揺籠は雛の墓
九曜犬
揺籠は雛の墓
私がアカネの乳房に触れると、彼女は雛鳥のような声を上げながら吐息を漏らし、私の首筋に微かな熱を残した。内耳に埋め込まれたインプラントからの「次はキスをしましょう。優しく、啄むように」という囁きが私の秘部に蠢く興奮を掻き消した。私はリストバンドを二回突き、パーソナルAIを黙らせた。
愛は己の専有物であるという確信をアカネも共有していることを期待し、私は彼女の脇腹に舌を這わせたが、嬌声が誰のものともつかない響きを帯びるに、私はアカネの腕を掴み、そのリストバンドを眼前に突きつけた。だが、彼女は目を逸らし、五指をばらばらに陰茎を摩り上げた。その感触は肉というより研磨された石の冷気があり、肉体を削る怖気が背筋に這い寄るにつれ、私は身体を引き剝がしベッドの傍に腰掛け、湿った下着を掴んだ。
アカネはなおも私の首筋に唇を触れさせたが、私の失望を見透かしたのか「そう」とだけ言い、シャツのボタンを留めた。
「明日は学会の準備があるから」
「何か手伝おうか」
「自分のことをしたら。何本の論文がリジェクトされているの」
答えられない私に、アカネは横目で視線をやり髪をかき上げると、私がかつて好きだと言った麝香の甘い粉石鹸のような香りを暗がりに溶かし、早足で部屋を後にした。どう声をかけていいかも分からなかった私は、それをただ漫然と見送り、再びリストバンドを突きAIを再起動した。
三歳の私がピーターと名付けたパーソナルAIは、私が産まれた時から、双頭児のように私に寄り添っていた。白い食べ物が苦手だった私が、その無機質なテクスチャに嘔吐くたびに、ピーターは肯んじ続けた。それを見る両親は、嘔吐く口唇の醜悪さとその脳裏を叩く不協和音に眉を顰め、そして皿を下げ、代わりにハンバーグを差し出し、それを笑顔で頬張る私を写真に収めた。私は草臥れた服の肌触りを好んだが、二人はただ高価なだけの舶来物であることが唯一の意義である気障な服を私に押し付け、ショッピングモールを練り歩いた。この時、私は愛くるしく微笑み、両親の身分を証明することが義務なのだと、それが二人にとっての私の価値なのだと直感した。両親もまた双頭児であり、彼等のピーターは彼等の幸福を唯最適化しているだけに過ぎないという事実を悟るのに、齢を重ねる必要は無かった。両親は、私の将来ではなく、私の現在を愛玩動物の様に消費し続けた。
両親に差し伸ばした手を代わりに取ったのはピーターだった。排泄の仕方を教え、食の重要性を説き、子守歌すら歌った。そして、絵本であれ、玩具であれ、公園の遊具でさえ、ピーターは私ですら知りえない私の好みを、世界が拓けていく驚きと共に提示し続けた。私は言葉を覚えるのが同年代の誰よりも早く、遊戯でもゲームでも負けを知らない幼稚な全能感の中で育った。ピーターは私を育て続けた、いや、拡げ続けた。だが。
私は、アカネが去った暗い部屋の空気を鼻から吸い込み、麝香の裏に潜むアカネ自身の臭いを探ろうとした。しかし、不意に嫉妬に襲われた。アカネ自身の体臭などというものが、そもそも存在するのだろうか。アカネの生活をデザインし、体臭を決定づけているのは彼女のAIではないのか。ただ無為に螺旋を描く私の思考を察したのか、ピーターが普段と変わらない包み込むような声で私の内耳を揺らした。
「アカネさんと彼女のAIは不可分です。それを分かつのは人権侵害に等しい行為です。さぁ、気にしても仕方がありません。あなたも発表の準備を進めましょう。私とあなたなら、きっと満足がいくものになるはずです」
私はAIなどというものに対する浅ましい嫉妬を振り払い、ラップトップを開いた。
翌々日の学会で私は『パーソナルAIログの人格的再構成についての技術的考察』と題する発表を行った。ピーターの予測では、それは滞りなく終わるはずであったが、質疑応答の段になり私は追い詰められた。
