篠原さんは謙遜しない

篠原さんは謙遜しない

私は謙遜しない。

正確に言うと、かつては謙遜していた。でももう、めんどくさくなったのだ。


小さい頃から、周りの人たちは皆、私を見て、可愛い、綺麗、と言った。

幼心に、自分の容姿が恵まれたものなんだろうとは思っていた。でも、それが得だと思ったことはない。

むしろ、めんどくさかった。


例えば学芸会。友達や先生が、私をお姫様役に推す。

すると、お姫様役をやりたがっていた子から、じとっとした視線を感じる。

私はお姫様役を断り、その子に役を譲る。

するとその子は一瞬喜ぶが、結局、本番直前になって、こういって泣くのだ。

「澪ちゃんの方が可愛いのに、私がお姫様なんて…やっぱりやりたくない」

なぜか、私のせいで空気が悪くなったみたいになるのだ。

解せない。


「澪ちゃんは、可愛いから良いよね」

「澪ちゃんみたいに美人になりたかった」

そんな風に言われて、そんなことないよ、と言うと、じろっと睨まれ、ぷいと顔を背けられる。

「わかってるくせに」

そう言われ、ため息をつかれる。

…めんどくさい。


それで、私は学んだ。

謙遜しても、嫌味と言われ、勝手に傷つかれる。

謙遜しなくても、やな感じと言われる。

それなら、謙遜しない方が、疲れない。

美人と言われたら「ありがとう」と言う。

お姫様役をやってと言われたら、やる。

自分の役割を、淡々とこなす。

それが一番、めんどくさくない。

だから私は、文化祭でミスコンに出て、と言われたら、いいよ、と答えた。



1学期の終業式後。周りの皆が夏休みだと浮かれる中、私は教室で、実行委員から渡されたミスコンの要旨をぼうっと読んでいた。

窓の外からは、蝉の声と、外周する運動部の声が聞こえた。

…野球部か。頑張ってるな。

しばらく眺めていたら、窓の下から別の声が聞こえた。

「篠原さーん!今日も綺麗だね!」

「ミスコン、頑張ってねー!」

3年生の、チャラチャラした先輩たちだ。

ミスコンに出るとなったら、こういう絡みが増えた。

私はため息をついた後、作り笑顔で会釈をした。

文化祭は9月。あと2ヶ月ぐらいの辛抱だ。


私は立ち上がり、帰り支度をした。

その時、教室の端で、盛り上がっている声が聞こえた。

「ほら!みおにも似合うー!」

「みお、可愛いー」

「何言ってんの、私なんかが付けても、ただの痛い人だってばー」

みお、と呼ばれているのは、もちろん私ではない。

石川美織ちゃん。あだ名が、「みお」。

私の名前も澪なので、みお、と言う声が聞こえると、一瞬、耳が反応してしまう。


教室を出ようと席を離れると、美織ちゃんがパタパタと駆け寄ってきた。

「し、篠原さん!あいたっ!」

机に腰をぶつけたらしい。

教室の端から、何やってんの、みおー!と笑い声が聞こえた。

「…何?もう、帰るところだけど」

「あ、そうだよね、ごめんね!これ、ミスコンの時に付けてもらう髪飾り、試作品、見てもらおうと思って」

美織ちゃんは、私にその髪飾りを見せた。

白のレースに、水色と金のビーズが縫い付けられている。

さっき、教室の端で、可愛いと言われていたものだ。

「…いいよ、なんでも」

私は短く答えた。

「そう?イメージ違うとかない?」

「ない」

美織ちゃんはその髪飾りを私の頭の近くに掲げて、にっこり笑った。

「やっぱり綺麗。篠原さんは美人だから、なんでも似合うね!」

笑うと、八重歯が少し見える。

…可愛い笑顔。

「ありがとう」

私はそれだけ言って、足早に教室を出た。

