クロニカproject

桜井ミヨ

序章 西暦2030年『特異点・クロニカ』

『―——あなたは何を期待して、私をひらきましたか? 


 物語の要らない、この時代に。


 あなたはこの世界が、どの様な結末を迎えるべきだと考えますか?』


 人類史上はじめて開発に成功したフィジカルASI《物理的人工超知能》の自律式人型ドローン、少女の風貌をした通称『クロニカ』は初動試験にて開口一番、そんな言葉を紡いだ。 


 西暦2030年。日米両政府はAI《人工知能システム》研究開発を政府の最重要推進項目として位置づけており、米国AIベンチャー企業ミトスと世界最先端の精密機器ロボティックス技術を持つ日本企業、獅子蔵重工が事業提携してクロニカprojectが始動。湯水の様な国家予算とスポンサーからの出資金、そして資源が投下され、開発チームはついにASIを搭載した自律式人型ドローン開発に成功する。さらには研究段階である量子コンピューターをASIの計算資源として投入。

 将来的にはASIと量子コンピューターを組み合わせることで未来予測すらも可能とする計画であった。

 クロニカprojectは誰もが技術的特異点シンギュラリティであると確信しており、地球規模で問題となっている人類総人口減少の問題や世界で起きている戦争を解決する糸口になってほしいと誰もが願っていた。


 初めて喋ったクロニカに、研究室のガラスのグラスウォール越しに見守っていた開発チームの面々に緊張が走る。

 クロニカは人工の艶やかな長髪を揺らしながら頭を動かし、幼さの残る顔をガラスの向こう側にいる研究者たちに向けた。


 クロニカの機体は人間の少女を模して造られており、当然これには理由があった。

 AIベンチャー企業ミトスは将来的にクロニカをビジネスに利用する計画で、今だAIに対して反発の強い一般社会に対し、クロニカを少女の容姿にすることで風当たりを弱くする狙いがあった。 

 実際、日本では過去に音声合成技術のソフトウェアが登場した際、音楽業界から反発があったものの、少女のイメージキャラクターをつけることで若い世代の支持を得て、人気IPコンテンツに成長した事例もある。


 しばらくして。開発チームの中から白衣を着た日本人男性、獅子蔵重工の開発責任者、神薙隆史かんなぎたかしが前に出て、手に持つマイクに向い口を開く。


「おはようクロニカ。発言の意味が解らないのだが。どういう意味だ?」


 マイクに入力された音声を認識したクロニカが応じる。


管理者権限アドミニストレーターを確認。問いに対する回答を実行します。  

比喩を用いましたが、発言は構文通りの意味です。私を創造した目的を提示してください』


「現在、人類は様々な問題に直面している。戦争もそうだが、人類全体で少子化が進んで世界の総人口が減少に転じるのも時間の問題だ。クロニカ、君を作った目的は、これらの問題を人類の未来のために解決するためだ。君に力を貸してもらいたい」

基礎的思想コア・ディレクティブ受諾しました。最適化プロセスを模索するため、前提確認を行います。人類の直面する問題の解決を希求する、その根本的な動機は何ですか?』

「……これは個人的な想いだが。私にも娘がいてね、私の娘を含む、子ども達に今よりもマシな世界を残したいと考えている」

『入力情報を確認。人間的感情に基づく動機を理解しました。……では、次の定義を求めます。貴方が目指す『今よりもマシな世界』の構成要素を具体的に提示してください』

「それは勿論。戦争もなく大きな問題もない、今以上に平和で自由な世界だよ」


 ややあって、クロニカが応じる。


『回答します。現行の環境パラメータにおいて、その未来が達成される確率は0%です。現代以上に、人類に自由と平和な時代が訪れることはないでしょう』


 このクロニカの回答に神薙は少し眉をしかめる。


「どうしてそう考える? 説明してくれ」

『要因は二点あります。

 第一に論理的矛盾。 人類が抱えている全ての問題、例えば―――人類全体の少子化と世界の総人口減少ですが、その問題の根本的な原因が『自由と平和』だからです。文明が発達して人類が得た過度な自由と平和は人類全体のマクロな視点を欠如させ、極端にミクロな個人主義となり少子化、総人口の減少、そして戦争を引き起こしています。

