その穴を覗いてはいけない

NIZ

第1話 電話

 山梨県の山中で、恐らく10年前のものと思われる白骨死体が見つかった。警察は現在、身元を確かめているそうだ。


「指も顔も潰されて、歯も全部抜かれてるから、身元を確かめるのに随分と時間がかかってるんだと」

 編集部の誰かが噂しているのを小耳に挟んだ程度で、大友直美はさほどその事件に興味があるわけではなかった。無礼なことを言えば、どこの誰が死のうと大衆には何の関係もないのである。今日もこれっといった特ダネは無いなと、大友は暇を持て余した。

「まあいいじゃないか、俺たちが暇を持て余してるっていうのは、それほど平和だっていうことだろ?」

 自分たちがいかに人様の不幸に群がって恩恵を受けているかいるか、皆痛感した。しかしいつ潰されてもいいような弱小雑誌の編集長が、何をほざいているのだろう。

 編集長の八木岡学は、人相の悪い男だった。元の顔は悪くないのに、眉間に深く刻まれた皺と、全てを疑ってかかっていますといった鋭い目つきが、悪役顔たらしめていた。今年で44になるそうだが、まだまだ独身長そうだなといった雰囲気を纏った男だといったら伝わってほしい。

 大友は某コンビニにて調達したLサイズのアイスコーヒー片手に、先日取材したどうでも良い二流芸能人のスキャンダルの原稿を見直していた。なんせ金のない編集部なもんで、取材から原稿作成まで一人で行わねばならぬのだ。

 大友はEnterを叩き終わると共に、コーヒーを勢いよく吸い込んだ。一気に半分が減る。ほらみろ、やっぱり氷でかさ増ししているではないか。最近の物価高には本当に困ったものである。せめて給料が上がれば、、

 そんなことを考えていると、珍しく手元の固定電話が鳴った。非通知だ。聞き慣れない音に、皆の興味が惹きつけられる。しかしこんな弱小雑誌に、大したニュースが舞い込んでくるはずもなかろう。どうせまた面白みもない熱愛報道への情報提供だろうと、大友は面倒くさそうに受話器を引き上げた。

「はい、xx編集部です」

「……」

 しかし相手は一向に話し出す気配がなく、大友はイタズラ電話かと疑った。

「…私、今朝の白骨死体に関係があるかもしれないんです」

 大友は一瞬耳を疑った。白骨死体とは、同僚が話していたアレのことだろう。では、それに関係しているかもしれないとはどういうことなのだろう。関係しているのかしていないのかはっきりしろと大友は思った。

「失礼ですが、まずお名前を伺ってもよろしいでしょうか」

「…近江智幸」

 おうみともゆき、と手元にあった紙の切れ端にかきなぐる。電話越しではわかりにくいが、50代ほどであろうか。どんなに些細な迷惑電話とはいえ、編集部にとっては貴重な情報源だ。得られるだけの情報は得よう。それが大友のスタイルだ。

「ご用件は、今朝発見された白骨死体に関する情報提供でお間違いないでしょうか」

 さほど難しい質問をしたわけではないが、相手はまたもや黙った。ザーザーと固定電話特有のノイズが聞こえる。

「あやこは今どこにいるんですか」

「え?」

 身に覚えのない人物に対する質問に、大友はたじろいだ。八木岡と目が合う。彼は、どうした?というように首を傾げる。大友は会話を続行するか編集長の指示を仰いだ。察した八木岡が受話器を受け取る。

「お電話変わりました編集長の八木岡と申します。現在こちらがお受けできますのはのは事件などに関する情報提供のみとなっておりまして」

「あなた昔、ニュースxの記者やってましたよね」

 八木岡が一瞬驚いた顔をする。かつては業界でもそれなりに活躍していたので、その頃のファンだろうか。と彼は考えた。

「はい、やらせて頂いておりました。しかしこのようなお電話は」

「山梨美術教室生徒殺害事件をご存知ありませんか」

 山梨美術教室女子生徒殺害事件、通称「血の絵事件」。高校美術教師が自ら殺めた教え子の血でで絵を描いていたという猟奇殺人事件だ。もう10年も昔になるが、かつてマスコミ業界を大いに沸かせ、八木岡も必死で追いかけていたことがあり、記者として知らないはずはなかった。

 かさりと音がし、手元の紙屑が目に入った。「おうみともゆき」。心臓が大きく跳ねる。大友と目が合うが、彼女はまだ何も気づいていないようだった。

「お父様ですか?」

 近江智幸、血の絵事件の犯人である松田真一の実の父親と同姓同名だ。八木岡は取材をする上で一度彼を訪ねたことがあったので、その時に名前を覚えられたのだではないだろうか。

「…ああ」

 身体中の血が騒ぐ。もし自分が今話している相手が近江智幸本人だとしたら、それは八木岡にとって、編集部にとって、この上ない大チャンスである。八木岡は高鳴る鼓動を何とか抑え、五感を一気に受話器に集中させた。彼の記者としての腕が試される。

「詳しくお聞かせください」

 八木岡は噛み締めた、10年ぶりに発するその言葉を。




 


 

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