第24話

「あの、お鍋はここに」

「ほう、これはなかなか……」


 腰が抜けて立てない女は、俺に支えられながら棚の扉を開いた。

 その中にはフライパンが一つ、手鍋が二つ、そして大き目の寸胴型の土鍋が一つ。合計で四つも鍋がある。

 俺が目を付けたのは、当然手鍋だった。


「ふーむ、銅製か。しかも取っ手に木が付いていて、持っても手が熱くないやつじゃないか……! これは相当な上物だ……」


 エタファンは文明レベルが街や村ごとにちぐはぐで、田舎の村ではひょっとすると原始的な土鍋しか手に入らないんじゃないかと危惧していたが、少なくとも冶金技術はなかなか優れているようだ。ここまで上等な手鍋が手に入るとは思っていなかった。


「じょ、上物?」

「よし、この鍋は俺が貰っていく。いいな?」

「えっ、そんな……」


 ここへきて抵抗するつもりか。四つもあるんだから一つぐらい良いだろうが。

 支えている手でぐっと抱き寄せてもう一度尋ねる。


「これは俺の鍋だ。わかったか?」

「ひっ! わ、わかりました……っ」


 よし、これで鍋が手に入った。

 だがさすがに少し可哀想になってきたし、代わりの物を置いていくことにしよう。

 俺を囲んで滅多刺しにしたのは全員男だったので、この女は参加していないということになる。つまり恨みは一切無いんだ。


「これが鍋代だ。ありがたく取っておけ」

「え? 何が……ジャガイモ? え? どこから出して……?」


 俺はただインベントリからジャガイモを出しただけだが、女は不思議そうにジャガイモを見つめている。

 これはもしかして、現地人はインベントリを知らない、もしくは使えない……?


「余計なことを気にするならやらんぞ」

「あっ、いります。ジャガイモ欲しいです」


 なんだ? 他にやる物が無いからジャガイモを出したが、その気になればいくらでも手に入るだろうに……。いや、インベントリを使えないということは、ジャガイモ男爵を倒しても種が手に入らないのか。

 モンスターを倒して楽に収穫できるゲーム農業じゃなく、ちゃんとした本物の農業をせざるを得ないというわけだ。

 ここはせっかくの機会だし色々聞いてみたいことはあるのだが、さすがに今やることではないか。父親が帰ってくる前にとっとと退散して……じゃない。


「おっと、そういえば鍋だけじゃなく、まだもう一つ欲しい物があるんだった」

「えっ? そ、そんなっ……!」

「塩をよこせ」

「やっぱり私を………………塩?」

「塩だ」


 女はきょとんとした顔を浮かべながら、鍋と同じ棚の下の扉を開いた。


「えっと、お塩はこの壺に」


 女が示した小さい壺の蓋を取ると、中には白い粉末状のブツがぎっしり詰まっていやがった。


「ほほう……。この白さは、また随分な上物だな。しかもこれを一気にキメたら即お陀仏ってぐらいの量じゃないか」

「じょ、上物?」

「よし、この塩も俺が貰っていく。いいな?」

「えっ、そんな……」


 まだ抵抗するとは、どれだけ強情な女なんだ。

 またしても支えている手でぐっと抱き寄せてもう一度尋ねる。


「これは俺の塩だ。わかったか?」

「ひっ! で、でも、お塩はいいけど壺は困ります……!」

「む」


 勢いで全部頂こうとしたものの、俺としても壺ごと貰っても困る。こんな物を抱えて森や山を越えるのは流石に厳しい。

 エタファン3には料理というコマンドがありながら、塩や砂糖等の調味料は一切アイテムとして存在しない。塩は全て持って運ぶ必要がある。


「じゃあ何か他の入れ物はないか」

「あっ、壺はいいんですか? なら……これとか」


 そう言って女が差し出してきたのは、竹のような何かでできた筒状の容器だった。蓋はカポッとしっかり嵌るようで、これなら塩の持ち運びにも使えそうだ。

 恐らく三百から四百グラムしか入らない大きさではあるが、ひとまずはこれだけで十分。ギチギチに塩を詰めて蓋をして、麻袋の中に入れてミッションコンプリートだ。


 目的の物は全て手に入れたし、さあ帰ろうか。

 そう思った矢先、家の外から足音が聞こえてきた。距離も近い。塩に気を取られすぎて警戒が疎かになっていたか。


「――っ!」

「え? んー!? んんー!」


 女の口を手で塞ぎ、居住スペースの方に急いで運ぶ。そしてそのままベッドに寝かせて、さらに俺もベッドへ。

 あとは上から布団を被ってしまえば、一応暗い室内で俺の存在に気付かれることはないはずだ。


「んー! や、やっぱりするんですか……!? お鍋もお塩もあげたのに、ひどい……」

「そうじゃない、静かにしろ」

「静かにして欲しいなら、そんなところを触らないで下さい……!」

「おい、俺のことを知らせると……あれだ、酷い目に遭うぞ。塩とか壺ごといくからな」

「え? 何が……あっ」


 何か勘違いしていた女も、ここで足音に気付いたようだ。そしてすぐに家のドアが開き、父親と思しき男が入ってきた。


「ああ、疲れた~……おっと、エリサはもう寝てるのか」

「お、おかえりー……」

「あれ、起きてた。じゃあちょっと明かりを付けるよ」

「うん」


 明かりだと? これはまずいか?