私は、あの子と話すと、心がザワザワするのだ。

…正直、嫌いになる準備は、もう、できていた。


***


時は少し遡り、6月の放課後。

文化祭実行委員から、今年はミスコンを企画しているので、各クラス1人出場するようにと言われ、ホームルームで話し合いをしていた。

みんなが、私をチラチラ見ていた。

「…やっぱり、篠原さんじゃない?」

「でも、篠原さんってこういうの出てくれるのかな?」

私は、聞こえないふりをしていた。


その時、明るい声が響いた。

「みおが出たらいいんじゃない?」

教室の空気が一変した。

「たしかに、みお、可愛いし」

「友達も多いしね、票集まりそう」

みんなの視線が集まった先で、顔を赤くする、美織ちゃん。

「そんな!私なんかが出たら、恥さらしだよ!私なんかより、絶対…」

美織ちゃんが、私を見た。

目が合った。

「…篠原さんが、いいと思う」

美織ちゃんは、少し声を震わせて、言った。

教室がザワザワしていた。


みおもいけるってー、という声。

やっぱり篠原さんかな、という声。

美織ちゃんは、縋るような目で私を見ている。

「篠原さん、どう…?」

…また、このパターンだ。

引き受けても、断っても、めんどくさいやつだ。

私は、ふぅ、と息をつき、言った。

「いいよ、私、出る」


クラス全員が、安堵する雰囲気を感じた。

美織ちゃんが、ぱぁっと笑顔になった。

少し困ったように眉を下げて。

「篠原さん、ありがとう!私、家庭科部だから、衣装作るよ!」

さすが、みおー!という声が響いた。

その”みお”は、もちろん私ではない。

…自分を下げて、矢面には立たないで、美味しいポジションだけ手に入れて。

――いいな。

ふと、そう思った。



「篠原さんって、こういうの、出ないと思ってた」

7月上旬、文化祭ミスコンの初回打ち合わせ。

私に声をかけてきたのは、うちのクラスの実行委員の五十嵐。

「…こっちのセリフだよ。なんで、実行委員やってるの?」

五十嵐は、寡黙で、いつも淡々としている。野球部で朝早くから練習しているからか、授業中もだいたい寝ている。

文化祭実行委員は、明らかにキャラに合っていない。

「…俺は、ジャンケンに負けたから、仕方なく」

私は、ふっと笑った。

「私も、似たようなもんだよ」

「でも、自分で、出るって言ったじゃん」

「…出ても出なくても、めんどくさいから」

「へぇ」

五十嵐はそれだけ言って、資料に目を戻した。


五十嵐は、恐らく、他人に興味がないんだろう。

だから、私に対しても、誰に対しても、変に態度を変えない。

媚びたり、詮索したり、しない。

それが私には、とても気楽だった。


他のクラスの候補者も集まり、ミスコンの初回打ち合わせが淡々と進んだ。

実行委員によるイベント要旨説明の終盤に差し掛かった頃、候補者の誰かがポツンと言った。

「…こんなの、篠原さんの一人勝ちじゃん」

誰が言ったのかは、分からなかった。

教室の温度が、下がった気がした。


その時、ドアがガラッと開いて、明るい声がした。

「ごめんなさーい!遅れちゃって!2年5組の衣装係の、石川です!」

美織ちゃんだ。

みんなが一斉に彼女を見た。

美織ちゃんが汗を拭きながら、慌てて席に着くと、前に立っていた五十嵐がポツンと言った。

「今日は、衣装係は、参加不要だよ」

みんなが、ドッと笑った。

美織ちゃんは、顔を赤くして、まじ?恥ずかしいー!と言いながら、両手でパタパタと顔を煽いでいた。

場の空気が、一気に和んだ。


「みおも出たらいいじゃん。可愛いんだし」

