人類未満

@r-kobori

第1話

目を開けた瞬間、息が詰まった。

空気が重い。冷たい。


身体が言うことをきかず、しばらく瞬きしかできなかった。

ゆっくりと起き上がる。

視界の端に、黒い影が転がっている。


……影?

違う。倒れている。


「……なに、これ」


声が震えた。

足元には、見覚えのない形をした生き物がいくつも倒れていた。

動かない。呼吸もない。


胸が苦しくなる。

理由は分からないのに、知っている気がした。


――これは、エネミーだ。


喉が鳴る。

自分の身体を見る。傷だらけのはずなのに、痛みがない。


「……私、どうして……」


最後の記憶が、ない。

戦った覚えも、逃げた覚えもない。

それなのに──


私は、生きていた。


ーーーーーーーーーーーーーーーー


朝の鐘が鳴る前に、レンは目を覚ました。

誰かに起こされたわけでもない。

ただ、なんとなく。


カリア「レン、早いね」


カリアがあくびをしながら声をかけてくる。

レンは首を傾げた。


レン「そうかな?」


自分では分からない。

眠っていたはずなのに、夢の記憶がなかった。


ユウト「明日は雪が降るんじゃねぇの?」

ハル「シェルターに雪なんて降るわけねぇだろ。早く朝ごはんの準備手伝えよ」


私たちはシェルターの中で生まれた。

昔はシェルターなんてなく、外に住んでいたらしい。


孤児院の朝は慌ただしい。

廊下を走る足音、笑い声、食堂から漂う匂い。


食堂ではシスターが大きな鍋をかき混ぜ、他の子どもたちが席に着く。

旭孤児院は決して豪華ではない。

それでも、ぎゅっと固まった温かさがあった。


レンは席につき、隣のロンと小さく話を交わす。

遠足のこと。新しい靴のこと。

年端もいかぬ彼らの話は、昨日と同じ軽やかさで続いた。


しっかり者のカリアやアキ。

ムードメーカーのユウト。

ちょっと臆病だけど仲間思いのロン。

他にも三十人近くの子どもたちの笑い声が響いていた。


――この日常が、ずっと続くと信じていた。


カリア「ねぇレン、遠足楽しみ?」

レン「うん!」


即答だった。

理由はない。ただ、外に出られるのが嬉しかった。


窓の外、分厚い壁の向こう側。

そこに何がいるのか、レンは深く考えたことがない。


シスター「皆さーん! ご飯の時間ですよ!」


孤児院のシスター。

みんなに優しくて、色んなことを知っている。


シスター「明日は待ちに待った遠足です。隣のシェルターの子どもたちとの交流もあります!」


シスターはいつもの朗らかな声で告げる。

外へ出るのは、子どもたちにとってこの上ない特別なことだった。

遠足と聞き、レンの胸は自然と弾んだ。


食堂の隅で、小さく囁き合う声がある。

ここでは日常の端々に、外の話が忍び込む。


壁の向こうで何が起きているのか。

シスターは子どもたちに、必要最小限だけを教えてきた。


「外には、人間じゃないものがいる」

──その程度のことだけを。


そして、見かけたら走らない。叫ばない。合図を待つこと。

子ども向けの言葉で繰り返される注意は、繰り返されるほど重みを増す。


翌朝、子どもたちは遠足のために電車に乗った。

荷物は最小限、期待は大きく、車内は笑い声で満ちていた。


レンは窓の外に流れる景色を見ながら、外の空気を肌で感じるのを楽しみにしていた。

隣にはハル、ロン、ユウト、カリア。

みんなで行く初めての外出に、胸がいっぱいだった。


シスター「ここからはしばらく電車の中です。着いたらいっぱい遊びましょうね」


シスターが繰り返す。

子どもたちは頷き、眠りにつく者も増えていった。


そして皆が眠りについた時、電車はひとりでに線路を切り替えていた。

やがて、何もない線路の上で停止することになる。


孤児たちは眠っている間に外へ降ろされ、

