第1話 犬飼朱里の日常②
「やっと終わった。今週長かった~。」
前髪センター分けにした鈴木が伸びをしながら言う。
「ホンマそれな」
マッシュカットの佐々木が笑う。
「放課後どこ行くよ?」と武田が言う。
「マックでいいんじゃねぇ?」と佐々木。
「マックで泥棒犬の罰ゲーム考えようぜ。」と鈴木。
「いいなそれ。」と武田。
3人の視線が、同時に朱里へ向いた。
「泥棒犬。何やってんだよ。お前も早く来い!」
「、、、あぁ。わかった。」
朱里は学校で陰湿ないじめを受けていた。
あだ名は「泥棒犬」、「生活保護」などと呼ばれている。
父の借金の事が学校中に知れ渡っており、それをいじめのネタにされている。
いじめの理由なんてなんでもいい。
ただ、朱里が弱そうで反抗しないから。
それだけで十分だった。
マクドナルドに着くと、3人それぞれで注文する。
朱里は一番安いホットコーヒーのSサイズを頼んだ。
本当はお金を使いたくないが、
何も頼まないわけにもいかない。
商品を受け取ると佐々木にすぐに言われる。
「お前、いつもそれな。」
「お前んち金無いんだっけ?貸してやろうか?100倍利子付けて。」
「なんてな、貸すかよバーカ。」
「金無いからって、人の金取るなよー」
ぎゃははは。と3人の下品な笑い声が響く。
朱里の心が、また一段と冷えていく。
(他人の家庭事情にズカズカ入り込んで、不幸を笑いのネタにしてそんなに楽しいか。)
(お前らはイイよな。)
(まともな父親と母親がいて
家に帰れば暖かい食事があって
金の心配も、聞きたくもない怒号もなくて
なに不自由無く幸せな生活をしているだろう?)
―当たり前な幸せに浸ってろよ。
お前たちはその当たり前に飽き足らず
「退屈」を解消する為だけに、弱い人間から色んなものを奪っていく。
(どれだけ強欲なんだよ、、、)
朱里はそこで考えを止めた。
こんな奴らとつるんでる自分にも嫌気がさしたし
こんな考え方しかできない自分にも嫌気がさした。
「なぁ、泥棒犬の罰ゲームなんだけど」
鈴木がにや付きながら言う。
「あそこの黒い服の女の人に、彼氏いるか聞いて、いなければLINE交換してくる事とかどう?」
「おもしれ。あれ女子大生かな?なんかボーイッシュな感じだけど、顔めっちゃ可愛くね?」
「男子高校生が女子大生ナンパとか笑えるんだけど。」
鈴木は本当にずるい。
自分では絶対に声をかけないくせに
成功すれば自分の手柄、失敗すれば朱里を笑いものにする。
「ほら早く行けよ。ついでに動画撮っといてやるから。」
武田がスマホを構える
「鈴木、小型のマイク持ってただろ?を犬に持たせてやり取り聞こうぜ。」佐々木が楽しそうに言う。
「ホラ、早くいけ」
鈴木に肩を押され、朱里は立ち上がった。
(...早く終わらせよう)
「あの。」
「ん?」
振り向いたのは、中性的な顔立ちの“女性”だった。
可愛いというより、美人。
吸い込まれるような黒い瞳に、朱里は息をのんだ。
ワイヤレスのイヤホンをしていて、外す気はないようだ。
こちらには、全く興味が無いという事か。
まぁ、見ず知らずの高校生に興味を持たれる方がおかしい。
「突然すみません、、、お付き合いしている人とか、いらっしゃいますか?」
朱里は当たり障りない、言葉を選んだつもりだった。
「ぷっは。へったくそなナンパだなー」
女性は、噴き出して笑った。
朱里にはその笑い声が後の同級生たちの嘲笑と重なって聞こえた。
―結局、どいつもこいつも同じだ。
朱里がそう思った瞬間、女性の表情が急に変わった。
「何?その顔。からかいに来たの?」
冷たく響く言葉、真っ黒な瞳が朱里の心を射抜くように見つめてくる。
「い、いえ。決してそんなことは...彼氏とかいなければ連絡先交換してくれませんか?」
「へぇ。」
女性は朱里の後ろへ視線を向けた。
「あーそういうこと。」
そして、店内に響きわたる声で叫んだ。
「からかってんじゃねぇぞ!!クソガキ共!!」
店内が一瞬で静まり返る。
「ウケる。これで良い動画になるでしょ。」
「え...?」
女性は朱里の後ろを指差した。
「あいつ。スマホでこっち撮ってるのバレバレ。盗撮やめなよ。」
朱里が振り向くと3人の顔が引きつっている。
女性は朱里に向き直り、ふっと笑った。
「それにしても君。良い目をしているね。好きな目だ。」
そういって女性は席を立った。
「じゃあな。高校生。もう絡むなよ。」
歩き出しながら、ひらひらと手を振る。
「あー。あと。あそこのクソガキ共にも伝えといて。」
振り返りもせずに言った。
「僕、男だよって。」
「...へ?」
朱里は呆然と立ち尽くした。
そして、"女子大生"が男だった事を3人に伝えると
案の定、爆笑していた。
鈴木を除いて。
***
バイト先の居酒屋にはぎりぎりで到着した。
「何ギリギリに来てるんだ。そんなことじゃ社会人になったら通用しないぞ。」
店長に怒号が飛ぶ
平日は18:00~22:00までここで働く。
父がこの店長にも数百万の借金をしており、
朱里はその肩代わりとして働かされている。
一緒に働くバイトたちも質が悪い。
朱里がシフトが休みの日は必ず店長から電話がかかってくる。
「急に他のバイトが休みになったから出勤してくれ」と。
だから朱里には休みという概念が無かった。
そしていくら働いても給料は増えず、ただ削られていく悪循環。
「犬飼。お客さん呼んでるぞ、早く注文いってこいや。」
同じシフトの先輩は、店長の見えない所で、スマホをいじってサボっている。
「お前さ生ビールいつになったら、ちゃんと注げるようになるんだ。」
店長の小言も朱里にばかり飛ぶ。
(……言われた通りいつもやってるだろ)
心の中で呟くだけで、口には出さない。
出したところで状況は悪化するだけだ。
皿を下げ、注文を取り、料理を運び、
気づけば閉店時間になっていた。
「はい、今月分」
店長が無造作に茶封筒を渡してくる。
中身は朝刊配達のバイトと同じ2000円。
朱里は「ありがとうございます」とだけ言い、深く頭を下げて店を出た。
今朝貰った給料と同様に小さくたたんで
カバンの秘密のポケットにしまう。
夜風が肌を刺すように冷たい。
(……これで、また一ヶ月か)
ポケットの中の封筒が、やけに軽かった。
***
朱里がバイトを終え帰宅し、
部屋に入ろうとすると、父親に留められる。
「おい。話がある。」
リビングに向かうと、父は右手を差し出した。
(……嫌な予感がする。)
「朱里。金出せ。今日、給料もらっただろ?」
(……やっぱりそうだ。)
「……無理だよ。今月のスマホの支払いと、今月の朝、昼ごはんをここから賄うんだ。」
「スマホ?連絡とる相手いないだろ?バイト先には家から電話かけろ
あと、朝飯は食わなくても死なない。昼飯はあいつに作らせればいいだろう。」
あいつとは母の事だ。
母が家事をしない事を、父は知っているはずなのに
「晩御飯ない時は、ここから賄ってるんだ。」
「つべこべ言うな!いいから全部出せ!」
その鋭く冷たい言葉が朱里の心を抉った。
何度、このやり取りを繰り返しただろう。
朱里は自分のカバンの底から今月のバイト代、4000円を取り出す。
小さく折りたたんだそれを父に渡す。
父に向けた目は怒りや悲しみではなく
「侮蔑」という言葉が相応しかった。
そして朱里はもう「父」と呼びたくなかった。
しかし、その人は朱里の顔を一瞥もせず、お金をふんだくる。
「本当にこれだけか?まだあるんじゃないのか?
また部屋を荒らされたくなければ、隠してないで出せ。」
「それで全部だよ。なんなら小銭も出そうか?」
その人はちっ。と舌打ちをし、
それをポケットに突っ込んで家を出ていった。
その背中を見送り、朱里はぺったんこな財布を開く
難を逃れた小銭が数枚。
「……368円」
明日の朝ごはんも、昼ごはんもない。
晩ごはんがある保証もない。
スマホも止まる。
学校でも家でも"奪われる" 何も残らない。
息を吸っても、胸の奥が苦しいままだった。
(…なんで、こんな人生なんだ?)
天井を見上げる。
薄暗い部屋の中で、蛍光灯の残光だけがぼんやりと滲んでいた。
(…俺、何のために生きてるんだ?)
誰も助けてくれない。
誰も気づかない。
誰も見ていない。
朱里がどれだけ頑張っても、
どれだけ誠実でいようとしても、
どれだけ我慢しても─
全部、無かったことにされる。
「……もう、疲れたな」
声に出した瞬間、胸の奥がひどく痛んだ。
涙は出ない。 泣く気力すら残っていなかった。
ただ、心の中で何かが静かに崩れていく音だけがした。
(俺の人生って……なんだ?)
その考えが頭に浮かんだ瞬間、
世界が少しだけ色を失ったように見えた。
朱里はゆっくりと目を閉じた。
暗闇の中で、自分の存在が薄れていくような感覚だけが残った。
Bull Dog -ブルドッグ- 銷魂 るいん @ruin-shokon
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