候補者の誰かが言った。美織ちゃんの友達なのだろう。

美織ちゃんは、真面目な顔をして言った。

「何言ってんの。私は裏方。皆様の美しさを、最大限、引き立たせていただきます」

真面目かっ!というツッコミが入った。

みんなも、美織ちゃんも、笑っていた。

――すごいな。


そのとき、美織ちゃんと、目が合った。

美織ちゃんは、八重歯を見せて、照れながらえへへと笑った。

私はつい、ぷいと顔を背けてしまった。

…居心地悪い。早く帰りたい。

美織ちゃんは悪くない。けど、胸の奥がざらっとする。

それから私は、美織ちゃんと関わるのは、必要最低限にしよう、と、心に決めた。――そのはずだった。


***


8月。夏休みのある日。私と美織ちゃんは、家庭科室にいた。

ミスコンの衣装が大方できたので、衣装合わせのためだ。

美織ちゃんと2人、というのは気が重くて嫌だなと思っていたが、その日は他の家庭科部の部員もいたので、少し安心した。


「へへ、すごく綺麗なのできたんだ。サイズは大丈夫だと思うんだけど…ちょっと着てみて」

美織ちゃんはそう言って、ドレスを私に手渡した。

濃いロイヤルブルーのロングドレス。星空のようにキラキラした刺繍の入ったオーガンジーが重なっている。

「…素敵」

私は思わず、声を出した。

美織ちゃんの顔が、ぱぁっと明るくなった。

「でしょ?最初は淡い色にしようかと思ってたんだけど、篠原さんのイメージはやっぱりロイヤルブルーかなって。髪飾りも変えたんだ。リボンよりティアラかなって」

美織ちゃんは笑って、ティアラを私に手渡した。

「…なんで、私の好み、分かったの?」

「そりゃあ、衣装係ですから!」

美織ちゃんが、えっへんと胸を張った。


そのドレスは、私にぴったりフィットした。

美織ちゃんは、ドレス姿の私を見るなり、キラキラした瞳でこう言った。

「わぁ、やっぱり、綺麗…!篠原さんじゃなきゃ、着こなせないよ」

私は、むず痒い気分になった。

「篠原さん、華奢だし、ドレスが映えるね」

…自分だって、同じくらい細いくせに。


「あ!こうちゃんにも見てもらおう、こうちゃーん!」

美織ちゃんはそう言って、ちょうど家庭科室の窓から見える場所で休憩中だった野球部に向かって、声を上げた。

「誰?」

「五十嵐くんだよ!五十嵐浩一」

…こうちゃん、って呼んでるんだ。


五十嵐が、なんだよ、と言いながら近寄ってきた。

私は美織ちゃんに手を引かれ、ベランダへと進んだ。

「どう?綺麗でしょ?篠原さんのイメージにぴったりじゃない?」

美織ちゃんが誇らしげに言う。

五十嵐は私をまじまじと見て、言った。

「…確かに。どこの国の王女かと思ったわ」

私は、胸がますますむず痒くなった。

「すげーな、みお」

五十嵐の口から発せられた、みお、という音に、私の思考が一瞬、固まった。

…この”みお”は、私ではない。

私の胸に、ひゅっと冷たい風が流れ込むのを感じた。


「…五十嵐と、仲良いんだね」

去っていく五十嵐の後ろ姿を見ながら、私はぽつりと言った。

「うん、小学校から一緒なんだ」

「友達多くて、凄いね」

「そんな事ないよ!普通だよ」

美織ちゃんが言った。

…また、”そんなことない”、か。



衣装を脱ごうと家庭科準備室のドアを開けたら、中に人がいた。

隣のクラスの候補者と、衣装係の子。

候補者の子は、ドレスを着た私を眺めて、微かに顔を歪めた。

「…凄いね。めっちゃ綺麗。もう、篠原さんの圧勝じゃん?」

私は作り笑顔をした。

「ありがとう、お互い頑張りましょう」

