第7話
屈んだ状態で足音を立てないようにそろり、そろりと。それでいてなるべく速く歩く。
いつバレるかと冷や冷やしながらだったが、割とあっさり近付くことができた。彼我の距離はおそらく十メートルほど。これ以上はもう無理だと判断し、手を広げて佐藤さんを制止する。
「……」
「……」
左が佐藤さん、右が俺。即席のハンドサインでそれだけを確認すると、あとはタイミングを合わせて突撃だ。
こういうときに三、二、一、0で突撃なのか、三、二、一で突撃なのか。そんな事は当然打ち合わせてはいないのでぶっつけ本番となるが仕方ない。
佐藤さんに指を三本立てて見せ、指を一本ずつ折って二、一。
そして指を全て折って握り拳となった瞬間に俺と佐藤さんは同時に飛び出す。さすが相棒、タイミングはバッチリだ。
さすがに二人揃って走り出してはジャガイモ達も反応しているが、体勢を整える隙があるはずもなく、振り返ろうとしたその横っ面に飛び蹴りを叩き込む。
「シッ!」
残った力をあらん限り振り絞った渾身の一撃だ。まともに受けたジャガイモ男爵はそのまま勢いよく転がっていく。死ぬとその場でバラバラになるので、残念ながら一発で仕留めることはできなかったようだ。
一方佐藤さんの方はというと、不意打ちには成功したようだが体勢を崩す程度にしかダメージを与えられてない。このままだとベタ足の泥沼インファイトが始まるだろう。俺がいなければ、の話だが。
佐藤さんの方に集中しているジャガイモの頭を、後ろから打ち下ろすようにしてぶん殴る。死ななかったのでもう一度ぶん殴る。
するとさすがにジャガイモもこちらへ振り返りそうなったが、それを佐藤さんがぶん殴って阻止する。そして俺がまた隙だらけの後頭部をぶん殴ったところでトドメとなってジャガイモは砕け散った。
しかし上手く倒せた余韻に浸ることもなく、佐藤さんは飛び散るジャガイモの破片を浴びながら、俺の横を通り抜けて走り出す。
慌てて俺も振り返ったところ、こちらに向けて突撃しようとしているジャガイモが目に入った。俺はそれを避ける体勢を取れていない。
このままでは突撃を受けてしまい、さらにそこから分の悪い殴り合いとなってしまうだろう。佐藤さんがいなければ、の話だが。
「やっ!」
いきなり蹴飛ばしてきた俺に対する敵愾心に満ち満ちたジャガイモは、走り出したところを横合いから佐藤さんの飛び蹴りを受けて粉々に砕け散った。
「……かっけぇー……」
まるでスタイリッシュアクション映画のワンシーンのようだった。蝶や花を愛でているのが似合うような女の子が、たった一日二日でこんな格闘派になってしまう。ここは恐ろしい世界だ。
そして戻ってきた佐藤さんとパチンとハイタッチすると、そのまま無言で歩きはじめる。
本当ならその場で座り込んで休憩がてら今の戦闘を大いに讃え合いたいところではあるが、今はとにかく時間が惜しい。さらに戦闘の音を聞きつけた魔物がやってこないとも限らない。可及的速やかにこの場を離れる必要があった。
そうして脱水症状に追い立てられるようにしばらく歩き続けていると、遠くに見えていた山の影がいつの間にか目前まで迫ってきていた。
ここまでは暗さもあって川を全く発見できなかったが、山の川には落差がある。目で見えずとも音が川の存在を知らせてくれるはずだ。うっかり見落としてしまうようなことは無いだろう。
しかし、俺と佐藤さんはそんな山の少し手前で立ち尽くしていた。
「……駄目だな」
「……ね」
これまでずっと無言で通してきていたが、さすがにこれは話し合って方針を決める必要がある。
今直面している問題とは、草原ではまばらにしか生えていなかった木の数が急に増えることだ。
鬱蒼と生い茂る樹海というほど木が多くはないが、まばらというほど少なくもない。
巨大な大木というほど高く伸びた木ではないが、低木というほど低くもない。
これがつまりどういう事かと言うと、とにかく暗いのだ。
これまでは夜でも星の光で何とかギリギリ活動できる程度の視界はあったが、木の下にはその光が届かない。
恐らくあの暗さでは自分の手元すら満足に見えないだろう。そして足元は木の根や岩で凹凸があり、山なので地面は傾斜している。
何の対策も持たず入り込むのはいくらなんでも無謀がすぎるだろう。
「ゲーム……岩山……。こんな……じゃない」
「……森……村の西」
