感想

 昼食後、少し市場を散歩して、組合に戻った。事務員たちは、すでに全員戻り、慌しく仕事を再開している。異世界にも年末進行があるのか知らないが、何かしら忙しい時期なのかもしれない。

 ヒナが声を掛けると、彼らが一斉にこちらを見て、立ち上がった。カラのタッパーが、みるみる受付の机に積まれていく。

 みんな何か話しかけてくるのだが、例によって、何を言っているかは全然分からない。いつも通りの半笑いで、頷いているのかいないのか判然としない、曖昧な相槌を打った。

 事務所が静かになったので、ひとまず、返却された九つのタッパーを鞄に入れた。割り箸は誰も使わなかったらしく、丸ごと受付に取り残されていたので、すべて回収。普段はまかないが出されているのだから、食器の類は備えつけがあるのだろう。

 あとは親方の弁当のタッパーと、保温ボトルか。百均タッパーは良いとしても、保温ボトルは返してもらわないと困る。親方が戻るまで、ロビーで待たせてもらうことにする。

「なあ、ヒナ。さっき、みんななんて言ってたの?」

 受付嬢が出してくれたお茶を飲みながら、暇だったので尋ねてみた。話の内容は分からなくとも、好意的な口調ではあった。もしかしたら、料理の感想だったのかもしれないと思ったのだ。

 ヒナは同じく出されたジュースっぽいものをちびちび飲んでいたが、湯呑を置くと、ひとつ咳払いして周囲の注目を集めた。事務員たちのほうを見て、口を開いた。

「にく、おいしい、おもう、した、ひと?」

 と言って、高々と自分の手を挙げた。つられるように、受付と奥の事務机でぱらぱらと手が上がる。五人。つまり全員か。

「さかな、おいしい、おもう、した、ひと?」

 ヒナは手を下ろす。さっきとは別の手がぼちぼち上がる。こっちは、合わなかった人もいたっぽい。うーん、油がキツかったのかな? でも、透明のタッパーなんだから、揚げ物だとは分かったはず。単純に、肉のほうが人気で、選び損ねた人が出たのかもしれない。

「やさい、おいしい、おもう、した、ひと?」

 今度は三人だけだった。十人に三人いるということは、食文化としては許容範囲内、しかし好みが分かれる味か。単純に、異世界人も野菜はあんまり好きじゃないのかな。ヒナも挙げていない。ひと口食べて、遠い目をしてたもんな。

「たまご、おいしい、おもう、した、ひと?」

 今度は全員が挙げた。卵焼きには需要があるとみた。

「しろ、おいしい、おもう、した、ひと!」

 ヒナが勢いよく両手を上げた。向こう側も全員、両手を上げた。

「みんな、いう、した。おわり」

「……………………」

 動けなかった。本当なら、感想を言ってくれてありがとうと返すとか、喋れなくても、フレンドリーに手を挙げて微笑みかけるとか、何かしたほうがよかったと思う。

 でも、口や手どころか、表情筋のひとつさえ動かせなかった。息が詰まって、耳が熱くなる。

 ……正直、米が受け入れられたのが、意外だったのだ。

 そりゃ、この秋に収穫したばかりの新米だ、間違いなくうまい。炊飯器だって、夏のボーナスで良いものを買った。いつもは水道水だけど、今日はミネラルウォーターで炊いた。自分でも味見した。うまかったし、うまくないわけがなかった。

 でも、異世界で。東京の路地裏から入れるこの世界が、近いのか遠いのかよく分からなかったが、言葉も通じない人たちが、俺の弁当の米を認め、うまいと言ってくれるなんて。

「トーヤ?」

 ヒナが、うつむいていた俺の顔を覗き込んだ。はっとして顔を上げると、事務員たちはすでにみな手を下ろし、「なんだこいつ」という表情でこちらを見るか、さっさと仕事に戻るかしていた。

 そりゃそうだ。せっかくヒナが主導して、総出で感想を伝えてくれたのに、ノーリアクション。白い目で見られて当然だった。

「あっ……すっ、すみません」

 ヒナが事務員たちのほうを見て何か言うと、ドッと笑い声が上がった。たぶん、俺をイジって笑いを取ったのだと思う。ははは、といつもの乾いた半笑いを浮かべた。

 そこに、騒ぎを聞きつけたのか、上階から親方が下りてきた。その手には、カラになったタッパーと、中身の見えない保温ボトルが握られていた。

 親方は両方を机に置いて、ヒナに何か言った。きっと、容器の返却が遅れたことを詫びたのだろう。ヒナは心配無用とばかりに親方に笑いかけ、俺にタッパーとボトルを手渡す。

 保温ボトルは軽かった。マリーは、ちゃんと食べられたのだろうか。

 ヒナと親方は、まだ何か話を続けていた。俺は所在なく突っ立っていたが、やがて親方が受付机の足元から手のひら大の麻袋を取りだして、こちらへ差し出した。何だっけ? ……あ、そうだった。弁当の代金だ。

 受け取ると、袋はずっしり重く、それなりの金額が入っていそうだった。ヒナが満足そうにうなずき、得意げに言う。

「みんな、ベントー、あじ、よい、した。あした、くみあい、ベントー、たのむ、おなじ」

「へ?」

「ベントー、きゅう、ひと。スープ、いち、ひと」

「……え?」

「きょう、ベントー、おかね、いれる、した。あした、ベントー、おかね、いれる、した、おなじ」

 ……え!? 待て待て待て! ヒナのやつ、今の親方との会話で、明日の弁当の注文を取ったのか!? 聞いてないぞ!

「ちょっ、困るよ!」

「なぜ? おかね、おおい、もらう、した。たべもの、かう、する、できる。ベントー、つくる、する、できる」

「そういう問題じゃなくて!」

「マリー、スープ、たべる、した。げんき、すこし、ふえる、した。げんき、すごく、ふえる、ない。ねる、おなじ。トーヤ、あした、マリー、はたらく、する、ほしい?」

 だ~か~ら~! そうやって、別に知り合いでもないマリーを、いちいち人質に取るんじゃない!

 俺がヒナと言いあっていると、親方が声をかけてきた。そちらへ顔を向けると、俺に向かって頭を下げた。「どうか頼む」とか言っているのは明白だった。

「いや……でも……別に、俺の弁当じゃなくてもいいでしょう? 市場には、他にも店があるんだし」

 さっき少し散歩しただけだが、市場には、すぐに食べられる飲食物を売る店は複数あった。確かに、組合はいま忙しいのかもしれないが、十人前も頼めば、配達してくれる店だってありそうなものだ。配達が難しいなら、ヒナが代行して、手数料を取ることもできる。どうして、それじゃいけないんだ?

 なけなしの言語能力を駆使して主張すると、ヒナは「何を言っているんだ」という顔で首をかしげる。

「トーヤ、おまけ、ふやす、した。うる、ひと、おまけ、ふやす、なぜ? うる、する、したい、おなじ。おやかた、かう、する、したい、おなじ」

「うっ……」

「くみあい、たすける、もらう、した。ベントー、おいしい、おもう、した。たのむ、する、ない、りゆう、ある、ない」

 それでも俺が渋っていると、ヒナはひとつ息をつき、続けた。

「いちば、しろ、うる、みせ、しる、した、ない。しろ、くみあい、ぜんぶ、ひと、おいしい、おもう、した。ぜんぶ、ひと、しろ、たべる、する、したい」

 こいつ……今度は米を人質に取る気か!?

 しかし確かにヒナは、さっきアンケートを取った時、ほかの食材は「にく」「さかな」「やさい」「たまご」と呼んでいた。つまり、それらには類似の食材があり、市場でも買える。どうしても、俺の弁当でなければいけない理由はない。

 でも、ヒナは米だけは、「しろ」と色で呼んだ。この世界には、米に相当する食材がないのだ。

 その米をまた食べたいと、全員が思った。だから俺に弁当を頼みたい、そう言われたら……そんなこと、言われたらさあ……!

「ふふ」

 ヒナは勝ち誇った表情で、親方に向かって手のひらを差しだした。親方が、その手に銅貨を置く。

 昼飯前の俺には、その行為の意味が理解できなかっただろう。だが、今となっては、まざまざと理解させられてしまう。

 ヒナはこう言いたいのだ。今、ヒナと親方の間で、仲介契約が成立した。ヒナには信用があるから、仲介料は前払い。

 では、親方は、ヒナがどんな仕事をすると信用して、銅貨を前払いしたのか?

 答えはこうだ――ヒナなら絶対に、俺を言いくるめられる。

「ヒナ、うる、かう、はたらく、ひと、こども。ヒナ、もの、よい、わかる。トーヤ、ベントー、もの、よい。ヒナ、トーヤ、にげる、ゆるす、する、ない」

 それが、ヒナの勝利宣言だった。こうして俺はまんまと、翌日からも弁当屋をやることになったのだ。

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