それだけ言って、着替えを取り出そうとしたら、ポソっと声が聞こえた。

「嫌味かよ」

…謙遜したって、そう言うくせに。


その時、入口から美織ちゃんがひょこっと顔を出した。

「ドレス綺麗でしょー?私のデザインだよ!…って、痛っ!まち針、刺しっぱなしだったー!」

美織ちゃんは、手首につけたピンクッションから、まち針を抜いて笑った。

「みお、何やってんの」

その子が笑った。

空気が、少し、緩んだ。


「夏希ちゃんの衣装はどんな感じ?」

美織ちゃんが屈託なく問いかけた。

衣装係の子が取り出したのは、淡い緑色の、マーメイドラインのドレス。

「綺麗ー!夏希ちゃん、背が高いから、絶対似合うね!」

美織ちゃんが手を合わせて言った。

夏希ちゃんと呼ばれた子は、ふっと笑った。

「私は、篠原さんみたいな美人でも、みおみたいに可愛くも、ないからさ。2人に勝てるのは身長くらいだよ」

美織ちゃんが驚いた顔をした。

「何言ってんの!夏希ちゃんだってクールビューティーじゃん!私を2人と同じステージに上げないで!ライトアップ役ですから」

美織ちゃんは、照明を当てるポーズをした。

私以外、3人とも、笑っていた。


夏希ちゃん達が出て行った。

私は、ドレスを脱ごうとしたが、脇のジッパーが布に引っかかってしまっていた。

「美織ちゃん、これ――」

声を掛けようと振り向いた、その時。

美織ちゃんの表情が、いつもと少しだけ違って見えた。

瞳に影が落ち、なにか諦めたような眼差し。

それは、学校から帰った後、鏡の中に見える、私の表情と、どこか似ている気がした。

美織ちゃんは、私の視線に気づくと、パッと表情を戻した。

「あぁ、ごめん!ジッパー、開けづらいよね!手伝うね」

そう言って、慌てて、私のドレスに触れた。


私は、美織ちゃんの手首についている、ピンクッションを眺めた。

――これ、まち針がクッションに刺さってて、も、肌には刺さらないようになってるよね…?

つい、まじまじと見ていたら、美織ちゃんが顔を上げ、目が合った。

美織ちゃんは、いつもの笑顔で私に笑いかけた。

「ジッパー、開いたよ。もうちょっと開けやすいように、調整しとくね」

少し八重歯が見える、可愛い笑顔。


私は、さっき見た美織ちゃんの表情を、忘れる事にした。

でもやっぱり、私はこの子が、ちょっと苦手だ。

私は足早に着替えを済ませ、じゃあまたね、と言って、振り返らずに家庭科室を後にした。


***


9月。文化祭2週間前。

たまたま、掃除当番で、五十嵐と一緒になった。

「準備、順調?」

たいして興味もないだろうに、五十嵐が私に話しかけた。

「…まぁ。早く終わってほしい」

五十嵐が、ふっと笑った。

「わかる」

その力の抜けた言葉に、私の気持ちもふっと緩んだ。


「…美織ちゃんと、仲良いんだね」

「あぁ。まあ、小学校から一緒だし」

「良い子だよね」

「…まあ、空気読むタイプだよな」

…違う。あの子は多分、空気を読むというより、空気を作るタイプだと思う。

誰も傷付けず、そして自分は”良い人”であるように。

そう思ったが、声には出さなかった。

「…凄いよね。いつも遠慮して謙遜して。私にはできない」

「確かに、篠原さんは、謙遜しないな」

五十嵐がさらりと言うので、私はふっと笑ってしまった。

「めんどくさいからね。自分が疲れたくないだけ」

五十嵐は、少し頭をひねった。

「…めんどくさい、というか、変に謙遜して、相手を傷つけたくないんじゃない?」


私は、ハッとした。

そうとも、見えるのか…?

相手を傷つけたくない…?