「ゲームと、違う……」
口の中の水分を失いたくないため口を開く回数を抑えたい。そもそも疲れて言葉を発するのが億劫。
そんな事情によって人語を解するバケモノのようなたどたどしい話し方になりながらも、今後の方針について話し合う。
そして三十秒にも及ぶ協議の結果、西にある村の方面へ向かって山沿いに草原を歩いていくことになった。そうしていけば遠からず山から流れてくる川に行き当たるだろうという考えだ。
というわけでまたしても草原を歩き続けることになった。
そこからどれだけ歩いただろうか。
歩き続けるのももちろん体力を消耗するのだが、それよりとにかくジャガイモとの戦闘が辛い。
こちらを殺し得る相手との肉弾戦なのだ。
どうしても緊張するし、動きも激しくなってしまう。すると当然息が荒くなるし汗も出る。エネルギーが、水分が奪われる。
顔を上げているのも辛くなり、首をだらんと下げて足元を見ながら歩く。
もはや歩くというよりも、ただ倒れ込まないように足を前に出し続けていると言った方が正確だろうか。
何を目的としてどこへ向かって歩いているのかもよくわからなくなってきた頃、不意に右手に何かがぶつかってきた。
「……?」
顔を上げて右を見ると、変な赤くて丸い何かが浮かんでいる。確かこいつはレッドボール、魔物だ。
こちらが先に発見するどころか、攻撃を受けるまで存在に気が付かなかった。いつの間にか周辺の警戒をしなくなっていたようだ。
何はともあれ、魔物の襲撃だ。最弱とはいえ放置できるわけもなし。逃げるのも不可能。となれば倒すしかない。
ポヨン
俺がレッドボールを倒すために必殺の意思を込めて繰り出した右ストレートが炸裂。その衝撃によって生じた音がポヨンだった。
「……」
「……」
レベルが一だった頃の俺ですら一発で倒せたレッドボールは、レベル五まで成長した俺の攻撃を受けても無事にぽよんぽよんと元気に跳ねている。なんてことだ、こいつはきっと特殊個体だ……!
しかし案ずることはない。ここにいるのは俺とレッドボールだけではなく、ド根性武闘派娘へと進化を果たした佐藤さんもいるのだ。
佐藤さんが俺の前に勇ましくヨタヨタと躍り出て、レッドボールに向けて拳を繰り出し……踏み込みが足りずに空振ってしまい、そのままレッドボールの上に倒れ込んでしまった。
「……」
佐藤さんは倒れたまま何も言わず動かなくなってしまった。ひょっとして死んでしまったんだろうか。
ただ仮に死んだのだとしても、明日またスタート地点から今日よりも厳しい状況で地獄の深夜行軍をやり直すことになるだけだ。佐藤さんなら問題無いだろう。
……俺は絶対に死にたくない。死んでたまるものか。もし死ぬのだとしても、水をたらふく飲んでから死にたい。
そのためにも、まずは目の前の脅威を排除する必要がある。佐藤さんの下からモゾモゾと這い出てきたレッドボールだ。
俺の攻撃はレッドボールには通じない。それはわかっている。殴ってもぽよんと跳ねるだけで、ダメージは与えられそうにない。
しかし、ヒントは佐藤さんが自らの死と引き換えに残してくれた。
攻撃しようとこちらに近寄ってくるレッドボール。俺はその上に無造作に倒れ込んだ。
「い……って」
受け身も取らずただ倒れ込んだので痛い。レッドボールの攻撃より何倍も痛い。
ただその甲斐あって、俺の腹の下にあったレッドボールの柔らかい感触が消え去った。無事倒せたようだ。
そしてわかった。俺はもう助からない。
ずっと気力だけで歩き続けていたのだ。一度倒れ込んでしまうと、もう二度と立ち上がることはできない。
というよりも立ち上がりたくない。思えばしばらく休憩を取っていなかった。力を抜いて寝転がるという行為は、疲れた体に効きすぎる。
「ふぅー……」
何とか寝返りをして仰向けになると、煌々と輝く満天の星空が目に入った。
空気が澄んでいるのだろう。元の世界ではお目にかかったことが無いほどの数の星だ。
母なる大地に身を委ね、星の光に目を細め、木の葉や草の擦れる優しい調べと小川のせせらぎに包まれながら死ぬ。
自分とクソガキの血溜まりの上で、村人たちからの憎悪の眼差しと怨嗟の声を浴びながら死ぬよりは随分マシになったと言えるだろう。
「………………あ? か、川?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます