愛のためなら
@Hoshi_no_Taka
愛のためなら
彼女にひとりで買い物を頼まれたのは、これが初めてだった。
できないからではない。いつも「選び方が違う」と言われていただけだ。
その日は違った。「任せるね」と短いメッセージが届いた。
お守りのように、スマートフォンをポケットにしまった。
近所のスーパーは空いていた。
自動ドアが、都市らしい正確さで静かに開く。
かごを一つ取り、それから理由もなく、もう少し大きいものに持ち替えた。
彼女なら、きっとそうしただろうと思った。
通路を進みながら、初めて会った日のことを思い出す。
駅だった。中途半端な雨で、傘を差すほどでもなかった。
彼女は花を持っていて、濡れた紙に包まれていた。
赤い花だと言ったが、僕には黒に近く見えた。
その頃は、まだ彼女に反論することを知らなかった。
薄いガラスのグラスを選ぶ。
音を立てない乾杯を想像した。
彼女は騒がしいことが嫌いだった。
白ワインはよく冷やして、ほとんど透明になるまで。
ビールは、僕が黙る必要がある時のためだと言っていた。
それを思い出して、少し笑った。
果物売り場で、やけに整った苺に触れる。
甘いものは、服を簡単に汚す。
そして、その染みがなかなか落ちないことを考えた。
彼女はいつも「念のため」とクリームを用意していた。
その意味を、僕は一度も尋ねなかった。
チョコレートの前で迷い、
自分の好みではなく、彼女が選ぶであろうものを取る。
愛情とは、模倣の一種なのだと、いつの間にか学んでいた。
総菜売り場では、簡単なものを選んだ。
強いチーズと、少し苦い葉。
明るすぎない布の上で、黙って食べるにはちょうどいい。
芝生は跡を残す。
彼女は、それが見えるのを嫌った。
花は三本。四本ではない。
大切なことを数えるときの、彼女の癖を思い出す。
そして、決して全部は言わないことも。
店の奥へ進む前に、
清掃用品と日用品の棚を通る。
手袋、丈夫な袋。
「直接触らない方がいいものもある」と、彼女はよく言った。
距離を取った方が、うまくいくこともあるのだと。
言い争いの後に残るもの、
どれだけ努力しても消えない痕跡のことを思い出す。
匂いで、少し気分が悪くなった。
燃料、金属、
うまく火をつければ、すぐに消えてしまいそうなもの。
記憶でさえ、扱い方次第では染みになるのだと思った。
最後の商品を手に取ったとき、足が止まった。
通路の向こうに、彼女が立っている気がした。
初めて会ったときと同じ、
期待と疲れが混ざった表情で。
瞬きをすると、誰もいなかった。
レジに向かう。
お釣りを確認せずに支払う。
両手がふさがったまま店を出て、
彼女が望んだ通りのものを、
すべて選べたのだと確信していた。
愛のためなら @Hoshi_no_Taka
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