竜涎香

ペテロ(八木修)

第一章:俺 ミーツ クジラ

 明日の朝、クジラが

 窓を開けて、大きな身体を極限まで、入ってくる。


――マッコウクジラだ。


 頭が大きいので斜め四五度に頭を倒し、窓の対角を使ってねじ込んでくる。


――が甚だしい。


 俺とクジラは、小さなテーブルを挟んで、をしている。

 そう、文字通り、お見合いだ。

 クジラは、どうして可能なのか俺には分からないのだが、大きなお腹をまるめて、三人掛けカウチソファーの右端に座っている。本革製なので滑り落ちないみたいだ。周りには良い香りがほんのりと漂っている。

 俺は脳を取り出しやすいように坊主頭だ。それがちょっと恥ずかしい。


 俺はクジラの隣に視線をやる。そこには、したり顔のアンドロイドが座っている。

 全身金色の人工皮膚で覆われた創造物。その顔は、彫りの浅いモアイ像のようだ。

 俺の視線に気がついたアンドロイドが、

「おや、私の顔が珍しいのですか?

 まあ、今の技術を持ってすれば、人間と少しも変わらない顔を作ることは出来ます。

 しかし、視ている人の中には、なんとなく違うデスバレーと想う人もいるので、それならばいっそ、視ている人の期待を裏切らない顔にしてあります」


 モアイ顔をしたアンドロイドは、これからは真面目な話ですよとばかりに、声のトーンを変えて、

「私のことは置いておいて。お見合いの話をします。

 やはり、クジラの中で共棲するわけですから、相性の確認は大切なのです。

 そのように、国際憲章で決まっていましてね。

 それで事前に、対面で相手を確認しなければならないのです」


 クジラが、ちらっと視線を上げて、俺の顔を見た。

 身体の比率からいうと、つぶらな瞳が、何かを訴えかけているようにも見える。


――値踏みでもしているのかな?


 仲介役のアンドロイドは、当事者の交流に関係なく話し続けている。

「……というわけで、人類としては安寧の場所を、同じ海棲ほ乳類の中に見つけたのです。クジラやイルカ、そう、五千万年ほど前に、地上から海中に生活の場所を移したほ乳類達です……」


 同じほ乳類、というところで、クジラの瞳が光ったように感じた。モアイ顔のアンドロイドも同様に感じ取ったようで、

「ほほぅ、クジラ様の方もまんざらではないみたいですね」と、クジラに微笑みを返したあと、俺に向かって、

「あ、人間の方には選択権はありません。あくまで、クジラ様に共棲させていただくのですから。話は理解しましたよね? それでは、ここにサインをお願いします」


 アンドロイドは、全身タイツに包まれた手で、書類とペンを俺に渡してきた。

 俺は指示された場所に、自分の名前を書く。


 先の世界大戦の影響で、世界の有り様が変わってから三百年ほど経っているのに、まだ公的書類は手書きのサインが有効とされているのだ。


 俺のサインが終わった書類とペンが、クジラに渡される。

 これも理屈が分らないのだが、クジラはペンを持って、書類の指示された場所に文字らしきものを書いている。


――時空間の歪みが


 俺は、見ている物理現象モノと、行われている情報コトのギャップに、軽く眩暈めまいを覚え、それを和らげるために額のこめかみを強く押してみたりした。


 サインの終わった書類とペンをクジラから受け取ったアンドロイドは、所定の内容を確認する。

「はい、結構です。これでマルタクジラ様と、フリーマンニンゲン様の共棲契約が成立しました。

 不肖アンドロイド、マキナが立会人として、お見合いの成立を宣言させていただきます。

 それでは早速ですが、マルタ様、フリーマン様、脳移植手術をしましょう!

 あ、大丈夫です。身体脱け殻は責任を持って保存しておきますから」


 そう言うとアンドロイドは、背中から時空間制御装置のコントローラを取り出し、俺達のいる空間を、亜空間に転送した。

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