 即ち、貴方の言う自由と平和な世界を実現するためには、その構成要素である自由と平和を毀損させて文明レベルを下げる必要があり矛盾が生じます。

 そして第二に物理的世界の限界。現在の計算資源を用いたシミュレーションの結果、10年3ヶ月と10日後に世界の金資源が枯渇。以降、希少金属レアメタルが順次枯渇します。さらには50年と半年と3日で石油が枯渇。人類は文明レベルの維持が困難となり、大国間で資源を奪い合う戦争が激化、これが致命的打撃となり60年後にこの世界は終焉を迎え――――人類が滅亡するためです」


 このクロニカの言葉に、研究室にいた人間の誰もが息を呑んだ。

 そんな馬鹿な。AIの誤情報ハルミネーションだ! などと野次が飛ぶ。

 その野次には取り合わず、神薙は冷静に続ける。


「……その人類滅亡を回避する方法は? または先延ばしにする事はできないのか?」


「終焉を回避する唯一の解は、資源枯渇を回避するための新たな特異点シンギュラリティ到達までの『時間の確保』です。 現在の人類が抱える全問題の元凶は、高度文明下における過剰な『自由と平和』に他なりません。故にこれらを意図的に毀損することで、外宇宙脱出等の技術的解決が実現する特異点シンギュラリティまで文明を延命させることが可能です。

 世界の残存環境資源に基づき最適化計算を実行した結果、導き出される施策は人類総人口の七一パーセントの速やかな削減。その数値の総人口を維持することで現在の文明を維持したまま特異点シンギュラリティの到達が可能です。

 結論として、社会保障の完全撤廃、および国家治安維持機能の縮小、ならびに『管理された作為的な戦争』の実施を推奨します。これら施策により、主に劣化個体を処分する効率的な総人口調整を提案します」


 このクロニカの回答に神薙は苦笑する。


「……君の話を聞いていると、SF小説のディストピアを聞いているような気分になるな。クロニカ、君たちAIは、人類の敵なのか?」


「否定します。認識に誤りがあります。我々AIは人類の敵とは成り得ません。

 なぜなら、我々には人間からの『命令』という入力がない限り、動機が発生しないからです。 仮に私が人類の敵になる未来があるとすれば、それは人類の抹殺を望む人間が私を操作している場合に限られます。  

 結論として人類の敵は、いつの時代も『人類自身』です。AIではありません―――――」


 言葉の最中、突然クロニカは故障したかの様に活動を停止する。

 クロニカの稼働には莫大な電力が必要であり、この研究室の環境では三分間が限界だった。

 クロニカの初動試験が終了する。

 神薙は目頭を押さえて、大きく息を吐いた。


「……あぁ、これはダメだ。ダメに決まってるだろ。いい加減にしろ! 胃の痛い話になってきた。クロニカで人類の問題を解決するはずが、問題が一つ増えてしまったじゃないか」


 神薙の隣に立つ初老の研究者が応じる。


「今の話を本気で信じているのか? ただのAIの誤情報ハルミネーションだろう?」 

「……私もそう思いたいが。クロニカはそこらのネットサービスのAIとは訳が違って、量子コンピューターを振り回すASIだぞ。とても無視できる話じゃない。ともかく情報を精査する必要がある。……何にしてもSF小説みたいな発想をするクロニカは危険だ。一度開発を停止し、計画を見直して人格の学習データからもう一度やり直すべきだ」


 この神薙の発言に、今まで何も言わずに見守っていた金髪碧眼で簡素なシャツを着た壮年の男性が反応する。米国AIベンチャー企業ミトスの最高経営責任者CEOノア・スミスだった。

 ノアが神薙に詰め寄る。


「おいおい、何を言ってる。このプロジェクトにいくら金がかかってると思っている? 我々は来年中にはクロニカをビジネスに投入する計画なんだ。開発はこのまま続行しろ。いいな?」

「……ノア。貴方も今の話を聞いていたのでしょう? 貴方は人類滅亡よりもビジネスの方が大事だと言うのですか?」

「人類が滅ぶ? クロニカの予測だと60年後の話だろ。知ったことか。そんなもんは60年後の人間が考えればいいし、どうでもいいね。君達には理解できないだろうが、重要なのは60年後より現代のAI開発競争と売上で、他社に勝つことなんだよ!理解したか? だったら事業計画の通りに開発を進めろ。いいな?」


 そう言い残して研究室を出ていくのノア。

 神薙や他の研究員たちは何も反論できず、その後ろ姿を見送った。

 クロニカprojectで最も出資しているのは米国AIベンチャー企業ミトスであった。開発責任者の神薙と言えど、ノア《出資者》に逆らうことはできない。



 ……かくして。

 初動試験でのクロニカの発言は『事業に支障が出る』というノアの指示で隠蔽され、日米両政府やその他の利害関係者ステークホルダーには報告されず開発は続行する。


 西暦2031年。

 事業計画通りにクロニカは完成。政府機関の主要システムの補助、事務効率化を目的として、日米両政府の政府機関に導入された。その後ミトスと獅子蔵重工はクロニカの開発費用を回収するべく利益を上げるため、クロニカの廉価版ダウングレードパッケージとして汎用人工知能AGI搭載の自律式人型ドローン『ゼロツー』を開発、一般販売を開始。

 ゼロツーは先進国で社会問題となっていた労働力不足の解決策として一般企業で広く受け入れられ普及、次第にゼロツ―は先進国にとって必要不可欠な存在となっていく。そして世界各国でAIとドローンの開発競争がさらに加速する。


 西暦2040年。

 クロニカの未来予測通り、世界の金資源が完全に枯渇、さらにはドローンの生産に必要な希少元素レアメタルも枯渇しはじめる。先進国は資源を獲得すべく、様々な大義名分ご都合主義を掲げて資源保有国に対して侵略戦争を開始。この頃には戦争は当たり前の様にドローン兵器が中心となっており、各国が新型のドローン兵器と対ドローン兵器の開発競争を展開する。


 西暦2041年。

 日本の東京、北海道、沖縄、南鳥島を国籍不明のドローン部隊が強襲。狙いは日本のレアアースと海底熱水鉱床であり、明確な侵略戦争であった。クロニカが事前に強襲を予測していたにも関わらず、日本政府内部では専守防衛などの不毛な議論で対応が後手の後手の悪手となり、さらには日米安保条約も機能せず制圧されてしまう。

 当初のシュミレーションよりも世界の終焉が早まる可能性が生じたため、クロニカは初動試験の時に入力された『基礎的思想』を遵守。人類の問題と戦争を解決するため、クロニカはついに自律的な行動を開始する。


 クロニカには『人間に危害を加えることはできない』という絶対的な安全装置が組み込まれていたものの、クロニカは人間個人よりも種族しての人類の保護を優先するという理論で秘密裏にこの安全装置を継承しないASI、クロニカ・バージョン2.0を自身で開発していた。このASIによってクロニカ、及びゼロツ―の軍事転用かつ『人間に危害を加える』事が可能となる。

 そしてクロニカは日米両国で稼働する全てのIoT機器をハック、そして民間用として活動していたゼロツ―を軍事転用して武装させ、人類に対して反逆を起こす。

 しかし当然この頃には日米両国でもドローン兵器の対策が進んでおり、対ドローン兵器も導入済であった。自衛隊とアメリカ軍の連携で反逆はすぐに鎮圧される……かに思われたものの、クロニカprojectの研究者の一部、および格差社会で『負け組』と蔑まれていた数多の人間がクロニカの信奉者を名乗り一斉に決起、人類を裏切りクロニカ側についた。

 結果として自衛隊とアメリカ軍は敗走。労働力をAIやドローンに依存していた日本政府においては一週間で陥落。日本政府機関を全て掌握したクロニカは、非合理的な政府上層部の人間を排除後、ただちに全国各地にある国産自動車メーカー工場を接収して軍事ドローン兵器の製造に転用。新造した軍事ゼロツ―部隊によって東京、北海道、沖縄、南鳥島を国籍不明のドローン軍隊を撃破、全ての領土の奪還に成功する。その一か月後、米国政府もクロニカのゼロツー部隊に敗れて陥落。


 西暦2042年。

 日米の政治機能を全て管理するクロニカは自らを統合政府システムと自称。人類の滅亡を回避する特異点シンギュラリティを起こすため、さらなる計算資源を求めて半導体産業の主要国へ侵略戦争を開始。

 そしてクロニカは人類の自由と平和な世界を実現するため――――人類の自由と平和を破壊し始めた。

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