外伝EP05 正しさは、人を救わない
※本作は『君を救うために時間を越えた。〜REWIND〜』本編を補完する外伝記録です。
本エピソードは、本編の重要構造・伏線・人物理解に深く関与します。
本編未読での読了は、推奨されません。
⸻
〜3週目・ジン視点〜
戻った、という認識は、遅れて来た。
視界や音よりも先に、ジンの内部で処理が走った。
(……時間座標、確定)
2030/04/07
日付の数字は即座に意味を持ち、同時に「余分な感情」を切り離す。
驚きはない。
恐怖もない。
あるのは、一致だった。
(予測と結果が、合致している)
成功した、という評価ではない。
「成立している」という確認。
世界が壊れていない。
リクとサラが存在している。
自分がここにいる。
条件は揃っている。
それだけで、次の計算へ進めた。
背後から声がしたときも、処理は止まらなかった。
「おかえりなさい、ジンさん」
声質、トーン、感情揺らぎ、平常域。
(……想定内)
振り返ったのは、礼儀でも感情でもない。
情報を正面から受け取るためだった。
サラがいる。
生きている。
取り乱していない。
ここで初めて、ジンは一つの仮説を確定させた。
(彼女も、ループを“知っている側”だ)
だが、問いは立てない。
今は不要だ。
重要なのは、誰がどこまで動けるか。
「……知っている範囲を、言えるか」
感情を排した確認。
それ以上でも以下でもない。
「私は“知っているだけ”。でも、何もできない」
サラの返答を聞いた瞬間、
ジンは彼女を「観測者」と定義した。
知っている。
だが、介入できない。
(制約付き)
感情的な失望はない。
むしろ、役割が明確になったことで、計算が単純化した。
サラが言った。
「ジンさんにしか、できないことがあります」
その時点で、答えは出ていた。
(抑制薬)
フェーズの歪み。
進行速度。
リクの未来。
必要な変数は、すでに揃っている。
サラが「見える力」に名前を与えたとき、
ジンはその命名を、感情ではなく仕様として受け取った。
「あっさりしてるか?」
ジンは、自分の声の平坦さを自覚していた。
自覚したうえで、あえてそのままにする。
驚いていないわけではない。
理解していないわけでもない。
ただ――今ここで揺れたところで、意味が無いと判断しているだけだ。
戻された。
理由は不明。
だが現象は成立している。
サラがいて、世界が壊れていない。
それだけで、検証を始めるには十分だった。
感情は、処理の邪魔になる。
恐怖も、安堵も、怒りも。
どれも「後で回収できるデータ」だ。
だから今は、切り離す。
必要なのは――状況が再現可能かどうか。
それだけだった。
「うーん。あっさり、というより……処理してる、って感じかな」
その言葉に、ジンは小さく息を吐いた。
否定しない。
否定できない。
処理している。
確かに、その通りだ。
感情が無いわけじゃない。
ただ、順番を守っているだけだ。
世界が崩れる前に、自分が崩れるわけにはいかない。
「でも、ジンさんだから」
そう言ってサラが一歩、ジンに近づいた。
距離が詰まっても、空気は変わらない。
変わるのは、境目だけだ。
その“境目”に、ジンは気づいていた。
感情と合理の境界。
人間と、世界を観測する側の境界。
そして――
自分が、どちらに立つかを選び続けてきた場所。
サラは、それを責めない。
肯定もしない。
ただ、分かっているという顔で立っている。
それが、ジンにとっては何よりも重かった。
フェーズアイ。
歪みを可視化する補助演算機構。
(有効だ)
それだけで十分だった。
問題は、リクだ。
サラが「知らないふりで会ってほしい」と言ったとき、ジンの内部で、処理速度が一段落ちた。
リク。
この変数は、単純ではない。
感情値が高い。
合理に対する耐性が低い。
だが、観測精度は高い。
世界を抑制する。
そのために、リクは必要だ。
ここでジンは、明確に線を引いた。
サラという守る対象と、
リクという利用される対象を分けた。
それは、冷酷さではない。
役割としての選択だった。
それがどちらの側に立つ行為かを、
理解した上で。
感情的な葛藤は、発生しなかった。
発生させないよう、切り捨てた。
それが、自分の役割だと理解している。
サラが「今日は休んで」と言ったとき、
ジンはそれを“休息”とは解釈しなかった。
(猶予だ)
世界がまだ壊れていない時間。
計画を組み直すための、静的時間。
ジンは頷いた。
救える。
条件は揃っている。
その判断に、感情は不要だった。
だが、胸の奥に沈殿する違和感だけは、
計算式から排除できなかった。
それでも、無視する。
正しさは、遅れない。
正しさは、迷わない。
正しさは——
人を、待たない。
⸻
抑制薬の早期開発は、感情的な決断ではなかった。
ジンにとってそれは、
唯一、計算が成立する選択肢だった。
フェーズの進行は、前周回よりも明らかに早い。
いや、進行を可視化し、理解してしまうこで、早く感じただけだ。
——ならば、先に抑えればいい。
世界全体の揺れを、個人の破壊より先に止める。
それができれば、最悪の結末は回避できる。
問題は、リクだった。
彼は揺れる。
揺れ続ける。
感情の振幅が大きく、合理に耐えない。
だが同時に、歪みに最も早く気づく。
(抑制薬が完成すれば、世界は安定する)
(だが、それだけではリクは残らない)
計算結果は、冷酷だった。
リクを生かす条件に、サラが含まれている。
情緒的な意味ではない。
依存でも、慰めでもない。
サラが存在することで、
リクの“世界との接続点”が保たれる。
それが断たれた場合、
リクは合理の中で静かに崩壊する。
(抑制薬だけでは、足りない)
だから、順序を変える。
まず世界を抑える。
同時に、サラを救う可能性を残す。
その両立ができるのは——
この周回だけだった。
⸻
フェーズアイは、想定以上に有効だった。
人の歪みだけではない。
数値の並び。
グラフの“揃いすぎ”。
誤差として処理されるはずの、微細な遅延。
それらが、意味を持つ形で浮かび上がる。
(ここだ)
ジンは、必要な箇所でだけ視界を切り替える。
一瞬。
ほんの一瞬で十分だった。
全体像は、すでに知っている。
必要なのは、確認だけだ。
未来で失敗した工程。
遠回りした検証。
誤って捨てたデータ。
それらを最短距離で回収していく。
感情は挟まない。
評価もしない。
経験として処理する。
ラボの時間が、目に見えて縮んでいく。
議論が減り、決断が早まる。
リクが違和感を拾い、
ジンが即座に枝を切る。
噛み合っていく。
——正しく、効率的に。
そして、冷静に理解していた。
(これは、成功する)
同時に。
(この成功は、人を救わない)
抑制薬は完成する。
世界は安定する。
それでも、
何も変わらなければ——
リクは、また失われる。
だから、次が必要になる。
抑制の次の手。
人を救うための、非合理。
その準備として、
ジンは今日も演算を続ける。
フェーズアイを、必要な分だけ使いながら。
⸻
REWINDは、静かに実証段階へ移行した。
ジンは、それを「成功」とは呼ばなかった。
呼ぶ必要がなかった。
数値は揃っている。
だが、揃いすぎていない。
それが重要だった。
人間の生体反応は、理論値に一致しない。
一致しないことを前提に組まれた設計だけが、現実に耐える。
抑制薬の初期実証データは、どれも「ほどよく不完全」だった。
効きすぎない。
反動が出ない。
感情を消さない。
フェーズ進行を、ただ遅らせる。
止めない。
矯正しない。
管理しすぎない。
(……十分だ)
ジンは、画面に表示されたグラフから視線を外した。
判断は終わっている。
世界を救うには、これで足りる。
少なくとも、「壊れる速度」を抑えるには。
だが――