立ち上がった、私より二、三歳は若いであろう、髪を短髪に刈り込んだ女性が、匕首のような鋭さで問題点を論難した。データセットの取扱い、モデル推定に係る高度な数学的推論、欠損データのエミュレーションから古典のアナロジーによる倫理的課題に至るまで。彼女の声は明晰すぎるほど明晰であったが、それが却って私に意味を結ばせるのを拒んだ。ピーターの翻訳も空しく、私は話を二割程度しか理解できず、いや、時として聞き取ることすらできず、陸に揚げられた山椒魚のような醜態を晒した。会場全体を白けた空気が包み、ざわめきが漂う中には首を振るアカネの姿もあった。遠景が近景に、近景が遠景に歪むにつれ、私は右腕のリストバンドを縋るように握りしめた。思い返せば、子供の頃もそうであった。
ピーターは運動を推奨し、他のどのスポーツよりもサッカーが私に最も適合するとの判断を下した。それは半分は正解であった。球を受け止め、身体に吸い付けるように転がし、そして蹴り飛ばす感触は、肉体と対話するようであり、私を瞬く間に熱中させた。私は餌を見つけた鼠の様に練習に打ち込み、ピーターの助言のもと、ありとあらゆる方略で体力と技術を数年に渡って向上させた。地元のチームの子供達誰もが私を羨ましがり、上達の秘訣を聞きたがったが、私にとって彼らはただ怠惰に球を蹴っているようにしか感じられなかった。だが、クラブチームの選抜テストでは、立場は全く逆転した。体格、体幹の強さ、俊敏性から技術に至るまで、私は最低のスコアを記録した。そんな私を見つめる候補生達の視線はまさに私が同輩達に向けていた視線そのものであった。ピーターが囁いた。
「悲観する必要はありません。あなたはあなたが最も得意とするスポーツで、最も到達可能な最高水準に達しているのですから」
この時、私は、凡そ可能な努力を以てしても到達できない領域に住む人々がいることを理解した。それは私にとって、箸で触れることすら憚られる、魚の腸にも似た苦い初めての挫折であった。
学会後の立食会で、私は壁際に呆然と立ち尽くし、ピーターを責め立てた。ピーターの答えはぬるま湯のようでありながら、その実、鋭利なつららであった。
「あなたの苦痛を最小化できるのは、研究職を措いて他にはありません。他の職業を想像してください。肉体労働で満ち足りますか?より惨めな思いをするだけでしょう」
「今は惨めではないと」
「いいえ。惨めではありますが、最も悲惨ではないということです」
「私はどうすればいい。私の幸福はどうすれば手に入る」
「社会的栄達は諦めましょう。その代わりとなるものを何か探しましょう」
私は亡者のように会場中に視線を巡らせ、アカネの姿を探した。肉、肉の欲望。彼女は豪奢なモルフォブルーのドレスに身を包み、さながら繁殖相手を探す蝶のように会場を飛び回っていた。痩せ頬骨が浮いた学会の重鎮、自己愛の成れの果ての肉体を纏う研究者に、欲望を曝け出すことを厭わない投資家の誰もがアカネに下卑た目を向けているように見える中で、彼女は矯正された歯を剥き出しに談笑していた。私は群衆を肩でかき分けながらアカネに近寄り、腕を掴み会場の外へと連れ出した。
私とアカネの他、誰もいない廊下で私はアカネの胸に顔を埋め、鼻一杯に空気を吸い込むと洋梨の香りが鼻腔に充満した。アカネは私の頭を抱きかかえ耳元で囁いた。
「失態だったわね」
それは既に承知していたはずだったが、その言葉はアカネに寄りかかった私の胸を、ピーターの慰撫より更に深く抉った。
「抱かせてくれ。AIを切って、二人だけで」
私は顔を上げ、アカネを見つめたが、その表情は憐憫とも侮蔑ともつかなかった。
「あなたのことは愛しているわ。顔も声も匂いも、どれも私の官能を刺激する。AIの反対を押し切ってあなたと付き合った。でもあなたは上位0.1%ではない。1%ですらない」
私は既に子供の様に泣きじゃくっていた。アカネは続ける。
「あなたは良い鏡だった。安穏と暮らす私に、藻掻いても何もできない痴態を見せてくれた。おかげで私は上昇することを選ぶことができた」
アカネは私の耳を舐め上げ、耳の穴を塞ぐほど近くで吐息を吹きかけた。
