「論理の透明度」
石橋 ももこ
ep.1〜8「謎のバズりと、ドアバイザーの代償」
0
*
- 明るい。良く寝た。暗い方が落ち着くけど。いい夜だなぁ。
少し黄ばんだプラスチックを一枚
リビングで女子が二人、くつろいでいる。
一人はテレビ、一人はノートPCとスマホ。
その、
『ケッ、ケーン!』『ケッ、ケーン!』
キジだ! 怖い! 怖いよう!食べられちゃう。もう丸くなるね。
大丈夫よ。私たちとの間には、透明な壁があるでしょう。
そうだった。それにキジがリビングにいるはずないもんね。 -
*
1
『ケッ、ケーン!』『ケッ、ケーン!』『ケッ、ケーン!』
エアコンが効いた快適なリビングで、
ソファに寝転んでテレビを観ていた女子が、
面倒くさそうにモニターホンに近付いてボタンを押す。
「ねぇ!うるさいんだけど!」
数秒後、家の奥の方からドアの開閉音が鳴る。
その数秒後、リビングのドアが開き、
もじゃもじゃ頭の中年男性が現れる。
その表情は暗く、
「ねぇ。さっきからうるさいんだけど。そのスマホのキジ!」
「ごめん…。サイレントにするのを忘れていました。」
『ケッ、ケーン!』
リビングの中心に置かれた、低めのガラステーブルの上から、
もじゃ男がスマホを拾い上げ、操作する。
なぜか、もじゃ男の手は震えている。
やがてリビングは、テレビから流れる、
引退したスポーツ選手のドキュメンタリーの音声だけが
「もう…。感動的で、集中してたのにぃ。」
ソファに腰かけ直した女子が、
もじゃ男に苦情の言葉と視線をぶつける。
スマホを操作し、女子の方を向いたそのもじゃ男の表情。
眉毛だけでなく、口角までハの字、いや、への字になってきている。
「何よ…。悪いのはお父さんでしょ。」
想定以上に弱体化している父の表情に戸惑いながら、少し控えめに
2
向かい側のソファから、もう一人の女子が、
ノートPCを触るのを止めて、怒れる女子に言う。
「
凪と呼ばれた怒り女子と、お父さん兼お兄が同時に顔を向ける。
「え?バズ…。ほんとに?ユキちゃーん。見せて!見せて!」
ユキは、お兄に承認を求めるように顔を向ける。
が、どういうわけか、お兄は下を向いてしまう。
「お父さん。やったじゃーん。不人気チャンネル脱出だね!」
凪は
父親には響かなかったらしい。
異常に小さな声量で話し始める。元々、声が低いので聞き取りにくい。
「これは違う…。論理的じゃない。
私の動画は、こういうバズり方をしちゃ駄目なんだ…。
コメント欄が。うぅ…。」
戸棚からウイスキーを出し、グラスではなく、
マグカップに注ぎ、一気に飲み干すと、
スマホを持って自分の部屋に戻って行ってしまった。
「ウイスキーを、あんな風に飲むなんて。お兄は、相当まいっているのかもね。」
「いつも。う~ん、このピート?の香りが。とか言ってるしね。
ダンゴムシにも
と言いながら、凪はユキの隣に座る。
3
「で、何が起きてるの?ユキちゃん。」
ユキがピンク色のマウスでノートPCを操作し、
今、このリビングでもテレビ番組からバズりの
話題の男の動画ページを開く。
[視聴数6,000超] [コメント数500件超] [いいね数2,000件超]
「これは…。バズってるじゃん。」凪のこの言葉はかなり正確である。
この家のバズ男こと、凪の父親である、
常に視聴数二桁を、
「バズった理由はわからないけど、お兄はコメント欄が嫌なんだろうね。」
[ピーチ!] [やっぱり桃好きなんですね!] [本家はキレが違うな笑]
[レッツ、ピーチ!www] [その桃の置物ください。] [声渋い。]
「ダンゴムシじゃなくて、桃の部分がバズってるのか…。」
「お兄的には、あれはダンゴムシの研究レポートだからね…。」
「でも、ま、明日も学校だし。寝ようかな。ユキちゃん、おやすみー。」
「うん。おやすみー。」
自室に向かう凪を目線で見送ったあとも、ユキはコメント欄を見続ける。
「なるほど…。こういうことかな。大体わかったぞ…。」
4
翌朝6時半、リビングでトーストと目玉焼きを食べる女子二人。
「今日もお父さん、小学校で講演って言ってたはずだ。」
「あ。そうだね。
二人が食べ終わり、
食洗器に使った食器類を入れていると、
リビングに絵写乱が現れた。
「おはようございます。ユキさん、凪。
昨夜は取り乱して申し訳ありませんでした。
いえ、私のキャパを少し超えただけです。
アップデートは完了したので、もう大丈夫です。
いや、本当に失礼しました。」
既にパジャマではなく、ラフだが、
仕事用の服装に着替えてある。
*
- 明るい。眠い。まだ朝だよね。
あれは、絵写乱さんかな。
パジャマじゃない。朝ご飯を食べてる。
いつもは先に挨拶して、霧吹きかけてくれるのに。
そういう時もあるよね。
あれ、土が少し湿っているなぁ。ラッキー。 -
*
夏休みも体育祭も、定期テストも終わって、9月下旬。
まだ暑さが続くこの時期、PTA主催などの講演が学校では多い。
SNSやメディアコントロールといった情報モラルに関する講演依頼が増える。
絵写乱の講演は、
要望に
年々依頼は増えているようだ。
「お兄。各部屋のダンゴムシには、私が霧吹きをかけておくよ。
今日も講演だよね。頑張って。」
「ああ。ユキさん。ありがとう。
そうだった。講演内容を少し…。」
「昨日のバズりの、コメント。気にしちゃだめだぞー。」
凪の一言に、一瞬、絵写乱の眉毛がハの字に、な…、らない。
「わかっている。私の修正アップデートは完了している。」
「いってきまーす。食洗器のスイッチ、お願いー。」
「お兄。行ってまいりまする。」
枠水家の女子二人が、
残された絵写乱は、スマホを見ようとして、
を繰り返す。
5
東陽小に向かう時間になり、
少しだけ目をこすり、カーポートに向かう。
白いプジョー406クーペを見て少しホッとした気持ちになる。
「いつも通りを心掛けよう。」自分への呼びかけを口にする。
ドアを開け、乗り込み、キーを差し込む。
少し重厚なドアを閉め、深呼吸をする。
右手でキーを握り、時計回りに
少しガラガラとしたエンジン音が聴こえ、
今日は、元気良く[
印象的な電子音が流れ始める。このノイズ混じりの透明感、美しい…。
クラッチペダルを操作し、ギアを入れる。
するすると発進し…
「うっ!」できない!エンストしてしまった…。
元気良く[Radiohead]ってのは、おかしかったかな。はは。
再度、キーを捻りエンジンをかける。
地元ラジオのFM新潟に切り替え、発進する。
「あー。いー。うー。」うん。声もよく出る。
道路標識の速度表示、30キロをしっかり守り、東陽小に向かう。
22分で着くはずだ。焦ることはない。まだ45分以上ある。
- しかし、東陽小に到着したのは、講演開始5分前であった。
渋滞などではない。絵写乱の計算ミスである。 -
6
東陽小の駐車場では、物言わない赤いコーンと、
ゆっくり、プジョーを講師様用を示すコーンが置かれた駐車スペースに停める。
「枠水先生。事故でもありましたか?」
「いえいえ。ただの私の計算ミスでして。申し訳ない。すぐに用意を。」
内履きに履き替え、講演会場の体育館へ向かい、
先生方への挨拶もそぞろに、
「では、今日の情報モラル
*
「枠水先生、ありがとうございました。
相変わらず、子どもに響く内容だったと思います。
またお願いします。」
「いえ。とんでもない。あんなギリギリに来てしまうなんて、
学校現場において、あるまじき行為です。
子ども達がきちんと待っているというのに。申し訳ない限りです。
次があれば、もっと早くに来ますので。」
校長室にて、出されたお茶も一気に飲み干し、お代わりを断り、
「では、申し訳ありません。
この後も少しありまして。」などと、
謎の言い訳をして、東陽小の職員玄関からそそくさと外に出た。
プジョーに乗り込み、ドアを閉める。
自分だけの空間の出来上がりだ。
「やはり私は出来る男だ。ひっひっひっ!」
少しだけ解放感を得た絵写乱の、心からの叫びであった。
- 絵写乱は、本気で笑う時に、引き笑いになる -
8
いつも通り、ゆっくりとした速度で走るプジョー。
15時か。帰る前に、アイスコーヒーが飲みたいな。
そして、今日の振り返りと、次回以降の講演内容。
お、そうだ。自宅からの経路の確認だな。
制限速度50キロの道路を、49キロでプジョーを走らせながら考える。
交通の流れから考えて、自分が遅いのは理解しているが、
こんなに間近まで迫る必要があるのか。
バックミラーを見ながら、少しだけイライラしてしまう。
あれは…、レクサス
色は黒。ふむ。良いデザインだ。
抜いてくれれば、後ろのデザインも見ることが出来るのだが。
と、思ったと同時に猛スピードで右から抜かれた。
やはりなかなか良いデザインだな。近くで見てみたいが。
顔を上げた先に見えるファミマの看板。
あんなに美味いアイスコーヒーが、
あの価格で買えるというのは。ファミマ…。愛しています。
きっちり左側を見て、巻き込み確認を行い、
左折でファミマの駐車場に入る。
では、遠慮なくこのスカスカなエリアに。
やはり、ここのファミマは、
駐車場が広い所が魅力だな。遠めに停めるに限る!
*
ティロティロティローン、ティロティロリーン♪
*
カップを軽く振って飲む「…やはり美味い。」
太陽が照り付ける中、染み渡る。
アイスコーヒーの美味さに感動しながら歩き始め、
自分のプジョーを見る。
「むっ!」なぜ、こんなに空いているのに、隣に停めるんだ…。
8
しかも、さっきのブラックレクサスISくんじゃないか?
ふむ。やはり良いデザインだ。
停まっているISを近くで見られる機会は初めてだな。
ほほう。なるほど。ここの面構成と…。
おっと、運転手は、電話中か。何も言ってきまい。
ゆっくり見させていただこう。
後ろから見たときの、この角度。少し
ふむふむ。良い…。
ちょっと
いや、うん。良いな。
「やはり、ドアバイザーが最悪だな!全てを台無しにしている!」
なぜか大きく声に出してしまったが、満足だ。帰ろう。
プジョーのドアに手を掛けた時。
素晴らしく良いデザインだが、
台無しになっていると評した車の後部座席から、
一人の男が降りてきた。
違和感を感じさせないように、
少し右側を振り返るようにして、目を細めて確認する。
身長は私より10センチ程高く、年齢は同程度。
高級そうなスラックス、革靴、シャツ。時計。
「その車、あなたのなんですね!いいですねー!ジャガーですね!」
急にイケメンが話しかけてきた。
だが、ジャガーではない。プジョーだ。
「ジロジロ見て申し訳ない。良いデザインの車だな。と思いましてね。」
「あはは。いや。普通のレクサスですよ。よくいますよ。」
普通…か。なるほど。そう来るか。それならば聞いておこう。
「失礼ですが、お仕事ですか?こう暑い日に外は…、大変ですね。」
「いやぁ。学校で講演をしてきまして。
あ、私はサッカーをやっていたのですが。
子ども達に、[夢は必ず叶うぞ!]という内容で。」
「
イケメンを呼ぶ声。
「あ、すいません。では。」と
フィーン……、ブォーン!ブフォーーン!オォォォン…
あっという間にファミマから去っていくレクサス。
アイスコーヒーを
「阿坂…。」
ep.9に続く
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