第五章 【裏切りの聖堂】:神の筆致(スクリプト

聖都フェリシタスの中心にそびえる大聖堂。 白亜の回廊を歩きながら、俺は内心でほくそ笑んでいた。


目の前には、柔和な笑みを浮かべる教皇マクシミリアン。 だが、俺の視界に展開されたウィンドウには、彼の隠されたステータスが赤裸々に表示されている。 【属性:黒幕(プロット・デバイス)】 【役割:第1章ボス。エルナを贄として暗黒神の端末を召喚する】


(クク……、哀れだなマクシミリアン。お前のその「慈愛に満ちた表情」も、裏で画策している「毒殺計画」も、すべて俺が徹夜で考えた「設定」通りだ)


今の俺は、文字通り「物語の先を知る神」。 お前がエルナを奥の儀式の間へ連れ込み、聖杯に盛った毒で意識を奪う――その展開は、百回は推敲した既定事項(シナリオ)に過ぎない。


儀式の間。ステンドグラスから差し込む月光の下、教皇が銀の杯をエルナに差し出した。 「さあ、聖女よ。これを飲み干し、神との一体化を……」


エルナが震える手で杯を受け取ろうとする。 その瞬間、俺は指をパチンと鳴らした。


「――止まれ(ポーズ)。そこまでだ、三文役者」


俺の声に呼応し、俺の脳内で構築された記述が現実を侵食する。 「設定変更(リライト)――! その杯の中身は、猛毒の『魔を招く液薬』から、ただの『腐った泥水』へと変質する!」


【オーバーライド:承認。対象物質の構成要素を置換します】


ボコッ、と嫌な音がして、杯の中の液体が瞬時にヘドロのような泥に変わった。 「な……ッ!? 馬鹿な、なぜ聖なる雫が!?」


狼狽する教皇。俺はエルナの肩を抱き寄せ、冷笑を浮かべた。 「なぜって? お前がそうなるように、俺が決めたからだ」


「き、貴様は何者だ……! 私の崇高な計画を!」 教皇の背中から、どす黒い影のような触手が噴き出した。正体を現したな。本来ならここで苦戦するはずの中ボスだ。


だが、今の俺には「最強の駒(コマ)」がいる。


「アルス。出番だ」


俺は隣に控える銀髪の英雄に命じた。 以前埋め込んだ『後悔を糧に肉体を駆動する呪い(設定)』。それが今、アルスの神経網に深く根を張り、彼の意志とは無関係に戦闘行動(コマンド)を実行させる。


「……了解(イエス)」


アルスの瞳には、光がない。 まるで精密機械のように、彼は聖剣エクセリオンを抜き放った。 「ああ……体が、勝手に……斬る……」


呟きとは裏腹に、その動きは神速だった。 俺が脳内で「敵を排除せよ」とイメージした瞬間、アルスの体は残像を残して教皇の背後へと転移していた。


「な、見え――」


「設定追加(アペンド)。この一撃は『防御不可能』であり『回復阻害』の呪いを伴う」


ズンッ!!


一閃。 教皇の体、そして召喚されかけた影の触手が、一瞬にして十字に切り裂かれた。 断末魔すら上げる暇はない。それは戦いではなく、ただの「作業(デリート)」だった。


崩れ落ちる教皇を見下ろし、俺はウィンドウを確認する。 【第5章イベント:クリア】 【プロット整合性:完全(パーフェクト)】


「……完璧だ」


俺は歓喜に打ち震えた。 これだ。これこそが俺の求めていた物語だ。 不確定要素などない。俺が書き、俺が命じ、世界がその通りに動く。 アルスも、俺の与えた最強の設定(呪い)によって、俺の手足として完璧に機能している。


「カズ様……凄いです! まるで未来を見てきたかのような……」 エルナが尊敬の眼差しを向けてくる。


「ああ。俺には見えるんだよ、この世界の全てがな」


俺はエルナに微笑みかけながら、剣を納めて立ち尽くすアルスを一瞥した。 彼は自分の震える右手を見つめ、何かを言いたげに口を開いたが――結局、何も言わずに俯いた。


(いいぞ、アルス。余計な自我(エゴ)など不要だ。お前はただ、俺が描く最高のハッピーエンドまで、その剣を振るっていればいい)


俺は確信していた。 この調子なら、中盤も、そしてまだ見ぬ終盤も、俺のコントロール下で完璧に書き上げられると。


しかし、俺は気づいていなかった。 アルスの沈黙が、服従の証ではなく――深く静かに降り積もる、どす黒い「澱(おり)」であることを。 その澱が臨界点を超えた時、作者(カミ)のシナリオなど紙切れ同然に引き裂かれることを、今の俺は知る由もなかった。


「行くぞ、次の章へ。――物語は順調だ」


俺の合図で、一行は崩壊した聖堂を後にする。 足取りは軽い。俺の頭の中には、次の勝利の記述(コード)がすでに輝いていた。

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