助けるって、そんなに格好いいことじゃない

語り部:アダム・ランカスター


治癒師(実践社会心理治癒師)(Practical Social Healer)

所属:チーム・ローレン

専門:自立支援/社会機能回復



 昔さ、友達に


「資格試験がんばったから、ご褒美に小説を一冊買ってほしい」


 って言われたんだよ。ああ、彼女とかじゃなくてな、マジでただの友達。

 もちろん、


「流行小説の新刊なんて贅沢言わない。廉価ペーパバックで構わない」


 なんて拝み倒すもんだから――まあ、ペーパーバックなら、アカデミーのランチ一食分位だろ? それなら良いかなって――後から考えたら、古本だったらジンジャーエール一本分で買えるのに、新品頼むんかいって思わなくもなかったけどさ――いいやっつってプレゼントしたんだよ。


 他の奴らもそいつに色々贈物をして、まあ、ちょっとした財産をそいつは一夜にして手に入れたわけだ。

 

 それからも、何かにつけて、ご褒美募集だの、クラウドファンディングだの――その全てが悪いってわけじゃねえし、使いどころを間違えなければ大きな力になんのは事実なんだけどさ、なーんつーかなー、


 ”魚の採り方、忘れねーと良いなー”


 って、割り切れない思いがあったから、俺はその後、関与しなかったんだ。


 その後のそいつ?

 うーん……少なくとも、魚の採り方は修得して無かったなぁ……。

 寮から引きこもって出てこなくなっちまって、単位が足りなくて退学。実家で療養してるってさ。


 自分が仕事に出て稼ぐと、どうしても我慢しなくちゃいけない理不尽とか、やりすごしちゃいけない責任とか出てくるけど、人からもらった物にはそういうの、ないからな。

 貰い物で生活が成り立つ経験をあたりまえだと思っちまうと、人間、楽な方に逃げるよ、どうしてもさ。

 まともな神経してるやつは、贈与に対する負債感をどうにかするために行動するし、そういうの気にしないもらってばかりの奴は、かえって、助けてくれる奴が居なくなる。むしろ、貰うものにケチつけ始めたりしてな。

 歪んだ成功体験がそさせてしまうんだろうけど、上手くできてるよな、社会って奴は。


 で、だ。

 俺、さっき、アンタにバス代貸したじゃん?

 その金が無いと、家族の最期見とれねーって話だったよな?


 もし、その話が本当で。あんたの人生を俺の無慈悲が歪めんのは嫌だから、俺は金を出した。救えるもんも救えなかったら、俺は何のために治癒師になったかわかんねーかんな。


 で、俺は、例の「魚の採り方を忘れた」友人の件も絡めて、こうするようにしたんだ。


 ――まあまあ、そんな怯えんなって、ちっと足が自動販売機に当たっただけだろう?


 さ、自販機に入れようとした硬貨二枚、今すぐ俺に返そうか?


 トライアンドエラー。

 経験の積み重ねと、過ちの撤回によって、真実を確かめる。


 あるべき場所に、あるべき助けを。


 それが俺の、信条なもんでね。


 そうそう、それで良い。

 言っとくけど、俺そこの大学のラボで働いてっから、ここ毎日通るぜ。

 二度と同じ真似すんじゃねーぞ。


 困りごとは、ハーキマー教会で聞く。

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護るって言葉が嫌いになった日 植田伊織 @Iori_Ueta

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