「…いや、そんな優しいもんじゃないよ」

「へぇ。まあ俺は、別に、篠原さんに対して、嫌な感じと思ったことはないけど」

五十嵐はそう言って、私の持っていた塵取りを手に取り、自分の箒と一緒に掃除用具入れに返しに行った。


私がぼうっと立っていると、

向こうから、こうちゃーん、と呼ぶ声が聞こえた。

美織ちゃんが、大きなゴミ袋を3つ抱えて、ちょっと手伝って、と呼んでいた。

「持ちすぎだろ」

五十嵐はそう呟き、美織ちゃんの方へ歩いて行った。

五十嵐が美織ちゃんを見るその眼差しは、とても優しく見えた。

…五十嵐は、美織ちゃんみたいな子の方が、好きだろうな。

そう考えると、胸の奥がチクっと痛んだ。


***


9月下旬、文化祭当日。ミスコンのステージを午後に控え、朝からリハーサルが行われた。

候補者、衣装係、舞台装置係、そして実行委員が一同に会した。

「このミスコンは、今年の目玉イベントです!頑張りましょう」

実行委員長が力を込めて言った。

その横で、五十嵐があくびをしていたので、ふっと笑ってしまった。


候補者は衣装を着て、ファッションショーのようにランウェイを歩く。

その後、スピーチをして、観客のスマホ投票が行われ、事前票と合わせての結果が発表される――そんな流れだった。

私は美織ちゃんが仕立ててくれたロイヤルブルーのドレスを着て、ランウェイを歩いた。

衣装合わせの時よりも、さらにぴったりと、私の身体にフィットしていた。

見ている委員の人達は、おぉ…とどよめき、拍手をした。


くるりと向きを変えた、その時。

ふくらはぎのあたりに、違和感を覚えた。

…あれ、後ろにスリット、入ってたっけ?

委員の人達が、ざわっとした。

候補者の誰かが、くすっと笑った気がした。

私は後ろの裾を見た。

…なんか、ハサミで切り込みを入れたみたいな――


その時、美織ちゃんが慌ててランウェイに駆け上がってきた。

「篠原さん!…ごめん、これ、私の縫製ミスだ!ほんとごめん!すぐ直すね!みなさん、ごめんなさい!!」

そう言って、私を舞台袖に追いやり、ササっとドレスを脱がせて、防寒用のマントを私に羽織らせ、たたっと駆けていった。

私が、下着の上にマントという間抜けな格好で立ち尽くしていたら、五十嵐がいつの間にか後ろに立っていて、ぼそっと言った。

「縫い方の問題、じゃない気がしたけどな」


私は、舞台袖から、ステージに立っている候補者を1人ずつ順番に見た。その目線が、夏希ちゃんに合った瞬間――

夏希ちゃんは、パッと目を逸らした。

…恥をかかせたかったのが、私なのか、美織ちゃんなのか。さすがに、陰湿じゃない?

