祓いきれない怨霊-間宮響子-
江渡由太郎
祓いきれない怨霊-間宮響子-
間宮響子のスマートが、ブブブブッと規則的に震えた。
液晶画面には非通知の表示。
だが、画面には番号の代わりに一枚の画像が表示されていた。
――暗い教室。
机の上に伏せた女子高生の後頭部。
「……これは……いったい……」
その画像は、一瞬瞬いた。
写真のはずの少女のまぶたが、ぴくりと閉じ、また開いたのだ。
直後、スピーカーから微かな音が漏れた。
『……たすけて……』
響子は、即座に通話を切った。
だが切断音は鳴らず、代わりに画像フォルダーが勝手に開く。
保存されているはずのない写真が、次々と追加されていく。
放課後の空き教室。
割れたスマホの画面。
濡れた床。
血の滲んだノート。
すべてに、同じ少女が写っていた。
写真の中の口が、ゆっくり動く。
『ねえ』
『まだ、見てる?』
響子は低く息を吐いた。
「……電磁憑依か」
霊は、かつて「場」に縛られていた。
だが今は違う。
Wi-Fi、Bluetooth、5G――電磁波は新しい降霊回路だ。
霊は“呼ばれた場所”ではなく、見られた場所に現れる。
そしてこの霊は、“見せること”を覚えていた。
再びスマホが、ブブブブッと規則的に震えた。
「……たすけて……」
依頼者は、震える声の女子高生だった。
「写真が……動くんです。消しても、消しても……」
翌日、響子は依頼主の家へ向かった。
名前は三枝美咲。
都内進学校の三年生。
成績優秀、友人多数。
部屋に入った瞬間、響子は違和感を覚えた。
凍てつくような冷気。
そして、空気が重く沈んでいる。
響子が視線を向けた矢先、机の上のスマホが勝手に点灯した。
ロック画面に、あの少女の姿が映し出された。
今度は、こちらを見ていた。
『この人』
『私を、殺した』
美咲が悲鳴を上げ、崩れ落ちた。
「ちがう! 私は……!」
響子は霊視の中、美咲の記憶を視た。
――放課後の女子トイレ。
――嘲笑う笑い声。
――日記を回し読みされた悪意。
――「汚い」「消えろ」「死ね」と中傷。
中心にいたのは、美咲だった。
直接殴ってはいない。
突き落としてもいない。
ただ――。
笑って、見ていただけ。
翌週、その少女は校舎裏で首を吊った。
「……忘れてたんです……」
美咲は泣きながら言った。
「だって、もう終わったことだから……!」
その言葉を聞いた瞬間、スマホが悲鳴を上げた。
画面が歪み、フォルダー内の全写真が一斉に動き出す。
少女が、スマホの画面の内側から叩く。
『終わってない』
『まだ、続いてる』
『誰かが、見てるかぎり』
部屋の照明が消え、Wi-Fiルーターが唸りを上げる。
電磁波に乗って、怨念が膨張する。
少女の姿が、画面いっぱいに迫った。
眼窩は黒く落ち、口は裂け、舌が、スマホのガラス越しに這い出してくる。
響子は結界札を叩きつけた。
「――来い」
スマホが砕け、漆黒の闇が噴き出す。
怨霊は、もはや人の形をしていなかった。
いじめられ、無視され、忘れられた感情が幾重にも重なり、“見られること”だけを求める怪物。
『ねえ』
『今も、誰かが見てる』
怨霊は笑った。
響子は気づいた。
この霊は、祓っても終わらない。
なぜなら――すでに、この瞬間も、誰かのスマホのフォルダーに、この霊は保存されている。
間宮響子は、祓いの途中で悟ってしまった。
――これは、霊ではない。
少なくとも、人が想定してきた“霊”の形ではなかった。
怨霊は、電磁波の海に溶け、画像の解像度に自分を分解し、“視線”と“記憶”を栄養にして増殖している。
かつて人だった少女は、もう苦しんでなどいない。
苦しみそのものが、生態になっている。
「……美咲」
床に座り込む依頼者の少女は、自分のスマホを抱き締めて、嗚咽していた。
「消してください……お願い……」
その言葉が引き金だった。
スマホの画面が、内側から膨らんだ。
ガラスが歪み、人肌のように脈打ち、写真の中の少女が――押し出される。
目が合った。
それは「助けて」と言う目ではない。
“見つけた”目だった。
少女の口が裂け、音にならない声が、直接、脳に流れ込む。
『美咲』
『私を』
『見なかった』
空間が崩れる。
Wi-Fiルーターが破裂し、テレビが勝手に点灯し、
美咲のノートパソコン、タブレット、すべてのスクリーンに、同じ顔が映った。
笑っている。
いじめられていた頃の顔ではない。
死んだときの顔でもない。
“見られることを覚えた顔”。
響子の喉が、ひくりと鳴った。
霊能力者として、最も恐ろしい真実が、そこにあった。
この存在は、祓われることを恐れていない。
むしろ――。
祓いそのものが、拡散行為だった。
「……やめなさい」
その言葉に、すべての画面が一斉に、こちらを向いた。
『やめない』
『だって』
『まだ、いる』
響子の視界に、無数の“接続先”が見えた。
世界中のスマホ。
今この瞬間、誰かが開いているフォルダー。
何気なく保存されたスクリーンショット。
既読スルーされた写真。
削除されたはずの画像キャッシュ。
“見た”という事実だけで、接続は成立する。
美咲のスマホが、彼女の手の中で鳴った。
着信。
発信者名は、美咲自身。
通話に出た瞬間、彼女は硬直した。
スピーカーから流れたのは――。
自分の声だった。
『ねえ』
『あのとき』
『楽しかったよね』
次の瞬間、美咲の目が裏返り、口が不自然に吊り上がった。
笑っている。
首が、ありえない角度で折れ、それでも、笑顔のまま。
スマホが、床に落ちる。
画面には、今まさに死んだ美咲の姿が保存中の表示と共に映っていた。
――100%
完了音が鳴る。
響子は後退った。
祓いは失敗した。
否――。
最初から、成立していなかった。
この怪異にとって、「悪意」も「罪」も、もはや副産物だ。
必要なのは、ただ一つ。
“見られること”。
その日、三枝美咲は世界から姿を消した。
そして、リアルタイムで動画や画像が拡散された。
数日後。
響子は、深夜に目を覚ました。
自分のスマホが、机の上で光っている。
通知は表示ない。
ただ、画像フォルダーが開いていた。
フォルダーには、数えきれない写真がある。
すべて、こちらを向いている。
そして――最新の一枚。
そこに写っていたのは――。
眠っている、自分自身の顔。
写真の中の響子が、ゆっくりと、瞬いた。
そして、口が動く。
『……たすけて……』
画面の中の響子が、こちらを見ていた。
――(完)――
祓いきれない怨霊-間宮響子- 江渡由太郎 @hiroy
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