえ! おれはあんたが良い奴だって信じてるよ!」
「三つ数える。両手を頭の後ろに回して、後ろを向け。三、二」
「勘弁してくれよ! 無理だ! 帰ったらまたいじめられる! 左脚にヒビが入ってるんだよ! 同じインセタム人に蹴られた!」
「一」
お面を貼り付けたような昆虫の顔。その下顎が、パックリと割れた。外骨格の両腕が大きく広がって、背中に隠していた茶色い翅が、着ている服を破って大きく開帳した。
しかし、銃弾の方が速かった。
銃声が一発、二発、三発と轟いて、昆虫型生命体の強固な外骨格の頭部を破壊した。緑色の体液が噴出する。続けざまに四発目、五発目と追撃する銃弾が、割れた陶器のようだった頭部をさらに破壊した。
こちらに倒れ込んでくる生命体だった者のボディを靴で押し返して、溜口は奥へ蹴り飛ばした。
様子を窺いに顔を出した桐崎美涼の存在に気づいて、溜口新一は、肩をすくめて言った。
「遺体処理班が必要だ。もちろん、エイリアン専門の。床に散らばった虫も片付けてもらわないと、キモいバイ菌が流行るかも」
「殺したの?」
「ヤバかった。見てくれよ、翅開いて、両アゴがカマキリみたいだった。がばっ、って感じでさ。今にも飛び立ちますよってな風にさ。あんた、カブトムシ飼ったことある? オレはあるんだけどさ、ガキの頃に。あいつら飛ぶ時、飛ぶぜって感じの雰囲気があんだよ。まさにそれだったね」
桐崎美涼は返事をしなかった。踵を返して店を出ると、水溜りを避けて、車へ向かった。全開の窓から腕だけを突っ込んで、車内の無線を掴んで報告する。
「来訪者通りの《センチネル》ってバーに遺体処理班を寄越して。あと滅菌班も」
先ほどの銃声を聞いて様子を見に出て来たのか、数人……または数匹の生命体が、通りに姿を現していることに気付く。
桐崎美涼は、彼らに対して放り投げるように言った。
「何見てんの? あなた達も変な虫飼ってる?」
桐崎の言葉を受けてのそのそと棲み家に戻っていく〝外来種〟達を見ながら、彼女はサイレンの音が聞こえるのを待っていた。
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