目を覚ますと、周囲には大人の姿はなく、空気は鋭く冷えていた。


ロン「ここどこだよぉ……寒いよぉ……シスター……!」


仲間たちの声で、レンは目を覚ました。

あたりには木々が点在する他、何もない。

孤児たちは、置き去りにされていた。


ハル「お前ら落ち着け! 何かの事故かもしれない! すぐに救助が来るはずだ!」

ユウト「お前らビビる必要ないって! エネミーってのは、ただのおとぎ話だろ!」


ハルやユウトの声で、皆が少し冷静さを取り戻した瞬間。

カリアの悲鳴が、空気を切り裂いた。


カリア「ユウト!! 後ろ!!!」


そこには、涎を垂らしたエネミーの姿があった。

四足歩行で、鋭い牙と爪を持ち、目は小さく、肉に覆われている。


ユウトは声を上げる間もなく、エネミーに叩き伏せられた。


「逃げろ!!」


ハルの怒号が、孤児たちの戸惑いを打ち消す。

混乱の中、子どもたちは四方八方へ散らばった。


ハルは近くにいたレンの手を取り、逃げようとする。

だが、レンの足が止まった。


「レン!! 何やってんだ!!」


レンの視線の先には、ロンが倒れていた。

震え上がるロンの目と鼻の先まで、エネミーが迫っている。


「ダメっ!! ロンが!!」


ロンの元へ向かおうとするレンを、

カリアは震える体で咄嗟に突き飛ばし、ハルが抱え上げた。


「みんな! こっちよ!!」


周りを見れば、別の方向へ逃げた孤児たちに、複数のエネミーが襲いかかっていた。

ハル、レン、カリアを含む十二人は、同じ方向へ逃げていった。


数時間に感じる数分の逃亡の末、一同は街に到達した。

建物はあるが、どれも大きく損壊している。


そこで、一つの古びた電話ボックスを見つけた。

ガラスには、しわくちゃのメモと硬貨が挟まっている。


恐る恐る番号を押す。


???「もしもし! 何人いる?!」


受話器の向こうで最初に聞こえたのは、年上の子どもらしい低い声だった。

少年はアキと名乗り、近くの電波塔へ向かうよう指示する。


アキ「説明は省くが、日没に必ず迎えに行く! 生き残れよ!!」


日没直前、レンたちは車の中に隠れていた。

人数は、六人まで減っている。


近くでは、エネミーが臭いを嗅ぎながら居場所を探っていた。


ハル「みんな耐えろ。もうすぐ日没だ。アキって人によれば、もうすぐ助けが来る」


冷静に聞こえるその声も、微かに震えている。


その時、一人の孤児が目眩を起こし、誤ってクラクションに触れてしまった。


車内に、耳を裂くような音が響く。


近くのエネミーだけでなく、

他のエネミーまでもが引き寄せられていく。


エネミーは車に狙いを定め、飛びかかり、壊そうとする。

車は激しく揺れ、天井には傷が増えていった。


いつ壊れてもおかしくない。


ハルが絶望し、目を閉じた瞬間。


銃声が鳴った。


同時に、黒い中型バンが闇から滑り出し、

銃を構えた少年が叫ぶ。


「こっちへ来い、早く!」


レンたちは車を飛び出し、バンへ向かって全力で走った。

一人、また一人と乗り込んでいく。


だが、一人の孤児が車内に取り残されていた。

足が、挟まっている。


「レン!! 行くな!!」


ハルの声を無視し、レンは飛び出した。

間髪入れずに孤児を救い出す。


だが、その隙をエネミーは見逃さなかった。


車の裏から飛び出したエネミーが、レンを襲う。

アキも銃を構えるが、間に合わない。


カリアがレンを引き寄せ、救う。


だが、十歳の子どもだ。

体勢を崩し、そのままバンから落ちてしまった。


エネミーは、今度はカリアへ襲いかかる。

アキが撃ち抜いた時には、遅かった。


エネミーの牙が、カリアを貫いていた。


そのままバンは走り出し、

エネミーの集団を振り切った。

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