第2話 現場の静けさ
現場の部屋は、驚くほど整っていた。
玄関に靴が二足。どちらも揃っている。
コートはハンガーに掛けられ、鞄は椅子の背に。
生活の途中で倒れた形跡はない。むしろ、片付けてから死んだように見えた。
警察官が二人、部屋の隅で低い声で話している。
こちらに気づくと、年配のほうが近づいてきた。
「特別監査課の……」
「はい」
名刺を出すと、相手は一瞬だけ目を伏せた。
この部署の名前は、現場では歓迎されないことが多い。
“死んだ理由”より先に、“説明の正しさ”を見に来る人間だからだ。
「死因は?」
「まだ確定してません。ただ……」
警察官は言葉を選んだ。
選ばなければならない言葉が増えた社会では、沈黙も技術になる。
「外傷は軽微。争った形跡も薄い。事故とも言い切れないし、他殺とも……」
「分からない」
「ええ。分からない」
分からない、という言葉がここでは正直だった。
そして正直さは、しばしば不安を生む。
僕は室内を一周した。
キッチン、リビング、寝室。
どこにも、異常はない。
死体は寝室にあった。
ベッドの脇、床に仰向け。
目は閉じられている。苦悶の表情はない。
医療用の簡易モニターが、まだ脈拍の名残を記録している。
ゼロの線は、まっすぐだった。
「発見は?」
「隣人です。規則正しい人だったらしくて。いつも同じ時間に出勤する。今日はそれがなかった」
規則正しい。
その言葉が、僕の中で小さく反響した。
被害者――いや、当事者の名前を、もう一度頭の中でなぞる。
データ上の彼は、確かに“規則正しい人間”だった。
リスク通知は常に低。
行動偏差も小さい。
予測モデルの中では、理想的な市民。
だからこそ、非表示だった。
「ここに来る前、彼は誰かと会っていましたか」
警察官は首を振る。
「通信履歴は調べました。直前の通話はなし。メッセージも、仕事関係が数件。特別なやりとりは見当たりません」
「訪問者は」
「監視カメラでは、確認できていません」
確認できていない、という言い方は正確だ。
映っていないとは、言っていない。
僕は窓に近づいた。
カーテンは半分だけ開いている。外は住宅街で、人の目は多い。
それでも、ここは“安全圏”として評価されていた。
安全圏。
それは、死なない場所ではない。
死ににくい場所だ。
「監査課さん」
若い警察官が声をかけてきた。
手にはタブレット。画面をこちらに向ける。
「これ、どう思います?」
表示されているのは、当事者の最終行動ログだった。
帰宅時刻、室内の移動、照明のオンオフ。
すべてが、予測どおり。
唯一、違う点がある。
「この時間帯、ここに立ち止まる理由がありません」
彼は、寝室の入口で数十秒、動いていない。
何かを考えていたのか、待っていたのか。
それとも、ただ立ち止まっただけか。
「予測上は?」
「意味のない停止行動です」
若い警察官は、少し困ったように笑った。
「意味のない、ですか」
「はい。目的が推定できない」
人は、目的のない行動を取る。
だが、この社会では、それが“例外”として扱われる。
僕は、非表示情報の文を思い出していた。
〈特定接触〉
〈特定場所〉
〈特定時間帯〉
条件は揃っている。
揃いすぎている。
「この人……」
若い警察官が、言いかけて口をつぐんだ。
「どうしました」
「……いや。予測、信じてたんだろうなって」
それは、責める言い方ではなかった。
むしろ、羨ましさに近い。
信じられる未来があること。
それが保証されているという感覚。
僕は、答えなかった。
正確な答えは、ここでは残酷すぎる。
現場を離れるとき、年配の警察官が言った。
「正直に言ってください。これは……殺人ですか」
廊下の蛍光灯が、わずかに瞬いた。
僕は足を止めたが、振り返らなかった。
「現時点では、判断できません」
それは嘘ではない。
だが、すべてでもない。
「ただ」
言葉を続けるかどうか、一瞬迷った。
迷う必要はない。だが、迷いは消えない。
「説明は、難しくなります」
警察官は、苦い顔をした。
説明が難しい事件は、長引く。
そして、どこかで簡略化される。
庁舎に戻る車の中で、僕は端末を開いた。
非表示情報のログを、もう一度確認する。
表示しなかったのは、誰だ。
いつ、どの判断で。
そこには、個人名はなかった。
役職と、承認コードだけ。
制度は、いつも匿名だ。
だが、判断は人がする。
画面を閉じ、窓の外を見る。
夕方の街は、いつも通りだった。
人々は自分の通知を信じ、歩いている。
起きるはずのない死が、
すでに一つ、起きたことを知らずに。
僕は、次に確認すべき項目を頭の中で並べ替えた。
非表示の基準。
承認フロー。
そして――同じ条件を持つ、他の人間。
考えるべきことは多い。
だが、順番は決まっている。
説明は、まだ終わっていない。
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予測可能な朝 @kamishibai
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