 俺は布団の中で体積を少しでも小さく見せるために、女……エリサとやらに後ろからしがみついている状態だ。

 顔はエリサの背中に埋めている体勢で、どれぐらいの明るさなのかさっぱりわからない。しかしここから布団の外を確認するためには顔を大きく動かす必要がある。

 状況がわからないのは不安だが、今はじっとしているしかないだろう。


「はぁ~……。エリサ、近々村の男が総出で山に行くことになるかもしれない」

「や、山に?」

「ああ。ザギーザさんの息子さんが殺されてしまっただろう。あの件でザギーザさんが、連中を討伐するんだとずっと息巻いていてね。さすがに次の集会で押し切られそうな気がする」

「そっか……」


 布団の外の様子は全く見えないが、声ははっきり聞こえてくる。

 恐らくだが、死んだザギーザの息子とやらは多分あのクソガキだろう。やはり死んでいたか。

 あの時は道連れにしたい一心で槍をこれでもかと抉ったが、俺だけ復活した今となっては微妙な気分だ。

 これっぽっちも後悔しているわけではないのだが、やってやったぜざまあみろという気持ちもなくなっている。

 殺しても死なない奴を下手に嬲ったせいで、うっかり殺されてしまった憐れな奴だったという、どこか他人事のような気分だった。


 そして俺は別にこの村と敵対している誰かの回し者ではないのだが、そう勘違いされて事が動こうとしているらしい。

 山に入って戦うという話なので、恐らく大変だろうし被害も出るだろう。しかし俺はちゃんと否定したのだから、それでどうなろうと俺の知ったことではない。


「まあ決まってからも準備があるし、まだまだ先の話だけどね……。それじゃ僕も寝るよ。ああ疲れた……」


 布団の中にもほんの少しだけ届いていた明かりが消えた。すぐ寝てくれるのは助かる。


「うん、おやすみ」

「おやすみー……」


 ……よし、何とかなった。

 恐らくエリサは、どうしていいか全くわからないからとりあえず俺の言うことに従っている、という状態だろう。

 ここから意を決して助けを求めるという可能性も大いにあったが、父親が寝てしまった今はもうその機会を逸してしまっている。

 明るい中で起きている父親に何も言えないのに、暗い中で寝ている父親に助けを求められるとは到底思えない。


 なのであとは父親の眠りが深くなるのを待ってこの場から立ち去るだけなのだが、これも早くしてもらいたいところだ。

 何せ父親の急な帰宅に俺もかなり動転していたので、今は少しでも体積を減らすためという謎の理由でエリサに後ろから抱き着いてしまっている。腕もエリサの胴体の前側に回されていて、つまり色々とよくない状態だった。

 特にエリサの胸の辺りにある左腕だけでも離してやりたいとは思うのだが、ここで下手に動いてしまうとどうなるかわからない。


「…………」


 どれぐらいの時間が経っただろう。

 布団の中は暑いし少し息苦しいし、何より全く動けないのが辛い。

 しかしそう思っていたのは俺だけではなくエリサも同じだったようで、俺に抱きしめられたままモゾモゾと動き出した。

 じっとしていればよくわからなかったエリサの感触が、動いてしまったことでぐいぐいと押し付けられてはっきり伝わってくる。


 これはよくない。とてもよくない。

 このままでは「そういえば鍋と塩以外にもう一つ欲しい物があるんだった」などと言って、本当にエリサも頂いてしまいかねない。聞こえてくる寝息からして父親はもう熟睡しているようだし、さっさと抜け出すべきだろう。


 <気配遮断>を使用してみても効果が発揮された感じがしないのは、エリサが俺を認識しているからだろうか。このスキルは今のところ、検証のしようがないのでわからないことが多い。

 ともかくスキルには頼れないので、より慎重に抜け出す必要がある。


 まずは抱きしめていた腕をゆっくり離し、そっと布団の中から抜け出す。

 慎重に立ち上がるために四つん這いの体勢になったところで、その下にいるエリサと目が合った。


「ひっ……い、今はお父さんがいるから無理で――んむ」


 声を潜めて見当違いなことを言い出したエリサの口をまたしても手で塞ぐ。

 確かに俺は今まさに襲い掛かろうとしているようにしか見えないかもしれないが、なんとこのまま立ち上がるつもりなんだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る