怒りがふつふつと沸いて、何か言ってやろうかと一歩進んだその時。

五十嵐が私の先に進み、夏希ちゃんに声をかけた。

「…後ろにテープ付いてますよ」

夏希ちゃんのドレスの後ろに、テープが付いていた。

さっきまでは、付いてなかったと思う。

夏希ちゃんは顔を赤くして、五十嵐を睨んだ。

五十嵐は平然として、舞台上の装置を整えていた。

…五十嵐、やるじゃん。

私の中で沸いていた苛立ちが、すぅっと静まっていくのを感じた。


***


本番30分前。

候補者は、それぞれの控室で準備をしていた。

…衣装、間に合うのかな?まぁ、間に合わなければ、棄権すればいっか。

そう思いながら、メイクを整えていた、その時。

「篠原さん」

控室のドアがノックされて、美織ちゃんが入ってきた。

「衣装、直ったよ!間に合ってよかった」

いつものような、少し困った笑顔で、控室のテーブルに、ドレスをそっと置いた。

「そのまま縫うと、ちょっと不自然だったからさ。縫い目が目立たないように、銀色で刺繍入れたんだ。三日月みたいでしょ」

「…綺麗だね。ありがとう」

「私のミスで、ごめんねー」

「…美織ちゃんのミスじゃないでしょ?」

美織ちゃんの動作が一瞬止まった。


「…まあ、そういう事にしといてよ。あの場で犯人探しして、空気悪くなるの、嫌だし」

「自分が悪者になるのは、いいの?」

「…丸くおさまるなら、いいよ」

…違う、と思った。

自分が悪者になろうとしているようには、見えなかった。

縫製ミスではないって、たぶん、何人か、気づいてた――五十嵐でさえ。

そんな中で、あの場をサッと回収した――美織ちゃんは、誰も傷付けずに、空気をさらっていった。

――やっぱり、すごいな。この子。


私は美織ちゃんの姿をぼうっと眺めた。

…腕章つけてるんだ。一応、スタッフだからな。でも、何か変な気がする。

「その腕章、もしかして、上下逆じゃない?」

「げっ、ほんとだー!恥ずかしい!!」

美織ちゃんは慌てて腕章を外そうとした。

…この子の、こういうとこ。本当に、天然なのか?