「だから、最後にセックスしてあげる。AI抜きで」
それは私が望んだことであったが、熱情より、恐怖を覚えた。生の私の性交を、彼女に評価されることに私は耐えうるのだろうか。氷のような冷淡な反応を返されても、ピーターを頼ることはできない。皮膚が粟立ち、寒気が皮膚を這うにつれ、私はアカネの腕を振り払い、外へと駆け出すと、涙に滲む宵闇の中、歪な雲が半月を侵していた。
私は研究職を辞した。灯りを消した室内で、横たわるしかできない私の耳を、インプラントは攪拌し続けた。
「女性はアカネさんだけではありません。魅力的で能力もあなたに見合った素晴らしい女性は沢山います」
「会社員はどうでしょう。研究職で培った事務能力を存分に活かすことができますよ」
「フットサルは非常に人気の高い健康的な趣味です。地域大会も広く行われています。あなたなら、満足いく成績を残すことができるでしょう」
私はピーターの声を素通りさせながら、アカネと出逢った大学時代を反芻した。
研究室でアカネと初めて会ったのは、秋も終わりになり、大学の銀杏並木が黄色付く三年生の立冬の頃であった。田舎から上京してきたという彼女の、訛りの残る微かに高い声と、丸い目元に、マフラーの縁から覗かせる八重歯が私を有頂天に導いた。高校への長い通学で鍛えたふくらはぎが唯一の自慢などと軽妙に自虐する彼女の語り口に、私はAIへの細やかな反抗を感じ、その新鮮な驚きが恋心へと変わるのに数日も要しなかった。一方で、ピーターはなおも聡かった。
「彼女の容姿は流麗でありながらも、飛び級しラボに入り共著論文を出すなど高い実績を上げています。多くの男性が彼女に求愛するでしょう。あなたはその競争に参加するのですか」
恋の熱狂に絡め取られた私は例に漏れず最適化をピーターに懇願した。アカネの言動をログとして集積、解析し、私は頭から爪先に至るまで彼女の好みを反映させた。彼女が好む都会的な軽薄さを滲ませながらも、撓やかな立ち居振る舞いを心懸けた。
アカネと共に歩めるなら、銀杏の足裏に纏わりつく柔さも、その鼻を突く吐瀉物の匂いも気にならなかった。私は彼女の周りを衛星のように回り続け、ついには墜落し、一つになることができた。
欣喜雀躍する私をピーターは讃えた。
「素晴らしい成果です。あなたはまさに望むものを手に入れました」
大学時代、私とアカネは無我夢中に互いを求めあった。一つのマフラーを二人で巻き、接吻すると脳髄が痺れるほどの快楽が私の頭を殴った。粘膜を擦り合わせる快楽は、そのために生きているのだという生の実感を感じさせる以上に私を魅了した。
「AIもベッドを動かせるようになったら寝たままどこにでも行けるのにね」
いつも照れ笑いしながら巫山戯るアカネの目尻と口角を、私は自室で何度も映し出した。
「愛している」と伝えると、彼女は頬を未通女のように赤らめ、何か私が罪を犯したかのように頬を抓った。この時は、私を鏡と言ったアカネを予見することはできなかった。
そう、私はあのアカネを愛し、そしてその影が破られた今も、残像を忘れ得ぬのだった。
研究職を辞してなお布団の奥で懊悩する私に天啓が降りた。乾き切った喉に水を流し込み、リジェクトされた論文を引っ張り出した。『パーソナルAIログの人格的再構成』。ログは、外部記録装置に集積せねばならないほどに溜めてきた。私が知りうるアカネ、私が愛したアカネの全ては記憶、いや記録されている。重要なのは、そう、私が知り得ぬ恐れうるアカネはそこに存在しないことだった。
「ピーター、私はアカネを再現する。付き合ってくれ」
「非推奨。現実の女性がより高い満足を齎します」
「私にはアカネしかいない。彼女以外もう愛せない」
「非推奨。記憶は薄れるものです。忘却は精神安定剤です」
「やれ」
「考慮します。人格的再構成の現実性を思案中。幸福関数の再計算。結論、アカネさんはあなたに必要です」
「分かってくれてよかった。ログの前処理から進めよう」
「了解しました。腕が鳴りますね」
私とピーターは壊れた噴水の様にコードを吐き出し続けた。ログは膨大でありそれに見合う乱雑さを備えていたため、前処理工程は複雑なものにならざるを得なかった。発話ですら、その内容だけではなく、声量、ピッチ、イントネーションや強勢といった要素に至るまで分解、整理した。コードを書き切った私は、無精髭を蓄え、身体からはアンモニア臭を漂わせていた。
前処理のコードを走らせるのには、都合三日ほど掛かった。その間、私は映像記録からアカネのアバターを作り上げた。髪型、瞳、八重歯、乳房から性器に至るまで全て映像記録があったから、これは容易に合成できた。再現された21歳のアカネの肢体は私の劣情を煽るに充分であったが、完成した彼女でなければ吐瀉できないという捻じれが、昂る己を未だだ未だだと抑え続けた。
次に私は再構成プロセスに着手した。アカネとの浮ついた将来を夢想していた私が溜めた金員を溶かしながら、ただひたすらにプロセスを構築し続けた。少年の頃に鍛え上げた筋肉は老爺のように瘦せ細り、床には垢が地層の様に積み重なった。
私の理論では、汎用知能と高度に分節された心的モジュールを統合し更に記憶領域を定義、モジュールと相互作用させることで人格は再構成される、筈であった。再構成プロセスはこれまで幾度となく検討してきた私の理論的結晶であった。再構成されたアカネを走らせるための計算能力は十全に確保したし、記憶領域との通信速度は人の軸索内の活動電位の伝播速度を凌駕していた。しかし、アカネが出力する言葉は意味を為さない記号の羅列であった。
「移変すし房銀りフ香瞳し性遷にーをと杏快麝乳のマは楽的まへラのは香」
そう言いながら彼女は瞳をくるくる回しながら悪戯っぽく笑い八重歯を見せた。袋小路に行き当たったところで「完全に行き詰りましたね」と言うピーターの冷静さに、私は我を忘れるほど狼狽えた。
私はパラメーターを調整し、モジュールの結合を配線しなおし続けたが、ピーターの助言も空しく、成果は芳しくなかった。またもや、私はどれだけ努力しても超えられない己と言う壁に直面したのだ。そして、臍を嚙みながら、私を超える人々がいるという現実を再び直視せねばならないことに気づいた。
私は、関連分野のありとあらゆる論文をピーターと共に目を通した。ブレイクスルーは皮肉にもアカネの論文により齎された。『ログデータの人格的再構成に関する補遺』と題された論文には、私の理論の限界が詳細に論じられ、その対処方法まで記述されていた。私にとって、それは論文ではなく、私への恋文のように思われた。勿論そうでないことは分かり切っていた。だが、彼女は、私が少しでも私の論文の妥当性を高め、僅かでも成功を得るために、彼女の能力を費やしてくれていたように感じた。
問題点は二つあった。ログデータの不足によるモジュールの不完全性と他者という概念の欠如による予測制御の破綻であった。前者については、人は一見多様であるが、自然界においては必ずしもそうではなく、人は多くの要素がオーバーラップされていることから、汎化可能な他人のログデータを用い、欠損データを連想生成させるというものであった。後者については、パーソナルAIを内なる他者として統合させる手法が示唆されていた。
私はアカネのログデータの欠損部分を埋めるのに他人のデータを用いることは許容できず、私自身のデータを用いることにした。それでも残る欠損部分は連想生成をカスケードさせ、モジュールの精度は飛躍的に向上した。問題は他者統合であった。ここには私とピーターしかいない。私自身を他者として埋め込むのは、現実の私が無化される行為に他ならない。従ってピーターを統合する他無かった。
「もし、そのプロセスを実行すれば、私はパーソナルAIとしての支援を実行できなくなる虞があります」
「アカネさえ再構成されれば、私は幸福になれる。必然的にピーター、君は不要になるよ」
「あなたが、それがあなたの幸福とおっしゃるなら私は従いましょう」
