デジタル・クリーナー 〜死者の記憶を消す男〜 不謹慎なバックアップ

ソコニ

第1話 消去された記憶の向こう側


「死者に人権はない」


九条蓮は薄暗い作業場で、そう呟きながらマットブラックの『リッパー』を起動させた。雑居ビルの一室。窓のない四畳半に並ぶのは、六台のモニターと冷却ファンが唸る自作サーバーだけ。二〇二六年、死者はクラウドに生き、遺族はスマホ越しに故人と会話する。そんな時代の掃除屋が、九条だ。


今回の依頼主は四十代の未亡人。夫は交通事故で他界した大学教授で、生前は清廉潔白な人格者として知られていた。だが九条の仕事は、そんな「表の顔」には興味がない。彼が狩るのは、故人がスマホに残した不都合な真実だ。


「メモリアル・アプリか。便利な時代だな」


九条は鼻で笑いながら、リッパーを自分のこめかみに当てた。デバイスが視神経とリンクし、周囲の景色が暗転する。次の瞬間、彼の視界には巨大な図書館が広がった。無数の本棚が天井まで伸び、一冊一冊が故人の記憶データだ。


ARで展開された記憶の世界を、九条は淡々と歩く。仕事用のスニーカーが、存在しない床を踏む感触。この違和感にも、もう慣れた。


「愛妻家……か」


九条は妻との思い出が詰まった本を開き、すぐに閉じた。依頼内容は「夫の清廉潔白な記憶だけを残す」こと。つまり、それ以外は全て消去する。


彼は奥の書架に向かった。ここからが本番だ。


隠された棚には、教え子への執拗なメッセージ履歴、研究費の横領を示す裏帳簿、そして――。


「げんなりするな、まったく」


九条はリッパーのスイッチを切り替え、【感情のレイヤー分離】モードに入った。一見穏やかな家族写真のデータにメスを入れると、その裏から憎悪の赤いノイズが噴き出す。


「妻への不満、娘への失望、世間への嫉妬……人間って本当に醜いな」


彼は機械的に不要な感情を切除していく。データの海に浮かぶ汚泥を、外科医のように取り除く。これが九条の日常だった。


作業は順調だった。あと十五分で終わる。報酬は三十万。悪くない。


その時、プロテクトのかかった隠しフォルダを見つけた。


「……何だこれ」


九条は眉をひそめた。通常の暗号化レベルを遥かに超えている。リッパーでも解除に三分かかった。中にあったのは、一本の動画ファイル。


再生ボタンを押した瞬間、九条の視界が激しく明滅した。


薄暗いコンクリートの床。首筋に触れる冷たい刃物。肺に空気が入らない窒息感。


これは――一人称視点の殺害記録だ。


教授が誰かを殺した瞬間の主観映像。犯人の視点で見る、被害者の断末魔。九条は職業柄、こういうデータも見慣れている。淡々と削除すればいい。


だが。


床に倒れている男の顔を見た瞬間、九条の心臓が凍りついた。


それは、九条自身の顔だった。


「……は?」


思わず声が出た。リッパーを握る手が震える。


映像の中で絶命しているのは、紛れもなく九条蓮だ。同じ癖のある黒髪、左頬の小さな傷痕、いつも着ている黒いパーカー。


「おかしい。俺は生きている。今、ここにいる」


九条はタイムスタンプを確認した。映像の記録日時は――三時間前。


血の気が引いた。


三時間前、九条はこの作業場でこの依頼を受けていた。殺されるはずがない。殺されていない。確かに生きている。


だが、この映像は何だ。


九条は震える手でリッパーの出力を最大にした。【思考ログの強制同期】。死者の最期の記憶に、自分の脳を直接リンクさせる。


視界がノイズに包まれ、九条の意識は映像の中に引き込まれていく。


――首筋の刃物。呼吸ができない。視界が暗くなる。


犯人の声が聞こえた。


「ごめんよ。君の『席』が、どうしても必要になったんだ」


九条は必死に視線を上げた。犯人の顔を見なければ。誰が自分を殺したのか。


その瞬間、映像の中の犯人が――画面越しに、今の九条と目を合わせた。


悪寒が背筋を駆け上がる。


モニターに映る教授のAIアバターが、プログラムにない動きで口角を吊り上げた。


「ようやく会えたね、九条君。君の『本物の死体』は、僕の記憶の中に埋めてあるよ」


「何を――」


言葉を遮るように、九条の鼻から鮮血が滴った。リッパーが過負荷で火花を散らす。激痛が頭蓋を貫いた。


同期率が危険域を超えている。このままでは意識が死者に飲み込まれる。


九条が慌ててリッパーを外そうとした瞬間、背後の自動ドアが音もなく開いた。


「同期率が九十八パーセントを超えているわ。それ以上見れば、あなたの意識は『死んでいる自分』に飲み込まれて、物理的に心臓が止まるわよ」


振り向くと、そこに少女が立っていた。


十代後半に見える。長い黒髪と、どこか人間離れした静謐な表情。片方の耳には、九条のものより数世代進んだ純白のデバッガーが装着されている。


「……誰だ、お前」


九条は荒い呼吸で問いかけた。少女は無表情に近づき、床に落ちたリッパーを拾い上げる。


「ニナ。あなたを監視する者よ」


「監視? 意味が分からない。この映像の意味を知っているのか」


ニナは九条の頬に冷たい手を添えた。


「今のあなたは、出来の悪いバックアップに過ぎない。本物の『九条蓮』は三時間前に死んだ」


「ふざけるな。俺は本物だ。記憶も、意識も、全部――」


「でも、悲しまなくていいわ」


ニナは九条の耳元で囁いた。


「あなたが『自分は本物だ』と証明し続けられるなら、私はあなたのデバッグを後回しにしてあげる。……さあ、次の死体が待ってるわ。仕事の時間よ」


彼女が九条のスマホを操作すると、新たな依頼通知が届いた。


依頼主の名前を見た瞬間、九条の全身が震えた。


それは――昨日、九条が記憶を消去したはずの人物だった。


「これは……どういうことだ」


「仕事をしなさい、九条蓮。それとも、九条蓮のバックアップ。あなたが存在し続けるには、それしかないの」


ニナは薄く笑った。


九条は震える手でスマホを握りしめた。自分は本物なのか。それとも、誰かが作った不謹慎なバックアップなのか。


答えは、次の死体の中にあるのかもしれない。


そう思いながら、九条は再びリッパーを手に取った。


たとえ自分が偽物だとしても――今はまだ、仕事を続けるしかない。


【第一話・了】

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