『俺のラノベは中盤からが地獄だった ―第1章で聖女を助けたのは主人公(アルス)じゃなく作者(ぼく)でした。未設定のラスボスに震えながらハッピーエンドを目指す―』
第一章 虚飾の筆名と、現実の崩壊(コラプス)
『俺のラノベは中盤からが地獄だった ―第1章で聖女を助けたのは主人公(アルス)じゃなく作者(ぼく)でした。未設定のラスボスに震えながらハッピーエンドを目指す―』
朧木 光
第一章 虚飾の筆名と、現実の崩壊(コラプス)
「……ククッ、これだ。この絶望こそが、英雄を育てる糧となる」
深夜、薄暗い部屋に男の嘲笑が響く。 佐藤(さとう)カズキ――否。ネット小説界において、その男は『天界院・L・カオス(てんかいいん・える・かおす)』という、見る者が悶絶するような厨二病全開の筆名を名乗っていた。
彼は、自分の脳内にのみ存在する絶対的な法典(プロット)に従い、数多のキャラクターを掌上で踊らせる「神」を気取っていた。
「さあ、堕ちるがいい、聖女。お前の叫びが、真の救世主を呼び覚ます鍵となるのだ」
モニターの中で、彼の書き上げた残酷なまでの第1章が踊る。 彼の手が、投稿ボタンに添えられた。その指先が、運命の引き金(トリガー)を引く。
その瞬間だった。 パソコンのファンが悲鳴のような異音を上げ、部屋の電力が一点に収束するように消滅した。 訪れる、完全なる静寂。
「……停電か?」
いや、違う。 モニターから這い出してきたのは、ドロリとした「漆黒の文字」だった。 それらは意思を持つ鎖のようにカズキの腕に絡みつき、肉を食い破り、骨の髄まで浸食してくる。
「な、なんだこれは……文字が、俺の中に……っ!?」
視界が歪む。 部屋の壁が剥がれ落ち、その向こう側に「記述された設定」が文字の奔流となって渦巻いているのが見えた。 意識が、数万の単語に分解されていく。 血液の一滴一滴がインクに変わり、皮膚が羊皮紙のように変質していく。
『汝(なんじ)、自らが描いた罪に沈め――』
誰の、あるいは己の幻聴か。 重力から解き放たれた体は、論理(ロジック)の深淵へと真っ逆さまに突き落とされた。 佐藤カズキという存在は消え、彼は『天界院・L・カオス』として、自らが創造した残酷な虚構の海へと、永遠に沈んでいった。
第1章:書き出しの一行目、想定外の再会
頬を打つ冷たい雨の感触で目が覚めた。 重たい瞼を開けると、そこにはコンクリートの壁ではなく、苔むした巨大な石造りの門がそびえ立っていた。
「……ここ、は?」
見覚えがある。いや、見覚えなんてレベルじゃない。 この重厚なルネサンス調の建築、門に刻まれた双竜の紋章。 「王都グランセル。俺が昨日、第1話の舞台として描写した場所だ……」
自分の手を見る。細く、頼りない。 身にまとっているのは、安物の冒険者用チュニック。 俺は自分が書いた小説の、まさに「第1章・1ページ目」に転生してしまったのだ。
「待てよ。第1章の始まりってことは……」
俺は慌てて広場へと駆け出した。 俺の書いたプロットによれば、この物語は「王都にやってきたばかりの主人公・アルスが、暴漢に襲われている聖女・エルナを助ける」ところから始まる。 いわゆる「ボーイ・ミーツ・ガール」の王道シーンだ。
しかし、広場に着いた俺が目にしたのは、耳を疑うような怒号だった。
「ひゃっはー! 聖女様よぉ、その綺麗な顔を台無しにしてやろうか!」 「や、やめてください……! 誰か、助けて!」
悲鳴を上げているのは、俺が設定したヒロイン、エルナだ。 予定通り。完璧なタイミング。ここで、銀髪の美少年剣士、アルスが颯爽と現れ、彼女を助けるはずだ。 俺は野次馬の影に隠れながら、アルスの登場を待った。
……1分。2分。 雨足が強くなる中、一向に「最強の主人公」が現れる気配がない。 エルナの肩に、暴漢の汚れた手が伸びる。
「おい、冗談だろ……? アルスは何をしてるんだよ!」
本来なら、アルスはここで「遅れてごめんね」と格好良く登場するはずだ。 だが、待て。俺は思い出した。 第1話の執筆時、俺はアルスの登場シーンに「運命に導かれるように現れた」という曖昧な表現を使った。その「運命」という不確定要素が、現実となったこの世界ではバグを起こしているのではないか?
「このままだと、エルナが……第1話で物語が終わっちまう!」
俺は無意識に足を踏み出していた。 俺の今の姿は、序盤でアルスに情報を売るだけの弱小モブ「カズ」。戦闘力なんて微塵もない。 だが、作者である俺は知っている。この暴漢たちが、実はただのチンピラではなく、後の伏線になる「暗殺組織の末端」であり、彼らの持っている武器には「ある致命的な欠陥」があることを。
「そこまでだ、お前ら!」
俺の叫びに、暴漢たちが一斉にこちらを向く。 「あぁ? なんだお前。死にたいのか、ガキが」
心臓が壊れそうなほど脈打つ。 俺は震える指先で、暴漢が持つ錆びた長剣を指差した。
「その剣……柄の根元にあるネジが一本緩んでるぞ。あと3回振れば、刃が自分の方に飛んでくる。――俺が書いた設定(ルール)だ。間違いない」
「……はぁ? 何を言ってやが――」
暴漢が激昂して剣を振り上げた瞬間、俺の視界の端に、あの日パソコン画面で見た「執筆用ウィンドウ」が浮かび上がった。
【警告:記述(プロット)の改変を確認。マスター・天界院(テンカイイン)による一時介入(オーバーライド)を承認します】
カキン、と高い音が響く。 次の瞬間、暴漢の振り下ろした長剣が根元からへし折れ、自らの肩に突き刺さった。
「ぎゃああああっ!?」
混乱する現場。俺は呆然と立ち尽くすエルナの手を掴んだ。 「逃げるぞ! 詳しい説明は後だ!」
走り出した俺の頭の中には、恐ろしい予感が渦巻いていた。 本来現れるはずの主人公アルスは、どこへ消えたのか? そして、中盤以降の設定が「白紙」のままのこの世界で、俺はどうやって物語を終わらせればいいのか。
「……ハッピーエンドまで、あと〇〇章。書ききってやるよ、俺が」
雨の王都を、作者とヒロインが駆け抜けていく。 これが、俺が書き換える『真実の第1章』の幕開けだった。
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