『この調書には精神の混濁がみられます』

のまのまのひと

倒叙ミステリーの誤解

僕の前に死体が転がっている。それはどうやら女の人らしい。虚ろ、というのはこういう様相を呈するらしい。暗く窪んだ眼と赤黒く溜まった血、目の前に広がる景色すべてが目の前のモノが死体であると物語っている。さて、一つ疑問が残る。誰が殺したのか、ということである。

 僕の名前は神崎蓮、都内の多少名のある大学に通う普通の大学生一年生だと思う。父は中小企業に勤めて母は専業主婦、兄弟はおらず見た目は普通、特段不自由なく大学まで進学、多少の友達に恵まれて何不自由ない生活を送れている。

特異な点をあげるとするならミステリーサークルに入っているミステリー好きという点くらいであろうか。綾辻行人、東野圭吾、様々なミステリー作家を見てきたがまあ実際には事件の一つにも遭遇もした事がないような至って平凡な学生である。

「おい、今日は例のディスカッションの日だぞ。ちゃんと考えてきたのか」

 此奴は朝倉瞬、同じミステリーサークルに所属している悪友である。例のディスカッションとはサークルで行われている定期ディスカッションのことである。毎度出題者を一人決めて自作のミステリーを考えて部員の前で発表する、そして部員が犯人を推理して当てる。今回は僕が話を考える番であった。

「もちろん考えているさ、東野圭吾のような倒叙ミステリーさ」

「倒叙ミステリー?それなら自分たちが推理する必要がないじゃないか」

「そこがミソだ。本来、倒叙ミステリーでは犯人が明かされた状態で物語が始まる。犯人の心理描写、警察と探偵役を欺くようなトリックを楽しむのが倒叙ミステリーの醍醐味だ。」

「それなら…」

「そこに根本的なまちがいがあるとしたら?

ま、楽しみにしといてくれ。それより次の授業が始まるぞ。移動しなくていいのか?」 「やばい!遅刻しちまう」

瞬は慌ただしくかけていく。

「以上が今回の発表になります。」

 放課後、教室に集まりサークルの皆の前での発表を終える。解決編の前までを発表し、来週のサークル活動までに他の部員が推理を持ち寄り発表し、そこから解答編というわけだ。

「神崎くん、少しいいかな?小説のことなんだけど…」

彼女の名前は小鳥遊唯、サークルの先輩で高校からの付き合いである。

「何ですか?」

 至って普通のなんてことはないサークル活動、そうであったはずだった。〈都内に住む女子大学生死亡、警察は殺人事件として捜査か〉

 知らせを受け取ったのは前回の活動から一週間が経ち、解決編となるはずだった日だ。

テレビから無機質に流れてくるそのニュースに心臓を直接羽毛で撫でられるような奇妙な胸騒ぎを覚えた。

「小鳥遊先輩が…死んだ?」

思考がまとまらない、脳が認識しているはずなのに情報として頭に入ってこない。疲れている時にみる小説のように言葉が頭から滑り落ちていく。呆然としていると不意に携帯の通知が鳴った。

『ニュースを見て知っている方もいると思いますが、小鳥遊さんが亡くなりました。事件の可能性もあるとして、警察の方が皆さんに事情を伺いたいそうです。本日、普段活動している教室に集まっていただき、個別にお話をお聞きするようなので皆さんは昨日の自分の行動等、なるべく詳細に思い出しておくようお願いします。』

サークル長からの連絡だった。

「昨日の行動…?」

昨日のことを思い出そうとすると靄がかかったように頭が重くなる。水面に浮く泡を掬うように記憶の欠片を探る。

悲しそうに歪む彼女の顔…目の前に散らばった原稿用紙…赤黒く染まる自分の手…

「僕が…殺した?」

そんなありえないような、それでいてどこか確信めいた予感があるような考えが頭に浮かんだ時、不意に玄関のチャイムが鳴った。

「おーい、元気か?」

瞬だ。頭に浮かんだ妄想を振り払うように玄関へと向かう。

「どうした?」 

「ニュースみたか?…小鳥遊先輩のこと。」

呼吸が止まる。自分の頭の中を見透かされたようですぐに返事ができなかった。

「…ああ、見たよ。信じられないよな。」

「信じられないよな、お前の小説がこんな形で現実になるなんてさ。」

「今…何ていった?」

「だからお前の小説のことだよ。お前の小説主人公が殺したのを気づいていない倒叙ミステリーだっただろ?小説が現実になるなんて笑えねえよ。」

心臓が止まった気がした。

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