一月十三日【カトレア】

25

 花言葉は「大人の魅力」「あなたは美しい」



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  町外れの古い家に付属した温室は、朝になると結露で白く曇る。

 彼女は決まった時間に戸を開け、まだ眠りの残る花たちに声をかける。


 特別なことは何もない。

 ただ、いつも通りに水をやり、葉の向きを整える。


 それだけで一日が静かに始まった。


 舞台に立っていた頃、彼女は「美しい」という言葉を浴びるように受け取っていた。


 照明の下、拍手の中で、与えられる称賛。

 それは確かに眩しかったが、いつからか、どこか遠いものになっていた。



 怪我をして、舞台を降り、町へ戻った。

 それからの日々は穏やかで、代わり映えがしない。


 けれど、温室に並ぶ花たちは、焦ることも、比べることもなく、ただそれぞれの速度で生きている。



 カトレアは、特に時間のかかる花だった。



 芽が出てから、蕾を結ぶまでに何年もかかる。


 その間、何も起こらないように見える季節が続く。


 


 午後、買い物帰りの近所の女性が立ち寄り、花を眺めていく。



 「きれいねえ。でも、派手じゃないのがいいわ」



 その何気ない一言に、彼女は小さく笑った。


 若さだけが美しさだった頃を、もう思い出さなくなって久しい。

 今は、花が咲かない年にも意味があると知っている。


 春の終わり、温室の奥でカトレアが静かに開いた。

 音もなく、誇示もなく、それでも確かに「ここにいる」と告げるように。


 彼女は椅子に腰を下ろし、しばらくその花を眺めた。


 誰かに見せるためでも、評価を求めるためでもない。


 ただ、咲いたことが嬉しかった。


 人生は、いつも見頃ではいられない。

 けれど、見頃でない時間があったからこそ、今の色合いがある。


 夕暮れ、温室の灯りを落とす前、澄江はカトレアにそっと囁く。



 「きれいよ」



 それは、花に向けた言葉であり、

 長い時間を生きてきた自分自身への、静かな肯定でもあった。


 カトレアは今日も咲いている。

 誰に誇るでもなく、ただそこに在ることの美しさを、教えるように。

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あなたが生まれた日 忍忍 @SAL室長 @nin-nin28

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