短編 【戦斧のシスターと三匹の獣人】「泣かない・笑わない・叫ばない」3ないの彼女がちょっとだけいい顔をした理由
朱実孫六
第1話 戦斧の少女
目深にフードをかぶったモモカの顔には、傷がある。
鼻筋を斜めに横切る、癒えた古傷だ。
そして背中には、巨大な戦斧──。
細身の体格には、似つかわしくない戦闘用の斧だ。
北に向かう旅人たちは、遠くから近づいてくるマントと斧にまず目を奪われ、すれ違いざま、そフードの中の傷とその美貌の落差に息を呑む。
昼前のこと──。
モモカは、街道を南に向けて歩いていた。
ふと、道の先の川べりに人だかりができているのが見えた。
粉を挽く水車小屋を遠巻きにして、群衆が集まっていた。
モモカはマントのフードを目深にかぶり、はなれた街道で足をとめた。
囁き合う亜人たちの前列には、農具を武器のように構える村人たちの姿がある。
その群衆の最前列、旅装束の人間の若い妻が、ひどく取り乱した様子でその
二人は杖を握りしめ、働き口を求めて旅をしているようだが、はたして彼らが見つめる水車小屋のなかには何があるのか。
遠巻きに人々が見守っているとことからすれば、中に賊でも立て篭もったのだろうか。
モモカは太陽の位置を見た。秋の空にそれは高く輝いている。
モモカは、ふと右手に気配を感じた。
少し離れた木の枝の上に、一頭の
黄色い布服に
彼は樹上で手にしている何かを口に運び、咀嚼しながら水車小屋を飽きもせず眺めている。
モモカは、無言でその木の根元に足を向けた。
左手に見える水車小屋は、のどかに水を汲んで車輪を回している。雨風に風化した板壁に、草葺きの屋根。上方には明かりとりなのか小さな窓がひとつ。
モモカは、枝ぶりの良い樹の下で足を止めた。
たしかにここからなら、水車小屋をよく見通せる。このサル、できる者かもしれないとモモカは思った。
その樹下からモモカもまた、遠い水車小屋へ足先をむけた。
事態は動いていない。街から騎馬で憲兵は駆けつけて来ず、農具を構えた村人たちは威勢よく腕をまくり、手拭いを喧嘩かぶりに頭に巻いてはいるが、誰も水車小屋までにある見えない一線を越えようとはしない。
静けさの中で、上から声がした。
モモカは、黄色いチュニックシャツの猿人を見上げた。
「盗賊が二名、逃げ込んでいる」
そう言うと、彼は残りのジェリーサンドを口に押し込んだ。
モモカは、フードのなかでつぶやく。
「人質は」
樹上も猿人は指先を舐めながら言った。
「ヒューマンの若夫婦が見えるだろ。その赤子をさらって立て篭もった」
遠く聞こえる水車のきしみち、水を汲む音が心地よい。
モモカは無言だった。
枝にまたがったまま、猿人の口ぶりも、あっさりとしている。
「二時間ほど前だ」
モモカは、小屋に視線をおいたまま考えた。
静かな昼下がりが、急速に意味を変えていく。
赤子が人質なら、その二時間は大きい。
「村からひとり、街のギルドに馬で向かっている」
とはいえ、ここから最寄りの街まで二十キロ以上。運良く冒険者が見つかっても、駆けつけるのは夕暮れ前か。
そう言いながら彼は木の幹に背中を預けた。
「──おれはサルカン。あんたは戦士かい。嬢ちゃん」
彼女は目を動かさず、短く答える。
「モモカ」
フードからのぞく前髪は艶やかな黒。
鼻柱を横切る傷が光っている。
マントの背に戦斧。中は革鎧。
漆黒の瞳が、左手の街道にできた人だかりに移る。
人間の夫婦は、不安に押し潰されそうな表情で小屋を見守っている。
貧しい身なりの彼らが携える旅装と杖──。あれでは街のギルドに出せる報酬も多くないだろう。
水車小屋に動きはない。
モモカは風に吹かれながら言った。
「──で、サルカン。貴様はどちらの味方だ。賊の一味か、傍観者か」
木にもたれ、猿人は肩をすくめた。
「ことと次第によっちゃあ斬るってか」
モモカは動かなかった。
サルカンは続けた。
「おれは今、手だれの冒険者を探してる。ある村の依頼でな。それでこの騒動だ。うまくおさめられる御仁があらわれたら、あとで声をかけようとおもってな。つまりは物見ってとこさ」
それが本心かどうかは、読み取りづらい。だがモモカは、小屋から目を離さないまま言った。
「ならばもっと近くで見物させてやってもいいぞ」
「遠慮しておくよ。おれは
そう言いながら指先で、彼は脳の入っている頭をつついた。
モモカはフードの先をおろし直した。
「ならばサルカン、わたしに協力なさい」
「あ?」
「水車小屋から賊を追いだす」
歩き出した彼女に、サルカンは枝をとびおりた。
「正気か、相手はふたり、しかも剣士の男だぞ。女の手に負える相手じゃない」
モモカは足を止め、フードのまま振り返った。口もだけが笑んでいる。
「奇遇だが、わたしは知恵者をさがしていた。
かたちの良い鼻先の上で傷が陽光を反射した。
「みせてもらおうというのだ。貴様のその自慢の頭脳とやらをな」
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