それだけでは、足りないことも分かっていた。
リクの存在が、演算結果に何度も引っかかる。
彼は、抑制後の世界に適応する。
だが、その適応は「削られる」方向だ。
感情の起伏が減り、
意味の重みが薄れ、
生きる理由が「記録」に変わる。
(世界は救われる。人は、救われない)
それは前周回で確認済みの結論だった。
だからこそ、今回の設計では順序を変えた。
世界を抑制する前に、
人が人でいられる余地を、先に残す。
そのために必要なのは、
リクを守ることではない。
サラを、救うことだ。
この判断に、感情は介在していない。
純粋な構造的帰結だった。
サラが生きている世界線では、
リクの感情は崩壊しない。
抑制後も、
「意味」が記憶ではなく、体験として残る。
だから、REWINDの実証は、
あくまで「途中段階」でなければならない。
完成させてはいけない。
効かせすぎてはいけない。
フェーズアイを使い、
ジンは意図的に「余白」を残した。
データの端。
誤差の中。
グラフに現れない生活反応。
そこだけを、重点的に拾い続ける。
そして――
ユア。
この名前は、今回の演算において重要な意味を持つ。
彼女は、境界にいる。
壊れていない。
だが、壊れ始めている。
前回の世界線で、
「救えなかった」存在。
今回、ジンは彼女を“直接”救う設計を組んでいない。
介入は最小限。
選択は本人に委ねる。
抑制薬を「正解」として差し出さない。
逃げ道として、静かに置く。
それが、今回のREWINDの運用思想だった。
ユアの「考えてみます」という返答は、
拒否でも、期待でもなかった。
その中間にある、選択肢を受け取った人間の声だった。
ジンは、それを聞いた瞬間に理解する。
(ここだ)
数値ではない。
症状の改善でもない。
「自分で選べる状態に戻っている」という一点。
抑制薬の仮説は、ここを通過しなければ意味を持たない。
強制ではなく、誘導でもなく、
“選択できる余白”が残っていること。
それが残っている限り、
この人間は、まだ壊れていない。
ジンは、無意識に視線を下げていた。
感情が動いたからではない。
計算が一段、軽くなったからだ。
(……間に合っている)
救われるかどうかではない。
壊れ切る前に、手が届いているかどうか。
この差は、致命的だ。
フェーズアイは起動しない。
もう、見る必要がない。
“見るまでもなく、分かる段階”に入っている。
リオが駆け戻ってくる足音を聞きながら、
ジンは静かに結論を更新した。
(REWINDは、成立している)
まだ完成ではない。
だが、失敗でもない。
この世界線は、
「救える側の条件」を、確実に満たし始めている。
⸻
数週間後。
ユアの生活ログに、変化が出始める。
感情の遅延が減る。
反応速度が戻る。
生活行動が、先に進む。
劇的な改善ではない。
だからこそ、確実だ。
(……救われつつある)
ジンは、そう判断した。
判断に、喜びはない。
達成感もない。
あるのは、
「次の工程へ進める」という確認だけだ。
この世界線では、
ユアは死なない。
リクは、
世界を救ったあとに、
“何も残らない人間”にならずに済む。
それだけで、十分だった。
夜、研究施設を出る。
街は、相変わらず普通だ。
騒がしくもなく、静かすぎもしない。
正しさが勝った世界は、
いつもこうして、平凡な顔をしている。
ジンは歩きながら、
ふと考える。
(正しさは、人を救わない)
だが、正しさを使わなければ、
人も救えない。
その矛盾を、
自分は引き受ける役割なのだと、
今は理解している。
感情は、まだ後だ。
今はただ、
この世界が続くことを、
確認し続ければいい。
救われるべきものが、
救われる速度で。
それが、
この周回における最適解だった。
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