第9話

 急な先生の退職というアクシデントがあったものの、その後の方針はあっさりまとまった。

 マイホームとやらではない場所で、なおかつ土の精霊とやらがいない状況での農業がどうなるのかはさっぱりわからない。

 わからないので、一旦試してみよう。という流れである。


 ・何もしない

 ・水だけやる

 ・肥料だけやる

 ・水と肥料をやる


 この四通りで育ててみて、それぞれどんな影響があるのかを検証する。

 なおここで言う肥料とは、森から持ってきた腐葉土……になっているかどうかはわからないが、とにかく森から持ってきた黒くて柔らかい土だ。草原の土をただ掘り返すよりも作物には良い環境になるとは思う。


 平べったい石を拾ってきて、ザクザクと耕してジャガイモの種を植えていく。これをもっと大規模でやるなら大変だが、四つ植えるだけなら道具がお粗末でも何とかなるものだ。

 畑だとわかるよう、四方に大きい石を置いて目印に。最後に森から手で持ってきた水を二つに振りかけて完成である。


「よし。これで完成だな」

「ふへ~……もう動けないかも」


 水を飲めた喜びで一時的に復活していた体力だが、やはりエネルギーを補給しないまま歩き通した疲労は蓄積されている。

 極小規模とはいえ慣れない畑仕事によって、元気になったのはただの錯覚だったと思い知らされてしまった。


「じゃあ次は魔物と三戦だな」

「あっ、そっか。そうだね……うん?」

「三戦」

「……」


 農作業を終えて座り込んでいた佐藤さんだが、何も言わず仰向けにパタンと倒れてしまった。そのまま全く動かないし、ショックで死んでしまったのかもしれない。

 気持ちはよくわかる。ここから魔物を探して歩き回り、その上さらに戦闘をしなければならない。途方もない道のりだ。

 だがこのままでは飢え死にしてしまうし、死んだら腹が減った状態でスタート地点まで戻されてしまう。


 森にあった水源は、岩の間から湧き出てきてすぐ、再び地中へと流れ込んで伏流になっていた。なのでこの場所に目印となる川は流れていない。

 しかしスタート地点から山に向かって進み、森に入る少し手前で西に向かって森沿いに歩く。ただそれだけでここに辿り着けるのだ。一応死んでもリカバリーできなくはない。ないんだが……。


「でも、どうせ死ぬなら前のめりの方が良いか……」


 いわゆるもったいない精神というやつだ。できる限り命を有効活用したいという、前のめりでありながら前向きとは言い難い考え方である。

 とはいえ、俺にも魔物を探して歩きまわるつもりなど一切無かった。


 畑を作る際にわかりやすい場所にしようと少し小高い所を選んだので、ここからなら遠くまでよく見渡せる。もう朝になっているので辺りもすっかり明るい。

 なのでここで魔物が見えるまで待ち、レッドボールのドロップ品である石ころを投げておびき寄せようという算段だ。


 メニューを開き、持ち物の欄にある石ころをタップ。すると手の中に石ころが現れる。何度やっても不思議な現象だった。

 そして収納するときは逆に、手に持って収納したいと思えば勝手に手の中から消えてインベントリに入る。便利だがこちらの方はもっと不思議だ。


「ん~……割といるな」


 最悪何時間も待ちぼうけを食らうかと思っていたが、目を凝らして探してみると案外目の届く範囲にいるものである。

 レッドボールが東に二匹、南に一匹。ジャガイモ男爵が南西に一匹見えた。くさアニマルは草の体が草原と紛らわしい色合いなので、いるけど見つけられていないだけなのかもしれない。


