神様は見てるのか

地支辰巳

負けず嫌い

 世の中には勝負事があまりあるほどある。


 誰かと競い合うもの、自分自身と戦うもの。なにかにかけて、物事は勝負事というものに巻き込まれ、勝負という名前を冠する。それに負けたくなくて、人生すら勝負に賭けたいという人も存在する。


 そういった者たちをみな負けず嫌いと評する。それが褒め言葉であるか、侮蔑表現であるか。それは人次第、状況次第といったところだろう。先天的なものでも後天的なものでもない。ただの性格。


 だけど、性格では済まされないほどの呪いのようなものでもあると言える。いや、それほどきれいなものでもない。こびりついた汚れのようなそんなもの。けっして自分では変えられなくて、自分の芯に食い込んでいるもの。誰かが変えることなんて出来なくて、勝負になると直ぐに出てくるそれは自覚が薄い。


 それを僕は自覚している。特別なことじゃない。誰だって薄く自覚している。でも、僕は自分のこれがけっして落とせない誰よりも頑固な汚れなんだって分かってる。だって僕は神様と勝負してしまっているから。


 人生でありあまるほどの勝負事。そこで僕はいつも神様とも勝負をする。いや、一方的に勝負を挑んでいる。ここでの勝負に勝ったらあれをください。ここで負けたら今年は不幸でも構わない。そんな意味のない問答を自分自身の中で何度も繰り返す。別に信仰心が高いだとか、信仰心が全くないとかそんなんじゃない。ただ何故かそうしてしまう。


 別にこれをして良かったと思う事なんてない。ただ勝負に勝っていたら気分が良くなり、負けていたらやらなきゃ良かったなんて思ってしまう。誰もがやっているわけなんてない。こんなことをしている意味なんてあるわけない。だけど、何故かやってしまうんだ。意味がないことなんてわかっているのに。


 ただ僕は負けず嫌いなんだ。勝つ意味も負ける意味もそんなものも何もない。ただ勝負をして、勝負に勝ったという快感を得ていたいだけ。意味が欲しい、結果が欲しい、理由が欲しい。神様がいるのかとか、いないかとか、そんなことはどうでも良い。


 ただこれをやっている理由が欲しいんだ。そのために僕はまた神様と勝負をする。今やっているこの勝負に勝ったら理由が知りたい。負けたら一生この勝負をする。それを続けて僕は人生を勝負事に溢れさせる。


 負けず嫌いなんて嫌いだ。心に負担をかけているだけ。僕の心の中にこびりついたもの。取りたいと願えば願うほど取れない汚れ。僕はこんなのに負けたくないとまた心の中で勝負に挑む。意味なんてないと分かっているのに。負けず嫌いに意味なんてない。


 

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