実験棟ヴィサヴァーン :全十章と起源の物語
@Falxtan
第一章:『観測限界の孤影』
ここは一階、この百階建ての塔において最下層である場所。
下層スラムの空気は重く、常に上層から降り注ぐ微細な星屑の塵で濁っている。
リュウは、泥にまみれた農地の隅で激しく咳き込んだ。
彼の指先から放たれる「緑(身体)」の光は、もはや消えかかった街灯のように頼りない。
「……あと、一週間か」
台帳に表示された資産(ベネフィット)は、生活維持費の自動引き落としにより、刻一刻と死の数字「0.00」に近づいている。
彼は震える手で、布に包まれた重い物体を抱え、スラム街の「運び屋」のもとへ向かった。
それは、彼の家系が数世代にわたって守り抜いてきた、望遠鏡だった。かつては一等星の表面の爆ぜる光さえ捉えたという名品だ。
だが、今のリュウには、空を眺める「赤(信仰)」の余裕など残っていない。
「レンズに曇りがある。お前の命と同じだ」
運び屋は冷淡に言い放ち、相場の十分の一にも満たない、はした金を提示した。 「……ふざけるな。これがあれば、二等星の最期だって見えるはずだ!」
「気に入らないなら、それでいい。そのまま抱えて百階へ行け」
リュウは膝をついた。怒りさえも資産を削るリスクとなる。彼は屈辱と共にその金を受け取り、引き換えに唯一の「空への窓」を失った。
数日後、リュウの資産はゼロになった。光も音もなく、彼の肉体は百階へと吸い上げられた。床には、誰にも見つかることのない一対の眼球だけが転がった。 その夜、新しい星が灯ることはなかった。リュウがなった「六等星」は、下層の安価な望遠鏡では決して捉えることのできない、暗闇そのものだった。
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