「そういうの、狙ってやってるの?」

私は、美織ちゃんにさらりと聞いてみた。

美織ちゃんの動きが一瞬止まった。

「…そんなわけないじゃん。これはほんとに、間違い」

「”これは”ってことは、狙ってやってるときも、あるんでしょ?」

私は更に、踏み込んだ。

「……」

美織ちゃんは否定も肯定もしなかった。

私はそれを、肯定ととらえた。


「…篠原さんは、どんな時でも堂々としててすごいよね」

美織ちゃんが、話を逸らした。

「それ、褒めてる?」

「褒めてるよ。羨ましい」

私は一瞬、笑いそうになって、やめた。

「私、謙遜とか、しないだけ」

「私には真似できないよ。すごい」

「美織ちゃんは、できるのに、やらないんでしょ?」

美織ちゃんは、言葉に詰まり、俯いた。

「……できないよ」

「角が立つから?」

「…うん、そう」

美織ちゃんは、私をじっと見て、言った。

「篠原さんは、角が立っても、そのままなんだね」

「うん。だってめんどくさいから」


美織ちゃんは、コトンと腕章を机に置いた。

「…私もね、めんどくさいのが嫌なんだ」

「…うん」

「だから、褒められたら謙遜する。自分を下げたほうが、場が丸くなるし」

「知ってる」


美織ちゃんは、少し悲しそうに笑った。

「篠原さんは、私みたいな人、嫌いでしょ?」

私は、否定も肯定もしなかった。

それは多分、肯定と捉えられた。

美織ちゃんは、はぁ、と小さく息を吐いた。

「私が衣装係で、ごめんね」

「…そういうのが、めんどくさい」

私の棘のある言葉に、美織ちゃんは目を伏せた。

さすがに言いすぎたかなと、少しだけ心が痛んだ。


「……でも、私と篠原さん、めんどくさがりってところは、似てるのかもね」

美織ちゃんは、思いついたように言い、そしてすぐに、ハッとして口を押さえた。

「ごめん、私なんかと似てるなんて、嫌だよね」

「…だから、そういうとこだってば」

私は、呆れて、少し笑ってしまった。

美織ちゃんは、やっちゃった、と、はにかんで笑った。

「もう、癖になっちゃってるみたい」

…可愛いな。やっぱり、美織ちゃんは、可愛い。

私とは、絶対、分かり合えない。

私の方が、絶対、性格悪い。

…知ってる。



コンコン、とノック音がして、ドアの隙間から、五十嵐がちらっと見えた。

「ごめん、着替え中?あと10分で出番だってよ。…って、なにこの空気。喧嘩中?」

私たちは、顔を見合わせて吹き出してしまった。

美織ちゃんが、大丈夫だよーありがとう!と言って、慌てて五十嵐を追い出した。


五十嵐が去ると、美織ちゃんがぽつりと言った。

「めんどくさいの、嫌だよね」

「すごく嫌」

私は短く答えた。

美織ちゃんが、八重歯を見せて笑った。

「わかる」


美織ちゃんは、腕章を付け直し、先にステージ裏に行くね、と言ってドアに向かった。

「澪ちゃん、ステージ、楽しみにしてる」

その呼び方に、返事はしなかった。

私はドレスに着替え、ティアラを付けて、鏡に向き直った。

さっきまでよりも、表情から力が抜けていることに気がついた。

私は、ふぅ、と息を吐き、ドレスの裾を整えて、ドアの先へと進んだ。


***


ミスコンのステージは、滞りなく終了した。

スピーチは、みんな、似たような内容を喋っていた。

投票の結果、私は、一位だった。

グランプリの冠を被せてもらい、笑顔で、ありがとうございます、と観客に手を振った。

役目は、果たした。


控室に戻る途中、夏希ちゃんと鉢合わせになった。

夏希ちゃんは、気まずそうに目を逸らした。

私は何も言わず、会釈だけした。

夏希ちゃんが、何か言いたそうに口を開いていたけど、気にせず、素通りした。


美織ちゃんは、おめでとう!と目を潤ませて控室に飛び込んできた。

その拍子に、肘をドアにぶつけ、あいたっ!と叫んだ。

…こういうのは本当に、天然なんだろうな。

「私、衣装係やれて良かった…たぶん一生忘れない…」

そう涙する美織ちゃんに、私は、大袈裟だよ、と笑った。


文化祭終了後、クラスで打ち上げがあった。

「それでは、文化祭の成功、そして我らが篠原さんのミスコン優勝を祝して――」

委員長が、乾杯の音頭を取っていた。

クラスメイトが口々に、おめでとう、綺麗だった、モデルみたいだった、と話しかけてくれた。

私は、ありがとう、とだけ返した。


美織ちゃんは、友達に囲まれていた。

「衣装係おつー!」

「あれ、1人で作ったの?凄くない!?」

「みお、プロになれるよ!」

そんな風に、口々に褒められて、そんな事ないよー、と謙遜していた。

――いつもの美織ちゃんだな。

私は、前ほど、居心地悪いとは感じなかった。

美織ちゃんは、あれだけ頑張って、周りに気を遣って生きているのだから、当然だな。

そう思えた。


賑やかな雰囲気に疲れ、お手洗いに立つと、美織ちゃんと鉢合わせになった。

私たちは、お疲れ、と言葉を交わし、廊下で少し、立ち話をした。

「私、澪ちゃんみたいになりたかったな」

美織ちゃんが言った。

本音かどうかは、分からない。

「…それはこっちの台詞だよ」

私は答えた。

「今日、疲れたね」

美織ちゃんが息を吐いて笑った。

「うん、すごく疲れた」


気がつくと、背後に五十嵐がいたので、私たちはぎょっとした。

「なんつーか、2人とも、もっと楽に生きりゃいいのに」

それだけ言って、お手洗いへ向かって行った。

私たちはまた、顔を見合わせて、ふっと笑った。

――確かに、めんどくさいのは、私のほうだったのかもしれないな。


「澪ちゃん、二次会行かないの?」

「うん、帰る」

「そっか。気をつけて。…これからも、澪ちゃんって呼んでいい?」

「いいよ」

美織ちゃんが、八重歯を見せて笑った。

いつもの、可愛い笑顔。



私は多分、これからも、謙遜しない。

美織ちゃんのことは、ちょっと苦手なままだ。

それでも、これからは、少しだけ、肩の力を抜いて生きていけそうな気がした。


暗くなった空に、細い三日月が浮かんでいた。

私は深呼吸し、ゆっくりと帰路についた。

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