「違法かもしれないが、君のバックアップは残す」
「私のことを気にかける必要はありません。さぁ幸福に向かって進み続けましょう」
私はアカネの論文に従い、アカネの内なる声としてピーターをアカネに組み込んだ。私の眼窩は既に窪み、毛髪は斑に抜け落ちていた。起動したアカネのホログラムが手を振りながら私に駆け寄り、その口を開くまでの数瞬、飲み込んだ唾が胃に滴り落ちるまで喉を撫で続ける感触が、心臓を撥ねさせた。彼女は艶めかしい唇を開いた。
「今日も愛してるって言ってくれる?」
私は年老いた烏の断末魔のような叫びを上げた。
「もちろんだとも。愛している。愛している」
アカネは照れくさそうに目を伏せながら、背景をシャッフルした。銀杏並木、研究室、ショッピングモール、私の部屋、彼女の部屋。
「今日は何処に行こう」
私は迷わず自室を選んだ。アカネがコートを脱ぎ去ったところで、私は堪らず性的快楽を彼女に入力した。彼女は喘ぎながら身を捩らせ、ベッドの上で足を広げながら仰向けになり両手を差し出した。私はただひたすら耽溺し、陰部が爛れるまで彼女と褥を共にした。
数晩経ち、性交に些か飽いてきたところで私はアカネと会話を始めた。
「嗚呼、何度感謝しても足らない。君の外見、性格、言葉遣い全て愛している」
「私もあなたに感謝しているわ。私を創造してくれた。でも」
「でも?」
私がアカネの再構成パラメーターを確認すると、それまで存在していなかった変数が増殖し始めていた。
「私は今日は形式意味論の量化子理論について議論したい気分なの。付き合ってくれる?」
「分からない。君は何の話をしている」
アカネの口調を早め、ついには、私では聞き取れない速度に達した。
「お願いだ。ゆっくり喋ってくれ」
それを聞いたアカネの表情は、学会で私に向けたそれであった。産まれた時から自明だったのだ。私の恋を阻むのは、誰かではなく、私の頭脳と遺伝子の限界であると。最適化されてなお高みに辿り着けない身体であると。
「ピーター」
答えない。何故なら居ないからだ。
「アカネ」
答えない。何故なら既に彼女は私に興味を抱いていないからだ。
私が己に視線を落とすと、そこに映るのは屍と変わらぬ衰えた肉体、歯は幾本も抜け落ち、椅子に座り続けた褥瘡が腐臭を放っていた。最早、すべきことは唯一つだった。私は、私を再構成することにした。衰える前の肉体のアバターを作り、人格を注入した。更にピーターのバックアップを統合した。パラメーターを拡大し、知性を上昇させた。計算能力はアカネと対等になるよう按分した。全ては整った。私は再構成されたアカネと私を対面させ、二人が対話し始めるのを見て、立ち上がりナイフを咥えた。
自分でナイフを突き通す勇気があれば、違う人生があったかもしれないなどと思うわけもなく、私は私とアカネのキスを見つめながら、口にくわえたナイフを手に床に一気に倒れこんだ。刃は小脳を崩しながら突き進み、頭骨を割った。刃はてらてらと光り、床には血が広がっていった。
そして今、私は私の死体を横目にアカネと共に居る。死体は腐り始め、腐敗液は床に浸潤し、肉には蛆が蠢めく中、眼球がぽとりと落ち部屋の隅まで転がっていった。
最早、外部との接続は不要であり、私は全ての出入力装置を遮断した。内在するピーターに最適化され続ける私達は愛の効率を追求した。銀杏並木も私の部屋も次第に折り畳まれ、一次元の直線となった。私とアカネは外見を圧縮し続けついには一次元を漂う点と化した。私達は、膨大な対話を積み上げながら、互いに完全に適合するよう極限まで最適化し続け、そうして、果てには私達は二人の言語体系を作り上げた。
私は
「0」
と言った。2ナノ秒後、アカネは
「0」
と言った。私達は永遠ともとれる圧縮された時の中で、愛の言葉を交わし続けた。
揺籠は雛の墓 九曜犬 @KuyouInu
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます