うしろの縁日

鷹羽 玖洋

1.祭のあと

 星が暗いのは、背中のコンビニ店の照明が煌々と照っているせいだった。

 しかし、たとえ星空が見えたとして暇潰しにするのは難しい。ゆいは、星座の名前もほとんど知らない。わかるのはオリオン座の三ツ星くらいで、その星が昇る季節には早すぎるとだけ知っていた。

 コンビニを囲む刈り取り前の稲田には、虫たちの激しい合唱がある。暦の上では秋の象徴だとしても、地上を漂う大気はまだ重く蒸し暑くて、虫たちの騒音と相まって晩夏の深夜とは思えないほど鬱陶しかった。

 ——今、何時だろう。

 手元の携帯をタップする。パッと灯ったロック画面に午前一時の文字が浮かぶ。前に確認してからほんの二十分しか経っていなかった。

 嘆息して、唯は抱えた両膝に顔を埋めた。

 ——自分ではもう少し、賢いつもりでいたんだけどな……。

 まさか都市を離れた田舎では、最終バスの時刻が夕方になり得るなんて。

 その上タクシー代を渋ったために、時間までに駅に辿り着くこともできなかった。もっとも終電に間に合ったとして、素直に帰宅したかはわからない。いや、そうはしなかっただろうと、唯は確信していた。

 そもそも宿賃に回すつもりで、財布を温存したのだ。一昨日、母と派手に喧嘩した家に帰る気は起きず、かといって田んぼの真ん中のコンビニ前で、一晩明かす予定もなかったのだが。

 ブブッと携帯が振動し、唯は驚いて端末を取り落としかけた。

 友達との自撮り写真が映ったロック画面、ちょうど二人のおどけた顔を隠す位置へ、着信バナーがポップしている。母だ。しつこく震える携帯を睨み、唯は電源ボタンを長押しした。母親の携帯と自宅から交互に着信が続くせいで、残り電力は二十%を切っている。けれども瞬間的に頭に血が上ったおかげか、眠気と疲れが少しだけ吹き飛んだようだった。

 沈黙した携帯をリュックにしまって立ち上がり、唯はジーンズの尻についた砂埃を軽く払った。小一時間ほど駐車場の車止めに座っていたので、足も背中もガチガチだ。田舎らしく無人の、無駄に広い駐車場を眺め渡してから、彼女は眩しいコンビニ店を振り返った。

 本心では店に入りたくても、店員は夜の早いうちにシフトを替わってから交替がない。大学生風の若い男に、何度も不審な眼差しを向けられるのは恥ずかしかった。

 それで唯は軽く後ろ手を組み、明るい窓の外をぶらぶら往復した。当初は人待ち顔を装っていたものの、二時間くらいでやめている。今はなるべく店員の存在を考えないようにしつつ、こうして時々、何かましな暇潰しがないかと探してみるのだった。

 案の定何も見つからない。唯はしぶしぶ、コンビニの窓に貼られた鬱陶しいほどのチラシを読み返しはじめる。暇にあかせて何度も読んでいるから、ほとんど眺める感じになった。それでもただ夜闇を見つめて無為に過ごすよりは、いくらか時も速く流れる気がしていた。

『たばこ・酒』の大きな文字、一文字ずつ印刷された総菜増量キャンペーンの宣伝。地元の迷子猫・行方不明者のチラシから、防犯ポスター、電子払いの種類を示した細かなマークの数々まで。

 読み直したところで新たな発見はなく、自動ドア付近へ至る頃には、また倦んだ気分が戻ってきた。レジ向こうの店員と危うく視線が合いかけて、唯は慌てて横を向く。すると頭上の誘蛾灯ゆうがとうがバチッと鳴って、そちらに目を向けたときのことである。一枚の、かすれた印刷のチラシが視界に留まった。

 前にも読んだ、地元の縁日祭りの知らせ。日付は半月も前だったが神社の名には覚えがあり、ちょっと記憶を手繰ってから唯はすぐ興味をなくした。昼間に自分が訪れて、今ここで夜明かしする一因ともなった小さな社の名前だった。

 特に興味があったわけではない。観光地でもなく、偶然SNSでバズっているのを見かけた山深い神秘的な神社の写真。自宅の最寄り駅に着いてから思い出して、急に気を変えたのだ。出がけに父には昔家族でよく訪れた海岸へ行くと伝えてあったので、その予定を裏切ることは、唯にとって痛快な悪戯のようにも思えた。

 訪れてみると、町なかに聳えた巨大な鳥居には感動した。だが山中の社へ続く参道は急に細く古くなり、しかもだらだらと続く苔むした長い石段になった。ようやく登り詰めた社殿も、無人の小さな納屋のよう。鈴緒も途中でほどけるほどみすぼらしくて、試しに振ってみてもうまく音が鳴らない有様だった。

 手入れだけは一応してあるようで、猫の額ほどの前庭には一面の苔が張り、神聖な感じがあった。ご神木らしい注連縄しめなわを掛けたくすのきの大木も立派だった。

 ——だけど、建物が朽ちかけみたいじゃあね……。

 唯はまたコンクリートの車止めに腰かけると、両手で頬杖をついて町の方角を眺めた。

 縁日祭りといっても、町の商店街の寂れた様子からすると、大した賑わいもなかったのだろう。

 先程とは座る場所を少し変えたので、巨大鳥居もわずかに見えた。石造りの鳥居は路灯以外に明りのない闇の中、白っぽい灰色の影としてぼんやり浮き上がっている。

 ——お神輿が出て、小学生のお囃子が練り歩いたくらいかぁ……。

 背後のチラシにはそう書いてある。でも、もしもっと賑やかな祭で、それも今夜のことだったら? 自分はもっとましな時間を過ごせていたはずだと、唯は残念だった。

 通りの両脇にずらりと屋台が並ぶような規模だったら。深夜を過ぎた今だって、家々の灯は残っていたかもしれない。祭の名残を楽しむ人や、酔客のざわめきがあってもいい。屋台の片づけの灯り、自転車のランプや歩行者の手に踊るスマホの電光。人々の気配が、まだそこらに動いていたって——

 唯は片手で目を擦った。夜闇にちらちら動く、小さな朧光が見えた気がした。

 最初は自分の妄想の産物か、いつのまにか眠った夢かと思ったが、頬を抓ってみても痛みがある。その間にも青緑めいた光は増え続けて、ふわふわ、ふらふらと無数に宙を漂い始めた。

 蛍? けれども季節は夏の終わり。幼いころ両親と水族館で蛍の観察会に行ったのは、梅雨の初めだった気がする。あるいはこの地域には、今頃に光を放つ種類がいるのだろうか?

 いずれにせよ、不可思議で美しい光景だった。

 ふいにかすかな涼風も肌を撫でて、唯は無意識に息を潜めて蛍を見守る。その妙な緊張が徐々に恐怖にすり変わったのは、夢幻に飛び交う燐光の奥から近寄る黒い影を認めたせいだった。

 背後はコンビニなのだから、普通なら客だと思っただろう。

 だが影は動きがぎくしゃくして、なぜだか唯に動画で見たゾンビ映画を彷彿させた。暗い影を取り巻いて増える蛍火が、記憶より青めいていたのも不安を煽ったかもしれない。

 けれど、やがてコンビニの激しい照明に照らし出されてみると、それは唯と同じ年頃の制服を着崩した少女だった。

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