「ほっ」


 狙いを定めて石を放り投げる。狙いは南に一匹でいるレッドボールだ。

 効率を重視するなら二匹の方にするべきだし、種目的でジャガイモの方にする手もある。しかし、今の俺にはどちらも手に余るだろう。ここは慎重にいきたい。


 しかしそんな気持ちが投球に表れたのか、単純に力が入りきらなかったのか、投げた石はレッドボールの随分手前に落ちてしまった。当然気付かれず誘き寄せられない。

 指の手応えからして、感覚的には五十メートル程度は投げたはずだったのだが、思ったより遠くにいたらしい。


 少し近寄ってから再び石を投げるか。あるいはいっそのこと、あそこまで歩いて行って倒してまたここまで戻ってくるか。はたまた近寄ってくるまでこのまま待ち続けるか。

 そんなバカみたいな事を考えていると、右側から何やら物音が聞こえてきた。まるで何かが草の上を飛び跳ねているような……。


「……二匹」


 東にいた二匹のレッドボールがこちらに仲良くぽよんぽよんと飛び跳ねながら近寄ってきていた。

 そうだ、こちらが相手を視認できたのだから、あちらからも当然見つけられるだろう。自明の理だった。


「二匹かぁ……」


 レッドボールとは、思いっ切り踏み込んでしっかり腰を入れて、その力を全て乗せた右ストレートを全力で振り切れば一発で倒せる相手だ。

 しかし、これが今の俺には難しい。ダラダラと緩慢に動き続けることは何とかできるのだが、思いっ切り力を込めたつもりでも力が入らない状態になっている。

 絶望的にへっぽこな泥試合が始まった。


「くぬっ」


 俺の手打ちのへろへろパンチが空を切り、レッドボールの体当たりを受ける。

 あんまり痛くはないが、さりとて無視できるわけでもない。


「このっ」


 今度は狙いすましたへなちょこパンチが炸裂するが、ぽよんと音を立てて跳ね返っていっただけだった。


「ぐぬっ」


 するとそこへ後ろからもう一匹のレッドボールが体当たりしてきた。

 体勢を崩してつんのめってしまい、そこへさらにレッドボールが圧し掛かってくる。


「ぐうっ。はぁ……はぁ……つ、強い」


 ゲーム内では雑魚の代名詞のような存在だったレッドボールに、俺は予想通り苦戦させられていた。

 何といっても前後から襲ってくるこのコンビネーションがいやらしい。後ろかと思えば前、前かと思えば後ろという息の合った攻撃に、俺はすっかり翻弄されてしまっている。


「くそっ、卑怯だぞ貴様ら。よってたかって一人を嬲るとは」


 しかし実のところ、これは別にピンチでも何でもない。何といってもレッドボールの攻撃は俺に全く通じていないのだ。

 ただ仕留めるのが長引いて面倒臭いだけの話である。とは言っても、この面倒臭いというのが今は一番嫌ではあるのだが。

 このままじわじわと体力を削られてしまっては、遠からず俺も佐藤さんのようにぶっ倒れて動けなくなってしまうだろう。

 何か、何かこの状況を打破するきっかけがあれば……!


「えいっ」


 そんな声が聞こえると同時に、俺の上にいたレッドボールがぽよーんと飛んでいった。

 声のした方を見ると、そこにはレッドボールを蹴り飛ばしたのはいいものの、その後体勢を保てずに転倒してしまいそうな佐藤さんの姿があった。

 思わず駆け寄って支えようと思ったが、今の俺がそんな事をしても文字通り共倒れになるだけだろう。というか足に力が入らず、急には起き上がれない。

 そう判断して佐藤さんがすっ転ぶのを悠然と見過ごしてから助けることにした。


「生きてたんだな。今度こそ死んだと思ったが」

「……お腹が空いただけだとね、人はなかなか死ねないみたいだよ」


 後ろからぽよんぽよんと体当たりしてくるレッドボールを蹴飛ばし、佐藤さんの手を取って引き起こす。

 ここへきての佐藤さん復活は激アツだ。二匹のレッドボールにも対応できるし、何なら一匹のジャガイモを呼び寄せてから二人でよってたかって嬲り殺してもいいだろう。


 二匹のレッドボールには早速トドメを刺し、佐藤さんが再び倒れる前にやるべき事をやり切ってしまおうと、すぐさま南に一匹いたレッドボールも誘き寄せて片付ける。

 最初の二匹は戦闘一回分とカウントされてしまったのか、この時点ではジャガイモは成長していなかった。

 しかし、さらにジャガイモ男爵を何とか倒してみると、畑から二つの芽がしっかりと出ていた。


「これは……水か」

「だね。土は何でもいいみたい」


 全てが成長するのがもちろん一番良いのだが、その次に良いパターンが正解だったらしい。

 どこでもいいからとにかく植えて、あとは水をやって戦闘すれば育つ。わかりやすくて何よりだ。

 雑に地面を掘り返して、残った四つの種も全て植えてしまう。あとは適宜水をやりながら魔物を倒すだけ。

 さらにどれだけの頻度で水をやればいいのかも検証しなくてはならないが、とにかく収穫までの道筋ははっきりと見えた。


 もう少しでジャガイモを腹いっぱい食べられる。それだけを原動力にしてフラフラになりながらも魔物を倒し続けた。

 そしていよいよ迎えた収穫の時。最初に水をやった二ヶ所を、どうにかこうにか引っこ抜く。それぞれ四個のジャガイモが成っており、思った以上の収穫に喜び合った。


 その瞬間にジャガイモがパッと消えてなくなったことで焦ったが、どうやらインベントリに収納される仕様だったようだ。

 早速一つ取り出して、いざ実食。


「やったやったっ。じゃあ洗って食べ……」

「……え? 生のまま丸齧り?」


 火が無いと食べられないことに気付いた俺たちは、その後あっさりと死亡した。

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